読むのが遅い(2)

大人の責任

■教養というのも定義の難しい概念ですけれども、論文や学術書を年に千冊くらい読んでいるという一種のプロは別として、ここではさしあたって、読書が生活の一部になっていて、ちょっとことばに気をつけて話しているという程度の人を「教養のある人」と考えてみます。

教養のある大人どうしの会話を聞いて育った子どもは、自然に色々なことばを身につけています。そういう子どもが小学校や中学校の教科書の中で出会うことばで知らないものなどあろうはずもありません。検定教科書というものは国民の最低水準を定めた指導要領に従順に作成されているものです。

ところが、子どもの内面の発育というのは同じ生育環境でも常に順風満帆とは限りません。何らかの巡り合わせで、不幸にして知らないことばがずいぶん多くなってしまうこともあります。教科書ではじめてそういうことばに出会うと子どもは戸惑います。

そういう子どもに、大人は声をかけます。

「知らない漢字やことばがあったら辞書で調べなさい。」

辞書を引くのは決して悪いことではありません。

ですが、子どもの頃に豊穣な言語経験を積んで大人になった「教養のある人」なら、ちょっと違うアプローチをしそうです。

文化は感染する

「おや、知らない漢字があるの? じゃあ、もっと易しいものを読んでみればどう?」

こういう大人は自分にはそういう経験がなくても、この種の子どもが教科書と宿題以外にほとんど文字を読む習慣がないということ、そういう子どもが読書の楽しみを知らないことを想像できます。これは文化の欠損です。そこで、子どもの立ち位置に降り立って、無言の勧誘をします。

一例をあげましょう。

子どもと一緒に書店に行って本を仕入れます。絵本も含めて硬軟さまざまな本を子どもの身の回りに用意します。そして大人みずからがそこら中に置いてある本を読んで勝手に楽しみます。朝一緒に駅まで歩く時、食事を共にする時、子供と時間を共有できる時に読んだ本の話をします。子どもが何かを読んでいることを知ったら「あの本はどんな本?」と好奇心を持って尋ねます。

今の時代は本以外にも誘惑が多いですね。それを遮断することも必要です。とにかく大人も本からしか情報を得ないようにします。テレビのアンテナ線は引っこ抜き、パソコンやスマホも子どもの前では使いません。

テレビは失いますが、映画は一緒に観ます。その前に原作を読みます。映画を観たら、どこが面白かったか、どこが悲しかったか、どんなシーンの撮り方に感心したかなど、どんな効果音が耳に残ったかなど、自由に話します。とにかく大人がすべてに好奇心を持って取り組み、楽しみます。

こうした自由な会話の中で、子どもは最初のうちほとんど何も話さないかもしれません。それでも大人が楽しんでいることが伝わればいいのです。

好奇心さえあれば世界は驚異に満ちている。

大人の様子から、子どもはそれを肌で感じます。そして次第に読書のある日常、すなわち読書文化に感染します。いつしか「あれは面白かった」「これは感動した」と言うようになります。何年かすると、もう「あれは難しかった」「これは易しかった」などとは言わなくなります。

これが大人の発言責任の取り方です。

10代前半までなら文化欠損は治らない《病》ではありません。ですが《完治》には数年を要します。粘り強く、楽しく取り組むことが求められます。

大人の側にすれば面倒くさい話かもしれません。

そんなことしなくても自分は大人になれたし、普通の大人として自分はちゃんとやっている。

と言うかもしれません。

少々辛口かもしれませんが、私は子どもたちに

「こういうことを言う大人になってはいけないよ」

と言いたく思います。

他人にこんなことを言う大人は自分の生活実感を中心にして生きています。自分の実感として「ちゃんと」やれてる、というわけですね。その実感はきっとそれなりに正しいし、社会科学では大事に扱われるべきものです。ですが、ひとつ問題があります。この人たちの理解している世界はかなり狭いということです。この人たちにとって、世界は自分の経験した範囲に極限されているのです。

もちろん、この人たちは自分の使っている「普通」とか「ちゃんと」という観念がどういうものか他人にわかるように説明できません。そこを突っ込まれると「そんな説明など必要ないよ」とおっしゃるかもしれませんね。

よろしい、ならば、そのような自分にしかわからない観念を使うのはひとりごとの時に留めておいていただきたい。その曖昧な観念を他人に説明もなしに押しつけないでいただきたい。子どもに同じ観念を共有することを強要しないでいただきたい。

子ども時代は二度来ないのです。

子どものそばにいる大人には、自分の言動についてよく考えていただきたいのです。少なくとも、のちに責任の取れない結果を招くような言動は厳に慎んでいただきたいものです。

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