大学入試以後の英語学習2.1

さて、前回は大学受験を終えた人からの「今後、どのように勉強するのが良いか」という質問に対するお答えの入口として、まず基礎づくりをする話をしました。

今日は、その基礎の上にどんな建物を作っていくかについて、その見取り図を私見を交えてお話しします。

話をわかりやすくするために、いきなり英語の話ではなく、とりあえずの迂回路としてまず日本語の話をします。少し遠回りに感じられるかもしれませんが、必要な遠回りです。お付き合いいただければ幸いです。

この記事は、前回お約束した「認知的視点で表現を整理し直すこと」と「動機の問題」のうち、後者に深く関わるお話です。

英語が大事‥‥その意味は人ぞれぞれ

さて、こういう質問をする人はたいてい「これからは英語が大事になると思う」とおっしゃいます。それは否定しません。ですが、この「大事になる」の意味は人ぞれぞれです。質問者が将来どういう仕事で身を立てるつもりでいるのかによって、話も違ってきます。小学校の教師を目指している人と農水省の外交官を目指している人ではことばの用途が違います。当然ですが、お答えする内容も変わってきます。

ここでは私たちのように言語の研究者になりたいというような、いわば「ことばの世界への出家」希望の方々は奇特な人と考えることにします。

さしあたり、話を簡単にするために、今年は東大志望者と医学部志望者を指導していましたから(教え子たちのことを優先して)まずは医師になる方々の場合を考えてみましょう。他の業種を志望している方も自分の希望する進路を念頭に、役に立ちそうな考え方を盗んでいただければ幸いです。

人間の言語活動を分けてみる

人間は様々な言語活動をして暮らしています。日本で暮らす人々は日本語でどんなことをしているでしょうか。

たとえば次のように階梯化してみます。

(1) 個人の生活レベル(買い物、友達との会話、読書、映画鑑賞等々)
(2) 一般実務(打ち合わせ、会議、渉外、プレゼンテーション)
(3) やや高度めの業務(調査研究、共同研究、論文や記事の執筆)
(4) かなり高度な業務(企業間の交渉、学会発表、製品発表)
(5) 非常に高度な業務(小説や詩作品の創作)

(1)は日常生活に必要なスキルです。医師だからといって他の業種の人と何も変わりません。おおむね小学生以上なら子供でもできるレベルの言語活動です。

(2)は大人向けですが、実際のところはどうでしょうか? みなさん普通の日常会話で「我田引水になりますが…」とか言いますか? これ、先日の会話での40代女性の発話例ですが、やはり教養の高い人ということになるのでしょうね。こういう言葉も高校までに習うのですが、平均的な方の場合はもう少し限られた語彙で話しています。どの程度限られているかは人によりますが、使わないとしても意味はわかるという意味では、高校卒業までに学ぶ語彙くらいが日常語彙ということになりそうです。この日常語彙の運用能力で(2)もまかなわれています。用いる文構造などは(1)の言語活動の延長です。

医師の場合は(2)は次のように読み替えることになるでしょう。

(2) 一般実務(診察、チーム医療の打ち合わせ、治療法の検討会、薬剤や医療機材の情報共有)

Jargon もあるけれど‥‥

どんな業界でも専門家がいて、その専門家の間では一般常識に対しての「特殊常識」とか「専門常識」とでも呼ぶべきものが共有されていて、専門用語でわかりあっています。

そういう業界用語や特殊常識は医療の世界にもあるので、その世界で生きていく以上、これは覚えなくてはなりませんが、医療の世界特有の構造の複雑な文といったものはありません。医療の世界でも、(1)で身につけた日常言語運用力(と、その延長)が土台になるわけです。

この点は(3)(4)も同じでしょう。医師用に読み替えておきます。

(3) やや高度めの業務(症例研究、共同研究、論文執筆)
(4) かなり高度な業務(医療技術交流、学会発表)

実はもうひとつ注意した方がよいことがあります。

長年、論文の翻訳や学会発表のコーチングをさせていただいてきた経験からすると、他の業界と同じく、医療業界でも独特の言葉の用法があって、それを踏まえて話す必要はあります。これは「医療方言」と言えるかもしれません。上で述べた専門用語とは違い、世間一般で使われている日常語が別の意味で使われているのです。

参考までに一例をあげておきましょう。以下はとある病院の消化器外科の利用者向け案内文です。

消化器悪性腫瘍に対する手術および化学療法や消化器良性疾患に対する手術、肛門疾患に対する手術を行います。救急総合診療部と協力し、急性腹症に対する緊急手術に最大限に対応しています。上部消化管、下部消化管、肝胆膵疾患すべて、適応があれば腹腔鏡手術を優先させています。

https://www.hosp.ikeda.osaka.jp/outpatient/treatment/digestive_surgery/

ここで「適応」ということばが使われています。一般社会では「適応する」とは言いますが、「適応がある」という言い方はしません。このことから、この「適応」は日常的な意味とは違う意味で使われていることがわかります。

このような仲間内の符牒のようなものを押さえさえすれば、論文であっても専門用語だらけというだけで、あとは普通の日本語です。

さて、こうしてみてくると、実務上(1)から(4)の土台になっているのは(1)(2)で用いる言語能力であるということがはっきりしてきたのではないでしょうか。

基礎づくりは実は大変

もし言語能力習得の達成度を便宜上(1)〜(5)のそれぞれで5レベルあることにすると、(1)と(2)で合計10レベルということになります。

前回紹介した「基礎作り」が仕上がったところで、少なくともレベル1には達していると言えるのではないかと思います。

ところで、大学受験生はどのレベルにいるのでしょうか。

私は東大や医学部を目指す受験生(模擬試験の偏差値で言うと70-80の、相対的に知識量の多い生徒)の英作文の答案を見る機会に恵まれています。その経験的実感からの個人的意見ですが、ほとんどの受験生はまだレベル1に達していません。

「超トップレベル」と呼ばれている受験生でも《無理なく自然に運用できる英語》は、6-7歳までの子供の英語ではないかと感じます。強いて言うなら「レベル 0」です。植物を例にとると、葉・茎・根といったことばは理解していますが、「鬱蒼と葉が生い茂る」とか「根がしっかりと張る」というのはうまく言えなかったりします。

レベル1というのは、花びら・おしべ・めしべ・がくといったことばを理解し、「葉緑素の中で水と炭酸ガスが合成されて酸素が生成する」とか「根から酸化物が排出される」というのがわかってきて、言葉にもできる段階です。英語圏ですと9-10歳。

日本語環境で生育して日本の公教育ど真ん中を通ってきた受験生にとっては、そもそもレベル1に達することも、それはそれは大変なことなのだろうと想像します。

さて、医師志望の人がレベル1に達したとします。この人がレベル5を目指すとなると、子供が12歳くらいまでに身につける語彙と「一般常識」を習得する必要があります。医学の勉強の傍で、これを達成するのは不可能ではないにしても相当に困難なことなのではないかと想像します。

はたから見ても、医師が一人前になるのにはかなり長い年月を要します。医学部を卒業するのに6年。初期研修に2年、専門医資格取得までに3〜6年。11年から14年かかる計算です。しかし、個人的には、専門医資格取得したてのホヤホヤの医師には受診しようと思いません。せめてそこから10年は経験を積んでいてほしいです。となると21年から24年かかるわけです。その間はきっと多忙を極めるはずですし、医師の方にはまず医師としての技量を磨いてほしいと思うのは患者側の切なる願いです。ですから、外国語の学習に割ける時間はそう多くはないはずです。20年でレベル2や3(英検1級、TOEIC満点)くらいに到達すればよしとする腹の括り方も(哀しいことですが)必要かもしれません。

(2.2に続く)

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