大学入試以後の英語学習3.1
技術が語学学習を無力化する?
他人の思考や情動を(あたかも自分が考えたり、感じたりしているように)共有することが可能にならないか、ということを考えているエンジニアの人がいます。さしあたり(ほとんど遅延なしに)知覚を共有する技術は現時点でも実用化されています。沖縄に住んでいてもスキーを体験することができるんですね。
こういう技術が、思考や情動の共有を目指すのは当然の流れかもしれません。革命的な技術がさらにもう何段階か必要でしょうが、他人の思考や情動を共有することが技術的に可能になって、その技術が実用化されて、メガネを掛け替えるくらい簡単に使えるようになれば、もう語学学習は必要なくなるかもしれません。
フランス語の眼鏡をかけるだけで、フランス語の母語話者と同じように考え、感じるようになり、母語話者の思考の枠組みで他人の発話を理解し、自分でも発信できるわけですからね。それが10,000円くらいで買えたら、フランス語学習本は何も売れなくなります。
さらに哲学者モジュールを組み込むと、ピエール・レヴィになれたりするとか。もしシミュレーション精度がそこそこ高ければ、理論系の研究者は完全廃業になりますね。
とはいえ、思考や情動はセンサー技術だけではどうにもなりません。電位変化という物質的なものを文化的なものに翻訳する技術が必要になるわけですが、それってそもそも可能なのかどうか。
大規模言語モデル(Large Lanuguage Model: LLM)のようなもので、AI が言語を理解しているかのようなフリをする技術は出てきました。が、アルゴリズム上、LLMはどこまで行っても、言語の形態的側面を真似ることしかできないので、嘘も言いますし、間違った推論結果も言います。最近、私も経験しましたが、GPT は複素数の計算を間違えたりもします。この1年あまり、色々と実験や試行を繰り返してきましたが、LLMで思考様式や情動様式を真似ることは無理なんじゃないかと思っています。
生活に浸透する AI 技術
とはいえ、この1年で AI 技術は生活にけっこう浸透しています。「英語で日常会話ができればいい」という人にとっては、機械翻訳などの AI 技術はそれなりに役立っています。「ChatGPT を使った英語学習」なんてフレーズも広がったりもしていますね。
でも、そういう英語学習者の方々にも漠然とした不安はあるようです。
AI 支援学習は本当に信頼できるのか?
学習努力がそのうちに無駄になりはしないか?
AI 支援学習は本当に信頼できるのか?
信頼できる時もありますが、信頼できない時もあります。たとえば、生成 AI にある表現の用例文をオーダーすると「ありえない例」を生み出すことが時々あります。英語の場合、少ない時は5%以下になりますが、多い時は20%くらいおかしな例文を作り出します。ChatGPT は意味を理解していないのですから、まあこれでも「優秀なほう」です。「英語ビギナーにとっては先生役として十分」とは言えると思います。
中級の学習者にとっては、うまく使いこなせれば生成 AI はそれなりに使える局面があります。しかし、うまく使いこなすには、上級の英語力がそこそこ必要なので、結局、生身の指導者が必要…というのが現状です。しかし指導者用のツールとしては使える可能性があると思います。
上級の学習者は生成 AI のミスを見抜けることが多いので、生成 AI をそれなりに使いこなせるでしょう。TOEICやTOEFLなどの英語系試験で満点か、それに近い点数が取れる彼らにとっては、かなり役立つ学習ツールになるはずです。
学習努力が無駄になりはしないか?
目標によっては無駄になります。
無駄になる目標の例:英語のテストで高得点
「英語能力検定で好成績をとる」のが目標なら、その学習努力は10年以内に無駄になる可能性が高いです。たとえば、TOEIC930点、TOEFL iBT110点、IELTS 7.5、英検1級くらいをとる程度のことが目標なら、AI に任せたらいいのではないかと思います。
すでに GPT-4 は人間と競い合っても、かなり上位に入るところまで来ています。こういう試験で高得点をとることが趣味なら何も言いませんが、実用上その程度の英語力でいいのなら、頑張る必要はありません。
無駄になる目標の例:日常会話ペラペラ
日常会話といっても、日常知識と非・日常知識の両方が必要になるので、LLMのアルゴリズムだけでは難しいかもしれませんが、20年もすれば機械翻訳は今とはまったく質の違うものになっているでしょう。おそらく知識活用アルゴリズムがうまれて、かなり自然な発話ができるようになっていると思います。
ただ、日本語のイントネーション解析は奥が深いので、流暢な機械音声発話ができるようになるまでにはもう少し時間がかかるでしょう。この技術はおそらく20年後にはまだ普及していないと思います。
AI の発達で学校英語は救われる…かも
スマホに優秀な AI translator が入るようになれば、ほとんどの人にとって英語学習は無駄となります。今のスマホが20年後にあるかどうかは怪しく、骨伝導式補聴器やコンタクトレンズのような形の情報通信機器が標準化しているかもしれないし、もしかすると脳神経と直接通信する技術が既に確立しているかもしれません。いずれにせよ、ほとんどの人にとっては自分で勉強するよりもはるかに先に行ける可能性が大です。
AI の発達は非常に著しく、いま10代〜30代の方が30代〜50代になる頃には技術の様は大きく変わっているでしょう。機械翻訳の精度も想像以上に進んでいるはずです。対応言語の種類も100くらいにはなっているはずです。多くの人にとって日常生活のほぼすべての側面で、小型言語端末が役立つようになっているでしょう。
AI が発達することによって、英語学習は数学学習と同じような(実用性がゼロではないけれども、そこまで期待されない)位置付けになると思います。現在の学校では、英語だけが異常な位置付けです。「中・高・大と学んでも、日本人は英語を話せない」と言われることがありますが、同じことが他の教科で言われるでしょうか? 「中・高・大と学んでも、日本人は古文で和歌を詠めない」「中・高・大と学んでも、日本人は因数分解ができない」などと世間で非難を受け、教育改革をしないといけないという話になったりするでしょうか。英語だけが実用性を問われているのです。
AI が発達することで、世間が英語学習に実用性を過剰に求めなくなれば、ある意味で学校での英語学習は正常化すると思います。
人は何かの分野でプロになることで生活していくわけですが、中学や高校というところはプロになるための教育をする専門機関ではありません。人としての生活の基盤となる知識・思考力・判断力・創造性を養うところです。
100人の中学生がいれば、将来はさまざまです。化粧品の開発をする人、音楽の先生になる人、飲食店で働く人、体育・健康関連の仕事に就く人、建築に携わる人、これらの人と同じように、特許翻訳者になる人もいるかもしれない。大学に行く人も行かない人もいる。そういう前提で、中等教育の学校(以下、学校)の授業が行われるようになるのは健全なことだと思います。
学校というところでは、そういう様々な職種の実務に直接役に立つことを扱うこともありますが、役にたちそうもないことを取り扱うことも多いです。たとえば、複素数平面なんて役に立ちそうもないものの代表みたいなものです。エンジニアや研究者、特許翻訳者はわかっていないとまずいでしょうが、あんなものわからなくても音楽の先生にはなれるでしょうし、飲食店で働くこともできます。
しかし、実務に役立たないからといって、何の役にも立たないわけではないのです。何かで行き詰まってしまっても、あきらめないで別の見方をすることで突破できる方法があるかもしれない……という発想自体はどうでしょうか。
ある世界(実数平面)で非常に複雑な処理が必要になる作業にぶつかった時、いったんパラレルな別の世界(複素数平面)にもっていって加工してから元の世界に戻すことで工程が単純化する!という、美しくも鮮やかな実例を体験し、練習できるのが複素数平面という単元です。
算術計算は計算機が代行してくれますが、こういうオイラー的発想転換そのものは、当面は人間がやるしかないのです。(今世紀末にはどうなっているかわかりません。)
英語学習も(数パーセントの英語のプロになる人を除くと)実用上はほとんどの人にとって必要なくなるであろうものです。その背景には機械翻訳の発達がありますが、AI による機械翻訳が発達することで、プロの翻訳者は必要なくなるかというと、それは今のところありえません。たとえば特許翻訳者は絶対に必要です。機械翻訳には品質上頼れないし、契約上頼ってはいけないからです。現状では AI 機械翻訳はLLMを用いることで精度を上げる仕組みになっています。これは情報漏洩の恐れがあることを意味します。そうなると秘密保持契約上、特許翻訳者が翻訳機械を使うことは許されません。それに機械翻訳が許されても、その下訳を直すには結局プロレベルの語学力が必要になります。
ところで、語学における「複素数平面」はあるのでしょうか。何の役にも立たないように見えて、深いところで人間の生と関わっている側面が語学にはあるのでしょうか。これについては、次の投稿で。