英作文採点者の憂鬱1
はじめに
先に「模擬試験の闇」と題して3つの記事を書いた。そこでは受験産業で主流である「減点法」を扱った。英作文の場合、減点法は受験生の英語表現力の測定法として充分に適正とは言えない。しかも、大学入試の実態ともズレている。にもかかわらず、この採点法は受験産業に深く根を下ろしており、神話化してしまっている。
今回は「試験における正しい英語とは何か」ということについて少し考えてみたい。やや専門的な記述になることを最初に断っておく。
さまざまな非標準
受験生を指導していて悩むのは、彼らの英語が「標準英語」ではないということだ。
学んでいるのは「標準英語」なのだが、彼らが実際に書いたり話したりする英語は別の変種である。まあ、このように《学んでいる言語》と《実際に使っている言語》がズレる現象は学習者にはありがちなことで、アメリカ人の母語話者でも多少ともその傾向はある。なにしろ受験生はまだ学習の真っ只中なのだから仕方のないことでもあるのだが、受験生の英語には母語の干渉という特徴があり、それが多様化しつつある兆しを最近は強く感じる。
ケンブリッジ大学/English Today誌によれば、日本の教育環境で、日本語母語話者の生徒の多くが発する英語は、文法・語彙・文章の組み立てなどの面で日本語の干渉を受けた変種 Japanese English である。
しかし、昨今の受験生の答案は Japanese English だけではない。その他の変種も見られる。関西ではわずかだが中国語、朝鮮語、ポルトガル語、シンガポール英語の干渉を受けていると思われる答案が発生する。それらの変種はたいてい話し手の母語のひとつで、その人のアイデンティティにも関わっている可能性が高い。
高校や予備校はこうした変種を全部バッサリ「誤用」扱いするのだが、この判断は正当と言えるのだろうか。
1メートルは世界共通の長さである。こういう客観的な基準が英語にもあれば「標準」の名に相応しいのだが、研究者の誰もが合意するようなそうした基準は存在しない。つまり「標準英語」というけれども、そもそも世界標準の英語などというものは存在しないのだ。それぞれの地域社会で、UK標準英語、NZ標準英語‥‥といった変種はある。だが、それとても(アカデミー・フランセーズが管理しているフランス語と違って)厳密に決まったものがあるわけではなく、たえず枠そのものが変化し続けている。
もし無理を承知で「標準英語」を定義しようとしても、大まかにしか定義できないが、それでもあえて我流でそれをやってみると、それぞれの地域の、教育水準のまあまあ高い、比較的豊かなほうに属する社会階層の(大まかに言えば)白人が主として人前で用いる時の英語をモデルにしたもの、といったところになるだろうか。これは当然、世代・性別などによっても異なるに違いない。
変種に優劣なし
「標準」だろうと「非標準」だろうと、実際に使われている言語はいずれも地域ごとの変種なのであり、どの変種が優れて/劣っていると言うことはできない。
大学には相当数の外国人英語教員がいる。大学入試の採点で彼らが担当するとすれば英作文しかない。(英文和訳の日本語を彼らがチェックするということは考えにくい。)
英語母語話者の多い国といえば、アメリカ、イギリス、オーストラリア、ニュージーランド、カナダといったTOEICにも登場する国だが、くだんの外国人英語教員の出生国(国籍ではない)はそれらにとどまらない。インド、シンガポールといった英語が公用語のひとつである国に生まれ育った人もいれば、スペイン、ハンガリー、ロシア、ベルギー、日本など、英語が公用語ではない国に生まれ育った人もいる。(ちなみに、東京大学にネイティブ・スピーカーが個別指導にあたるというふれこみの必修の少人数クラスがあるが、スタッフの一覧をみる限り、全員が《生来の》英語母語話者というわけではない。ちなみに、私の知り合いのロシア人もこのリストに載っている。)
多彩なバックグラウンドを持つ外国人教員たちが、US標準英語という変種だけを唯一の「正しい英語」とする、と考えるのはかなり不自然な発想と言わざるを得ない。彼らは採点に際して、答案がUS標準英語で書かれているかどうかなどということには注意を払わないだろう。
他方、中学・高校・受験産業における指導はUS標準英語至上主義に傾斜しているように見える。このままでいいのだろうか?
実例で考察してみよう。
通じるかどうか
a. He [like] her. b. It [rain] a lot there. c. It has some there.
a-bは中学の先生に「おいおい、サンタンゲンのsを忘れているよ」と言われそうだ。この先生のおっしゃることは全く正しいのだが、cと違ってa-bはこの短い文だけでも何を言いたいのかはわかる。意味がわかるからこそ三人称単数現在のsが気になるわけだ。
一方、cは正しい英語のようにも見えるが、そうでないのかもしれない。これだけではどう修正すればいいのかわからない。何を言いたいのかがわからないからだ。その意味ではa-bはcよりもマシということになる。
言いたいことが適切に通じるかどうか、これがまず大切なことなわけだ。
やはり減点法ではうまく採点できない
d. He liked her. e. It rained a lot there.
d-eが正解例だとして、a-bは「誤り」かというと、そうとも言えない。a-bはイングランド東部、ノーフォークやサフォークの地域社会では珍しいとは言えない英語なのである。
この地域は(現在のイングランドが七王国に分かれていた時代に)イースト・アングリア王国だったことから、この英語はイースト・アングリア変種と呼ばれている。
こういう噂を聞いたことがある。大阪の学校の先生は生徒の珍妙な解答に「なんでやねん!」とツッコミをいれるらしい。これが本当かどうかは知らないが、先生の多くが授業を大阪アクセントで行っていることは容易に想像できる。それと同じように、サフォークの学校の先生も多くはこの変種を話している。(書き言葉として習うのはUK標準英語である。)
私はこの地域で育ったので、この変種にはとても耳馴染みがある。空港などで誰かがこの変種を話していると遠くにいてもすぐにわかる。この変種を話す日本人に出会うことは非常に少ないが、かつて、この変種を話す大学受験生の指導をしたことはある。この人は父親の仕事の関係で5才から13才までサフォークで暮らしたという日本人だった。
昨今はこういう受験生もいるのだ。だから、特定の変種を基準にして、それに合致しているかどうかを基準にすると、評価の適正さが失われる可能性がある。むしろ、コミュニケーションに支障をきたすかどうかを尺度にした方がはるかに合理性がある。つまり、通じるなら高評価、通じないなら低評価をつけるわけである。
日本人が外国語として英語を学ぶ場合に標準英語という名の変種(どこの変種?という問題はあるが……)をターゲットとすることには、高い合理性があると思う。しかし、学習者と評価する側は立場が異なる。評価側は本来、特定の変種を基準にするわけにもいかないのだから、安易に「誤り」ということばを使うべきではないのではないだろうか。
日本の教育現場で、日本人が英作文の答案を採点するときに用いられる減点法は「誤り」を見つけて減点数を決め、それを累積するという手法である。これは、特定の変種だけを「正用」として、それ以外の変種は「誤用」とみなすことを意味する。
よろしい。ならばどの変種を「正用」とするのか示してほしい。もし、それがUS標準英語だというのなら、それもよい。その範囲を明確に示してほしい。(やれるものならやってみろ。)
この回の最後に、イースト・アングリア大学名誉教授Peter Trudgillのことばを紹介しておこう。
なんなら参考図書も。
ローリー・バウワー/ピーター トラッドギル著(町田 健/水嶋いづみ翻訳)『言語学的にいえば…―ことばにまつわる「常識」をくつがえす』(研究社、2003)