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不定冠詞をめぐる冒険(受験生向け)

日本人は冠詞を間違える

多くの(と、いちおう言葉を濁しておきますが)日本人にとって冠詞はどうやらかなりの難物のようです。

先日も知り合いの英語学者(日本人)に論文のネイティブ・チェックを頼まれたのですが、結局、冠詞の誤りばかり直していました。専門分野の論文ですから、用語のお作法がわかっていれば言っていることはだいたいわかるはずなのですが、それでも中には(冠詞のせいで)理解に苦労して、仕方なく書いた本人に意図を確認した箇所もありました。

毎日英語ばかり使っている英文法の研究者で、このていたらくです。高校や予備校の先生の英語もネイティブ・チェックをすると冠詞の誤りが多発します。となると、高校生や大学生にはパーフェクトを期待してはいけません。

もしかするとこの先生が特殊な例だったかもしれないので一般化は避けますが、日頃ネイティブ・チェックをさせられている人間のあいだには
「日本の大学には子供でもしないような間違いをするエライ先生がいっぱいいる」
という共通認識があります。(もちろん、見事な英語を書かれる方もおられます。)

子供でもしない間違い

しかし、注目していただきたいのは、この英語学者の先生がしていた誤りのほとんどは冠詞に関するもので、それらは母語話者なら小学生でも修正できるものばかりだったということです。つまり、子供でもしない間違いを大学の先生がやらかしていたことになります。

つまり、冠詞の間違いというのはかなり基本的な言語感覚の一端を担っているとも言えますね。そういう意味では、冠詞をもたない言語の話者が冠詞をもつ言語をどのように理解したらよいのか、(たぶん、その逆も)深掘りが必要かもしれません。

定冠詞だったら素晴らしい研究があります。日本人の若手研究者で私の注目している人が2人いますが、その一人の著作です。京都大学の人間・環境学研究科(大学院)はしばらく人材不作が続いているように私は感じていたのですが、博士論文を読んだときに「お、すばらしい感覚だな、この人」と珍しく思っていたら、著作が渋沢・クローデル賞を受賞。(やっぱりわかる人はわかるんですね。)

でも、不定冠詞の研究については「お!」と思うものを今のところ日本では見出せていません。

大目に見るよ

ちょっと話が研究畑の内情に入り込み過ぎました。話を戻しましょう。

冠詞をもたない日本語を母語とする話者には、冠詞を持つ言語の「冠詞」の理解は文法研究者でも専門外だとなかなか難しいという話でした。

そういうわけですから、受験生が入学試験の答案に書く英語の冠詞が間違っているからといって、採点者はそうめくじらは立てません。イライラしながらも頑張って読みます。誤りがそれこそ雨あられのように降ってくる難読文でも、その雨あられをかいくぐって、なんとか意を汲もうと努力します。

さすがに、あまりにも誤りが多いと意味が濁ってくることもあって、特に後半は読みにくさも爆上がりになります。こうなると評価を下げるしかありません。入試の採点ではそう何度も読み直す時間はないのものの、かすかな手がかりさえあるなら、そしてそこからうっすら意味が伝わるなら評価点ゼロにはしません。

大目に見ようがないときもある

ただし、そうした涙ぐましい努力も通用しないほどひどい間違いは困ります。意味がわからなくなったり、曖昧になる誤りは避けるように受験生にも努力してほしいです。日本人は冠詞が苦手ということは重々わかってはいますが、一読で意味がわからない場合には点を出しようがありません。

先に「冠詞」の用法習得は大学の先生でも難しいと言いました。この状況は日本語の「助詞」に似ています。助詞のない言語の母語話者が助詞を理解するのはやはり難しいです。

たとえば

  • そこに愛があるんか?

  • そこに愛はあるんか?

これがどう違うのか。

素人の日本人に尋ねても、まともな説明は返ってこないでしょう。日本語学の、それも助詞の研究者に尋ねないとムリかもしれません。しかも、その助詞研究者の説明も、恐らくはすべての助詞現象を完璧に説明したりはできないのです。

しかし、どんなに複雑な言語現象にも「ここがわかれば!」という心臓部があり、それをつかんでしまえば、コミュニケーションで大きな支障をきたすことはなくなります。逆にそれがわからないと、10年や20年アメリカに暮らしていても(まあ仕事はなんとかなるでしょうが)「英語はやっぱりタドタドしいままで、わかりにくいからと英語ネイティブの自分の子供に直される」ということが頻繁に起こります。(でも、それで日本の大学入試は足りるでしょう。)

さて、英語の不定冠詞にも心臓部があります。

以下では、まず基本の確認をして、次に実例で大目に見る(が、最終的に評価は下がるかもしれませんが‥‥)範囲を理解する助けとなる情報をお示しすることにします。

特定のものを示す場合

まず次の文を読んでください。いずれもニュースの見出し文です。

  • A British man is being treated for the Ebola virus. (Newsround, 25 Aug. 2014.)

  • A British man is being held in a jail in Greece after a plane was forced to make an emergency landing due to drunken behaviour. (Independent, 5 Sept. 2022.)

  • A British man is among those feared dead in the Philippines in the wake of Typhoon Haiyan. (Yorkshire Post, 16 Nov. 2013)

全部 A British man で始まっていますが、この A はどれも「とある」という意味で、A British man はある特定のイギリス人を指しています。(でも、読者は、この人が誰なのか知らないので、不定冠詞を使います。)

特定のものをさしていない場合

では次の A  book はどうでしょう?

  • If a book is well written, I always find it too short. (Jane Austin)

  • A book is a companion.

  • A book is more important than food.

これらの用例の a book (あるいは A book)は特定の「ある本」のことを想定していません。

文が不定冠詞(A, An)で始まると、かなりの確率で定義文になります。

もし定義文にならない時でも、総称文になります。

次の文は、本が出版されるまでの工程について述べた書物のタイトルです。

  • A book is born.

これは定義文ではありませんが、総称文にはなっています。少なくとも、特定の「ある本」について述べられたものではありません。

このように、不定冠詞で文を始めると、普通は特定の「ある〇〇」という意味にはなりません。

上で「普通は」と言ったのは、普通ではない状況もあるからです。

たとえば、店長だった Sally が出産のために一時期職場を離れることになったけれども、お店はみんな学生アルバイトばかりで、正社員は最近入った新入社員だけ。いったい誰が Sally の代わりをするのかと思っていたら‥‥、という文脈ですと 、a new manager が既に主題化されていますから、次のような文を見ても「新しい店長というものは‥‥」とは読みません。

  • A new manager was appointed during her absence.


メディア記事の特徴

それでは、先ほどの用例ではなぜ A British man は「あるイギリス人」の意味になったのでしょうか?

それはこれが新聞記事だからです。新聞というのは、特定の人に関わるある日の事実を伝えるためのメディアです。

ですから不定冠詞 A で文を始めたとしても、ある日のことですから、これを総称文(いつものこと)と考える読み手は限りなく少ないです。そもそも「イギリス人は紳士だと言われます」ではニュースになりませんよね。

英訳への挑戦

では次に、以下の文の冒頭部分を英訳する時、どのような英語で始めるかを考えてみましょう。

「古い時代の広告を特集した時も、若い読者の方が反応があった。過去を知らないはずの若い世代の方が、過去に興味を示すようになっている。」というある雑誌編集者は、若者の文化に「過去」の記号があふれているのは、世の中の進歩が信じられなくなったという時代状況を映し出している、と指摘する。

冒頭部分を次のように訳したとします。

(例1)An editor of a magazine, who says, “………,” points out that …….

母語話者目線で言うと、まず気になるのが最初の An editor of a magazine です。意味はこの英語のままでも理解できます。ここに見られるのは日本人の英語によくある誤りです。話しているときにこういう言い方をされると少しイラっとしますけれども、これは書き英語なので、それほど気になりません。

気にはなりませんが改善の余地はあります。それは配置です。次のようにすれば、まったく問題がなくなります。

(例2)“………” says an editor of a magazine. He adds that …….

つまり、文頭に「とある」を意味する A/An があることが「イラっ」の原因です。例1の冒頭は新聞記事か何かの見出しのように感じられるのに、あとを読むと違う。日本人の英語に慣れていると「またか」と感じるのですが、それが例2でしたら何とも思いません。

塵も積もれば‥‥

最初のほうでも述べたように、採点者は「大学入試だから大目に見ないと‥‥」と思いながら答案を読みますが、このような小さな「イラっ」も積み重なるとやはり評価に影響してきます。

EFL Composition Profile のような一般的なライティングの評価基準ですと、英語の適格性については30%くらい(もし全体の満点が25点なら8点くらい)が配点されています。(例1)も他に気になるところがないのであれば、私なら適格性7点を与えます。ただ、この答案は他にも「イラっ」ポイントがあります。who says … として、これを一文で書こうとしているところや、関係詞節のあとで points out を使っているところがそうです。これらも意味を曖昧にしているわけではないのですが、ぎこちなさすぎるのです! 私の同僚のアメリカ人は「これは英語じゃない!」とまで言うほどです。そこまで言うのはひどいのではないかと思うのですが、経験的に言って、せいぜい英検一級の人の英語であるとは言える気がします。もろもろ加味すると(例1)の適格性は6〜6.5点くらいが妥当なところでしょう。

ちなみに、英検一級の人が京都大学の入学試験の和文英訳問題を解いたとして80%くらい(どうやら実証データがあるらしいです)は点数がもらえるのではないかと思います。英検一級保持者は語彙力がわりとあるので、その語彙力に頼って書いてしまうのがアダになってしまうのでしょう。

あの問題は、私に言わせれば、方程式を使わずに解く中学入試算数(それも途中経過を示す問題)みたいな面があって、出題側の意図をよく理解していないと90%越えは難しいでしょう。

解答速報を見ていると、意外と予備校の先生も力技で何とかしようとしてしまっていることが多いです。たまに完全に見当外れの答を見かけることもチラホラ‥‥。(さすがに今年の某国立大学の英語問題のように記号問題で全予備校が間違えたというのは珍しい‥‥。笑)

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