【妄想】教令院、神を作ろうとしてませんか

原神メインストーリー第3章第2幕までのネタバレを含みます。

ということで夢を見ないスメールの人々というところから物語はスタートし、実は「教令院によりアーカーシャ端末を介し、夢が搾取されていた」ということが判明。
ループし続ける夢の世界を脱出し、一体なぜ教令院が夢を集めているのかという大きな謎を残したまま今回の更新分魔神任務は終了。
とにかく長かったけれど、結局肝心かなめの部分は全く明かされていないし、アルハイゼンも謎だしでもやもやの残る更新だった。

教令院が夢を集めるのはなぜなのか

さて、ループを続ける旅人の耳元には1日が終わるごとに「ピー」という機械音が届く。
その際に何者かが会話しているシーンが挿入されるのだが、ここを英語版にしたときに気になる単語があった。

それがループの際に聞こえてくるここの部分。

「Jnana Energy」だ。
突然現れるこの単語、「Jnana」を調べてみると英語版Wikipediaにこんなことが書かれていた。

In Indian philosophy and religions, jñāna (Sanskrit: ज्ञान, [ˈdʑɲaːnɐ])is "knowledge".

The idea of jñāna centers on a cognitive event which is recognized when experienced. It is knowledge inseparable from the total experience of reality, especially a total or divine reality (Brahman).

The root ज्ञा- jñā- is cognate to English know, as well as to the Greek γνώ- (as in γνῶσις gnosis) and Lithuanian žinoti.
Its antonym is अज्ञान ajñāna "ignorance".

インドの哲学や宗教において、jñāna(サンスクリット語:H、['dzɲa ne])は「知識」を指す。

ジュニャーナの思想は、経験したときに認識される認知的な出来事を中心に据える。
それは、現実、特に全体的な、あるいは神聖な現実(ブラフマン)の全体的な体験と切り離せない知識である。
ll- jñā- の語根は、英語の know や、ギリシャ語の yvw-(yvwσiç、gnosis の類義語)、リトアニア語の žinoti と同義語となる。
反対語はajñāna「無知」。

英語版wikipedia Jñāna 翻訳と強調は引用者による

ちなみに日本語wikiはこんな感じ。

ジュニャーナ(梵: jñāna、若那、智)とは、サンスクリットで物事を分別する知恵・知識のこと。パーリ語では、ニャーナ(巴: ñāna)と言う。

バラモン教の伝統では、ウパニシャッドに記されているように、自身の中のアートマン(真我)を探求・分析することで、梵我一如の境地に到達する知恵「アートマ・ジュニャーナ」(Atma jnana)の獲得が目指されてきた。

ジャイナ教では、目指される最高の知識のことを「ケーヴァラ・ジュニャーナ」(Kevala Jñāna)、すなわち「「完全者」(ケーヴァリン)の知恵」と呼ぶ。

日本語版wikipedia ジュニャーナ

つまり「単純な知識」というよりも「現実に起こったことに対する認知」を指している言葉だと思われる。

あの夢の中では「経験したこと」「体験したこと」は肉体的に情報として残っている。
だからディシアは武器を変えたにもかかわらず「手によくなじむ」と言い怪我をすることがなくなる。
それはアーカーシャ端末を経て抽出されるのがジュニャーナと呼ばれる認知のみ、つまり脳内記憶のみだったからだ。

少なくともダンスを踊ったり音楽を奏でる人々を教令院の人間は見下し「学が無い」と表現するように、恐らく彼らは肉体的記憶に価値は存在しないと考えている様子が見受けられる。
重要なのは頭の中で考えること、体系立てられた知識ということなのだろう。
だから肉体的な知識などは切り捨て、脳内で処理される認知にのみフォーカスを当てていると考えるとしっくりくる。

ゆえに「現実に起こったことに対する認知」=「Jnana Energy」なのではないか、と思う。

なおチベット仏教で「Jnana」は「概念的な障害のない純粋な意識」を指す言葉であり、人々を完全な悟りと涅槃へ導くとされている。
以前「神の目」は「悟り」へ至るための道具ではないかと思っていたのだが、もしも原神世界での「悟り」が=「神(原神)になること、天空の島へと昇ること」であればちょっとつながってくるのではないかなと思う。

【仮説】神の目とJnanaが共通するのではないか

原神の世界では、「神の目」を持っていれば原神になる素質が存在し、天空の島へと昇ることができると考えられている。
つまり「神の目」とは元素を使うための器官であるのと同じように、通行許可証のようなものだが、私はこれが「悟り」への切符ではないかと考えている。
「Jnana」もこれと同じなのではないか、ということだ。
だからこの「Jnana」を集めまくって悟りへと至れれば、天空の島へと向かうことができるようになると考えて、教令院はアーカーシャ器官を使用し夢を集めまくっているのではないだろうか。

つまり「目狩り令」を出していた雷電将軍と同じようなものだ。
神の目を失った人々は自分の目的などを忘れてしまっていた。つまり夢を奪われてしまっている。
「夢を奪われている」という意味では(かなり言葉遊びっぽいが)、アーカーシャ端末をつけ、夢を奪われたスメール人と似た状況になっている。

そしてアーカーシャにJnanaを蓄積しつづけることで、疑似的に神の目をアーカーシャが手に入れた状態にしたいんじゃないかな…と思った。

ということでここから大きく妄想。

【妄想】教令院は神を復活させたいのではないか

さて結論から言うと教令院は神を作りたい、もっと言えば復活させたいのではないかと思った。

というのも繰り返しストーリーの中で述べられているように、クラクサナリデビは教令院から神とは認められていない。
500年前にいなくなったマハールッカデヴァタを神であると崇め続けており、クラクサナリデビが発見されたことでマハールッカデヴァタの死が決定的になったことを教令院の人間は嘆いたという。

そんなマハールッカデヴァタが残したのがアーカーシャだ。
つまり現状マハールッカデヴァタと教令院を繋ぐのはアーカーシャと、瞑想を使用すること以外ではほとんど接触できない世界樹のみになっている。

ただ教令院はアーカーシャに固執しているように見えるので、マハールッカデヴァタの意識や考えというようなものが、アーカーシャ内部に残されているのではないだろうか。
或いは、アーカーシャにはマハールッカデヴァタの考え方や行動などが記録されており、限りなく本人に近い再現ができるという可能性もある。

いずれにせよ彼らは、マハールッカデヴァタの情報が残っているアーカーシャに夢=Jnanaを与え続けることで、マハールッカデヴァタが再びアーカーシャに宿ることを目指しているのではないだろうか。

または「神の缶詰知識」はその名の通り神として最も重要な知識(ここでは便宜上知識と表現する)が詰まっているため、教令院は神の復活のために何としても入手したい。
そのためマハールッカデヴァタの復活を目指す賢者たちの指示を受けて、アルハイゼンが「神の缶詰知識」を追っている。

クラクサナリデビは自分をアーカーシャ端末であると明言している通り、彼女もアーカーシャに直接アクセスできる権限が存在する。
だから「神の缶詰知識」をクラクサナリデビに使用させたうえでアーカーシャにアクセスさせることで、マハールッカデヴァタを復活させる計画なのかもしれない。

そして、そのことを裏で操作しているのがファデュイであり、ドットーレあたりが入れ知恵をしている。

ここまで来たらもっと妄想しておこう。
アーカーシャはそもそもマハールッカデヴァタが死んでしまったとき、復活するために用意していた装置ではないか…

いや、これはちょっと妄想が過ぎるな~

結論とまとめ

ということで長々とここまで妄想してみたが分かりにくくなってしまったので、最後に整理する。

  1. 教令院の目的は「マハールッカデヴァタの復活」である。

  2. 「夢」を集めているのは「Jnana」、つまり悟りの境地に至るために必要な知識だと考えたためであり、人為的に神の目や神の心の取得をもくろんでいる。

  3. 「神の缶詰知識」にはその名の通り神(マハールッカデヴァタ)の最重要データが収まっているため、接続した人間は発狂してしまう。だが神の復活には必要なため、教令院の賢者から支持を受けたアルハイゼンが回収した。

  4. 最終的には「神の缶詰知識」をアーカーシャ端末であるクラクサナリデビに使用させ、マハールッカデヴァタをその体、あるいはアーカーシャに復活させることが目的である。

ということで妄想を全開にしてみたけれど、一つでもあたってたらまあ万々歳ではございませんでしょうか。多分当たってないですが。
途中で色々考えるのが、やっぱりソシャゲは楽しいな~~

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