見出し画像

おじいちゃんと私の話

幼いころの私は、いつも一人で遊んでいました。

両親は農作業が忙しくて、同居している祖母はいつも具合が悪くて部屋にこもっているか、ショッピングに出かけるか、病院に入り浸るかでいなかったし、姉妹は年が離れていて、邪険にされていたし。

でも祖父だけは、空いている時間に私の相手をしてくれていました。

スクーターの座席とハンドルの間にノーヘルの私をのせてゲートボールや近くの商店に連れて行ってくれたり、山に連れて行ってくれたり。おまわりさんに見つかって何回も止められた記憶。こりないじいちゃん。怒る両親。それでも乗る私。

ゲートボールに連れていかれると、「あなた本当におじいちゃんにそっくりね~」ってまわりのお年寄りが言ってくれて、いつもおじいちゃんは嬉しそうでした。

私のパッチリ二重と大きな目、主張の強い全部の顔のパーツ、張ったエラ、多すぎる髪の毛。全部祖父と父に似ています。

お風呂もおじいちゃんと入ったし、寝るときはおじいちゃんのベッドで寝ることも少なくありませんでした。大きくなっても、おじいちゃんの仁丹くさい部屋で養命酒またはオロナミンCを飲みながら二人で時代劇のビデオテープを見たり。家族は嫌がるおじいちゃんの加齢臭、私は大好きだったなぁ。

一緒にスーファミをしてくれるおじいちゃんが、自慢だったよ。柔軟な考え方で固定観念にとらわれることなく、何でも新しいものに挑戦して、デジタルも積極的に取り入れていた姿はいまでも見習いたいほど。ケータイも早い段階で持ってたし、デジカメ黎明期に結構高いのを買って喜んでいたよね(笑)。

中高生になっても私とおじいちゃんの関係性はくずれることなく、おじいちゃんがゲートボールに行くときはお弁当を作ったし、何かあるたびにおじいちゃんは私にお小遣いをくれて、20かそこらで私がめちゃくちゃな生活をするようになってもおじいちゃんは変わらなかったな。

自分で働いてお金を得るようになったら、おじいちゃんの誕生日には何かしらのプレゼントをして、毎年それを大切に使ってくれるんだよね。

おじいちゃんの定位置はマッサージチェア。ゲートボールがない日はテレビの前に置いたマッサージチェアでまどろみながらテレビを見て、うたたねをして。

いくつになっても農作業もしていたしね。お父さんとお母さんに邪魔にされながらも、畑の石を拾って、草を抜いて。役に立ちたかったんだよね。

私が実家と縁を切った後は老人ホームに入っちゃって、この数年で顔を見たのは2回だけ。顔がむくんでも髪の毛だけはたっぷりあって、100歳近くに見えないのが本当にすごかった(笑)。

決して仲良く平和ではなかった実家で、おじいちゃんだけは聖のオーラをまとっていたんだよな。なくなってものほほんとマイペースにしていそうで、心配はしていないよ。

どうか安らかに。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?