激動36歳その2

生活保護を受けた。私の人生の中でめちゃくちゃ凄い出来事だった。私は仕事を切らした事がない、辞めても一週間たたずに見つける。面接は1日に3件ハシゴ当たり前。中卒で事務員なんて数打たないと絶対無理だ。努力だけはしよう、むしろ努力しかねえな自分と思いながらやって来た。たまたま若い頃に入れたテレオペの会社で腕をかって貰えて管理部へ行きエクセルを触らせて貰いそこで出会った先輩が立ち上げた会社の事務員として引き抜いて貰った、それが今に凄い繫がった。一般事務の色々な事を学べた、そこからは努力と経験が積み上がり、中卒のまま現在も営業事務をしている。大企業じゃないけどね!そんな自分が生活保護…受ける人なんてやる気ねえ甘い考えの人でしょ?自分は違うんで!そんな自分が生活保護だ…もうここまで来てしまったかという思いと、何も心配しなくていい安堵の日々。とにかく担当の人の連絡は迅速に、決められた面談の日は優先で予定をあけて当たり前の事は当たり前にやっていたと思う。担当さんは3人変わったけれど、どの人も本当に良い人だった。二人目の担当さんは30代だったけれど、とにかく優しくて身体を気遣って、こちらが向かわないといけない日も来てくれた。唯一の気分転換、モンハンの最新作を転がしていた日にも「モンハン好きなんですか!僕も好きなんですよ」と話してくれた「保護費でゲーム買うんじゃねえぞ阿呆が!」とか言われると思った。(友達が差し入れてくれた)体調が悪いなら遠慮なく書類を申請してくださいと相談に乗ってくれて皮膚科、歯医者、クリニック、大学病院、あらゆる医療費がゼロになった。何もしなくても最低限の生活費が振り込まれる。これは…自堕落していくわな…働かんでも食って行ける 自分に甘くもなってしまう。これなら乳がんも悪くないじゃ~~~~~ん    なんて事は不思議と思わなかった。早く治して「普通」へ身を置きたい。自分で働きたい。でも出来ない、嘆くんじゃなくて、いつか戻れた時に感謝を沢山伝えて頑張れる時に頑張ろう。今は甘えさせて貰おう、少しだけ。そして100%治療に専念だ。

治療の事はまた改めて書くとして。1年半も保護を頂き本当にありがとうございました、手紙とか書いてもいいもんなんだろうか?直接行くのもコロナだしなぁ、今度書こうかな。保護を解除する時3人目のお兄さんが喜んでくれたけれど、一人目のおじさんと二人目の若い方が印象がとても強い。きつい事だって言わないといけない仕事だろうに、いつもいつも優しかった。そのやさしさに応える事が早く解除して「普通」を手に入れる事だと信じて頑張っていた。治療も心の芯から立て直せる、今ホルモン治療を続けて6年目だけども全部の検査をパス、寧ろ乳がんになる前より健康なのだ。この保護のおかげだ。健康に気を付けて恩返しが出来るように税金を納めて行きたい。仕事をせずに過ごした1年半、社会から外れていた事が寂しくて特別で。その特別な日の思い出を大事にしながら生きている。