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我慢させることの重要性
小さいころから我慢を強いられる生活をしてきた私ですがどうやらその我慢は無駄ではなかったかもしれないと最近感じます。
みんな経験する我慢
私は小学校高学年になるまでゲームを禁止されていました。
周りの友達がDSやPSPをしている中私はそれを眺めることしかできませんでした。
ケータイは高校生からといわれ、中学では遊ぶ約束も一人だけできず、部活終わりに友人とそのまま遊ぶくらいしかなくなってしまいました。
正直我慢させられることで周りの友人との遊びに参加できなくなったり、クラスの輪に入りにくくなったこともたくさんありいい思い出がありません。
我慢させる場所を間違えると取り返しのつかないように傷になっていたのではないかと最近感じます。
幸い私は時代もありそこまで影響がなかったのですが、「自分の時代がそうだから」というだけで制限するのは危険なのかもしれません。
我慢することから生まれる耐性
しかし我慢する経験をしてきたからこそ得ることができたものがあります。
それが欲求不満耐性というものです。
フラストレーション耐性ともいうのですが自身が欲求に対して不満を感じるときに適切に対応し耐える能力(耐性)を身に着けることができました。
いじめてくる人とうまく付き合い嫌な思いを我慢してきた結果上司との関係性をうまく築けるようになったり、変えられないことや変わらない問題があったときにうまく昇華し社会的に受け入れられるようにしたりというものです。
我慢強さもまたそうなのですが、自身でその問題に対してうまく折り合いをつける能力とでもいうのでしょうか、こういった耐性ができます。
フラストレーションに対しての防衛機制
ストレスや不満を感じた時に人は大体下記の12項目くらいの防衛機制を行います。
抑圧・逃避・退行・置き換え・転移・昇華・補償・反動形成・打消し・隔離・同一視・投影(投射)などです。
嫌なことを記憶から締め出し、現実逃避し、幼児化したり、他責でほかの人に当たったり、そもそもの基準を意図的に下げ満足したりと様々ですがどれも自分の精神を守るために必要な行動です。
その中でも私はよく補償という行動をとります。
補償とは劣等感をほかの方向で補おうとする行動であり、自信がないから努力をする。
低身長だから筋トレをしたり、運動できないから勉強したりなどがそれに当てはまります。
ほとんどの防衛機制に関しては悪くないですが、退行や転移などは最悪です。
ストレスから自身を守るために幼児化したり、他責でほかの人を責めたりする人になるのはあまりおすすではありません。
しかし残念ながらフラストレーション耐性は現状後天的に身につくもの、つまり、生まれてからの生活環境などが起因して身につくもののようです。
今まで甘やかされ続け、我慢する経験をしたことない人が社会でいきなりストレスにさらされ我慢を求められても上記のどれかの防衛機制を取ってしまうのです。
今までのフラストレーションとの向き合い方や経験を通して人は学んでいるので社会人で失敗を他人のせいにしたり、もともとも目標を下げ、現状で満足している人はもうどうしようもない救いようのない状態なのです。
変わる必要もないし、そんな人を助ける必要もないのですが、もし他人のせいにしたり、目標を下げたりしてしまっている人がいるのであれば今一度自信を見直し、うまく向き合える人間になるべきだなと感じながら頭ごなしに怒っている上司の横を気まずく通り抜けて退勤する一日でした。