自転車は香りを残して
今日はゆっくり起きて、自分の部屋にたまった雑誌や子供達の高校時代の教科書などをまとめて段ボールに詰めたり、古いカーテンなどを替えたりしながらの休日を過ごしています。
私が休みの日には決まって同じ時間にインターホンを鳴らしにやってくる友人がいるので、少し最近のお互いの話をして、その後、朝昼兼用のご飯を食べてコーヒーを飲んでいるところです。
この律儀な猫は、「チコ」という名前で、生まれたばかりの頃ダンボールの箱家に入っている姿を見て息子が名づけました。家の庭には前からたくさんの猫がいて、もう親子親戚何代に渡って生活しているか家系図を作成しなければ解らないほどです。
現在はというと「アカ」「ミケ」「ペロ」「ペコ」「ポコ」「チョビ」「のんき」「プッチ」「トリッシュ」がいます。このそれぞれの名前も、子供達が直感で名づけたもので、最初はこんがらがってしまいましたが、毎朝餌をやる時に名前を呼んで順番にあげながら頭を撫でていると、自分の名前の時に返事をしてくれるようになり、微妙な毛並みの違いもはっきりと理解出来るようになりました。
名前というのは、その子が初めてもらう一生の宝物であり、最初のプレゼントだと思います。
私には二人の子供がおり、現在は大学と専門学校に通っており、親元を離れて一人暮らしをしています。
上の子の名を「瞬」といいます。
妻のお腹の中に赤ちゃんがいる事を知った時、私達はすごく嬉しくて、二人で日記を書き始めました。お腹がある程度大きくなるまでは東京で生活していましたが、妻の体調を考えて話し合い、妻の実家のある新潟で里帰り出産をする決心をしました。
家族もいるし、車で通院も出来るので安心でした。予定日より早く産まれそうだと妻から連絡をもらった時、私は三軒茶屋にあるラーメン屋さんでつけ麺を食べていました。慌てて食べ、一旦桜新町のアパートに戻って身支度を済ませ、そのまま山手線と新幹線を乗り継ぎ、長岡へ向かいました。
途中から雪が散らつき始め、私は期待や心配などのたくさんの感情が万華鏡の模様のように頭の中、胸の内で色彩を放っているのをドキドキしてひとり感じながら、窓の外の雪景色を眺めていました。
赤ん坊は無事に産まれ、2920グラムの元気な男の子でした。妻は感激のあまり泣いていて、私の手をしっかりと握ってくれました。
「頑張ったね!」と言うと、「ありがとう」とお礼を言うので、私の方がお礼を言わなきゃいけないのにと思ったら、胸が熱くなりました。
それから二人で名前を考えました。顔を見てから考えたいと妻が言っていたので、赤ん坊の顔をずっと見つめてあれこれ考えました。
妻は、「優しい子に育ってほしい」というのが一番の願いでした。そして二人で「瞬」という名前に決定しました。妻のお父さんが、「響きはカッコいいけれど、瞬っていう漢字は短いっていう意味じゃないの?」と少し心配していました。
私達は、「花火や流れ星など本当に美しいものは一瞬で見る人全ての心を綺麗にしてくれる、だからそういう人になってほしい、そしてその価値がわかる人になってほしい。また優しい行動を勇気を持って出来る子になってほしいし、人が見ている時だけでなく、瞬きして目を閉じている時こそ誰かにそっと手を差し伸べる勇敢な人に育ってほしい」
そういう意味を込めた事を伝えました。お義父さんも、「なるほど、いいじゃないか!」とガッツポーズをしてくれました。
下の子の時も、同じ病院で出産をしました。
瞬の時よりも大雪で、窓の外は一面の雪景色でした。熊本で育った私には、とても珍しい光景で、ふと気が付くと雪を眺めていて、それを見た妻はいつも不思議そうに私の名を呼び、ハッと我に返った私を笑っていました。
赤ん坊は、2755グラムの元気な女の子でした。
大きな声で泣くので、「この子は可愛らしいおてんばさんになるかもね」と看護士さんがほっぺを触って笑いました。
私達はいろいろ考え、「若菜」と名づけました。
いつまでも若々しく、どんな時でも明るく女の子らしい子であってほしいと、妻が提案しましました。窓の外の木々にはとめどなく降り続ける雪が覆いかぶさっているけど、その雪の下では春に咲くつぼみがじっと待っているから、そんな意味も込めて若菜にしたいなと言いました。
夫婦になって、自分達以外の誰かのために行う最初の大仕事が、子供の名前を考える事なんだなぁと思いました。だからこそ、いつも当たり前のように呼んでいる子の名前を口にする時、あの時の感謝の気持ちを決して忘れてはならないなと思います。
そして名前には、その短い言葉の中に温かく、笑顔にあふれたたくさんの希望が詰まっているので、子供の名前だけでなく、自分の名前にも感謝の気持ちを持っていきたいと思っています。
娘は泣いたり笑ったり忙しいですが、天国の妻に似てとても優しい性格だと思います。おしゃれが大好きで、たくさんの友達に囲まれ突然電話をかけて来て、誕生日おめでとうと、一番に言ってくれます。
息子は少しおっとりとしていて、性格ものんびりしています。高校生の時は吹奏楽部に入っていて、新しく入った後輩の子を、毎日自転車を押して駅まで送っていたようです。
帰省した時も、自転車で友達のところへ向かう用事がある時、ウォーキングをする私の横に並んで自転車を押し、「同じ方向だけん、一緒に行くよ!」と言ってくれました。「自転車押して歩くのはきついし、待ち合わせに遅れるけんよかよ、はよ行きなっせ!」と促しても、「別にきつくないし、みんな時間通りに来ないからいいよ」と言いました。
交差点で分かれる時、この前一緒に買った香水の香りがほのかにしました。そして手を振って行く後ろ姿がとても頼もしく思えました。
晴れの日も、曇りの日も、雨の日も、二人で名前を考えたあの大雪のような日でも、あの時大事に名前をプレゼントした子供達の笑顔と背中が、遠い妻のところにも届いていてほしいと思う今日この頃です。