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自己紹介③アディーレ法律事務所設立の秘話

法律も医療も知らないだけで損をする、弁護士・医師・YouTuberの石丸です。
本日もよろしくお願いいたします。

本日も引き続き、私の自己紹介動画を上げさせていただこうと思っています。
今回の内容は前科がついてから何とか弁護士になって、アディーレ法律事務所を設立するまでという内容になっています。
アディーレを設立するまでには、一人の女性が深く関わっているという経緯がありますので、その辺も含めてお楽しみいただければと思います。


弁護士事務所を10ヶ月で辞めてアディーレを創るようになった流れは?

企業法務とか商売系の倒産とかのブラック系の事務所で弁護士7~8人くらいの事務所に入ったんですけど、結構暇な事務所だったんです
あの頃って割と忙しい事務所が多くて。
みんな「忙しい、忙しい」って言ってたんですけど、暇だったんですよね。
ほとんど定時帰りみたいな。
日中なんかやることないから「今日、本2冊読んじゃいました」とか。

ある意味では楽園ですけどね。
ホワイトカラーですけど。
もっとチャレンジをしたかったということですか?

周りが忙しいっていうと単純に焦るんです。
差が結構ついてるだろうなと。
実際、その当時はついてたと思うんですよ。
僕は暇だったので、相変わらず彼女いながら酒を飲んだり。

まだ酒と女に溺れつつ、弁護士してたんですね。
それで暇で他はすごい頑張ってるから焦りを募らせて辞めてアディーレを創る?
これは繋がってるんですか?

いや、じゃなくて、きっかけは実はさっきから出てる彼女なんです。

歴史に影響を与えるクレオパトラみたいな人いたんですね。

別の男に取られたんですけど、事業家に取られたんです。
取られたことが悔しいというよりかは、事業家に取られたことがものすごく悔しくて。
かつ「そうだ、俺そういえば事業やりたくて弁護士取ったんだ」ってことも同時に思い出したんです。

ベンチャーにお世話になってる時のスピリッツが沸いてきて?

じゃあ「ここで独立してやってやろう」ってなってからのアディーレ設立。

全国に名を轟かせたアディーレの始まりが、しかも奥さんではなく浮気相手を取られたこれからの始まりということですね。
アディーレを創って、当時から事業家に負けないような、事業としてやるわけなので、全国津々浦々?

事業は結局、規模の拡大を、いかにスピード感を持ってやるかというのがあって、僕が当時ベンチマークとして立てたのは、病院の徳洲会です。
いわゆる各地域に病院をポコポコ創っていって、全国まではいけてないですけど、半分くらいいってるんですかね。
あれの法律事務所バージョンを創りたいなと。
法改正が矢継ぎ早にあって、「広告ができます」「支店も作れます」「弁護士法人も創れます」「報酬規定の撤廃」
普通の会社が普通に自由競争できるようなバックグラウンドがダーッと作られていた時期だったんですけど、ほとんどの事務所がそこには乗らなかった。
あの司法制度改革にある意味、一番乗っかったのがアディーレ。

規制緩和の中で規制産業のぬくぬくの中でバリバリの競争で攻めてきたということですかね。
最初はどこで創られたんですか?

池袋の隣の駅なんですけど、そこは僕が当時借りていたアパートの台所に、ホームセンターの机と椅子、中古のコピー機を。

当時は誰も雇ってないんですか?

一人です。

アディーレの最初は千里の道も一歩からということで。
Amazonだってガレージっぽいところで、ダンボールみたいなので直接とかやってましたけど。

本当に狭かったですね。
伸びるとコピー機にガンッと頭をぶつけたり。

割とすぐに池袋のでかいところに行きますけど、その前はこんな感じだったんですね。
そこからどういう転機で大きくなるんですか?
相当早く大きくなりますよね?

そうですね。
その時にやっぱり債務整備に色々分析した中で絞っていこうという、そこはやっぱり当時の時期的に当たってたっていう部分はあったと思うです。

有名なグレーゾーンに関する最高裁が2006年に出て、この辺は詳しくないですけど、私の理解としては、その後グレーゾーンの隙間部分を取り戻せると、ワーっと特需の波に新しいところがいい感じでに乗って、それで一気に大きくなったっていうざっくりしたイメージがあるんですけど、そんな感じだったんですか?

報道とかでも間違って伝えられているところがあって。
過払い請求っていうのは昭和30~40年代からあったんです。
刑事上出資法違反で捕まりますよっていうのと、民事上の上限金利っていうのは昔から差があったんで、そこの差っていうのは過払い返還請求で昔から戻せます。
2006年の最高裁は「みなし弁済」っていう例外的に利息制限法を超えた金利が有効になる場合があるっていうところの空文化させたっていうだけの判例なんですね。
だから過払いがこの判例で発生したわけではないですし、その前から過払いの返還請求っていうのはうちもやってたんですね。
ただそれにこの判決が拍車をかけたというのがあると思うんですけど、これをきっかけにっていうことではなくて債務整理っていう借金の整理ですね。
だからそれ自体がすごくサラ金とか商工ファンドみたいなところが、ものすごく個人とか中小企業に金を貸していて、特に大手のサラ金の創業者の人たちが、長者番付の10人中4人いる時期でしたから、だからそっちが先っていうことだと思うんですよね。

元々あったやつを「これくる」と思ってやってたら、更に追い風というか拍車をかける最高裁判決が出たので、その道を更にやっていったと。

そうですね。
過払いというよりかは、借金の整備自体の方が大きいですよね。
過払いの売上構成費って多分2~3割もなかった気がします。

それが一つ「アディーレと言えば」みたいなところで、そこで来たお客さんが債務整備全体をお願いするから、そこで売り上げが立つ?

破産の申立てだったり。
多分、あんまり債務整備やられていない方は、どうしても過払いのイメージがすごい強いと思うんですけど、結構メディアがそういう説明の仕方をしたんですけど、実態はそうじゃなくて、借金が返せなくて困ってます、みたいな感じから来る人が全体の8~9割人です。

そこから来て、いろんな債務を整備してあげている中で、過払いの返金もあったり、ワンオブゼムのサービスなんですね。
知らなかったですね。
誰も報道してくれない話なんでね。

過払いっていう方がわかりやすいし、センセーショナルですよね。

CM的にも司法書士事務所とか「返ってきます」っていうところで、完全に過払い請求を呼び水というか、バナナ的な感じで安く宣伝してという。

あそこの事務所さんは「返ってくるぞ」っていうのを前面に出してますよね。
うちはそんな感じのCMではないです。

そんなアディーレは債務整理等などで、ある種着実に大きくなってくるわけですけど、2004年10月に開業されているんですけれども、なんと半年後の2005年4月には法人化して、今も有名なサンシャインに移転したのが、この法人化の時ですか?

そうですね。

そうすると小さいところから半年でサンシャインに移ったということですね。
また相当、敷金とかもかかるんじゃないですか?

敷金は確か当時2~3,000万だったので、当時あった現金を全部敷金に突っ込みました。

半年だったら、もう少し中規模のところに行ってから、金入ったらサンシャインっていうのも普通な気もしますけど。

一応一回、20坪ぐらいのところを借りたんです。
最初は自宅の台所だったので、誰も雇えるスペースとかないんで。
1人で回んないなってなった時に、20坪ぐらいの池袋のところを借りて、1ヶ月半でそこに移って、3ヶ月ぐらいしかいなかったんですけど、もうすぐ手狭いになっちゃったんです。

どんどん人を雇えた?

そうですね。
仕事も無限にくるみたいな感じでした。

ホームページとか、そういう宣伝が上手くいっていたということですか?

ホームページは大きいと思います。
当時、弁護士が2万人ぐらいだって言われていて、ホームページがある事務所って500もなかったです。
ほとんどの人が作ってない。

口コミだけで集客していた?

そうですね。
今と全然違いますけど、20年も前の話なんで。
だからホームページは1つ大きかったんでしょうね。
あとは小さいながらも交通広告とか、やれることはやれる範囲のお金の中でやってたっていうのもあったんで。

確かにマインドが弁護士スタートというよりも、事業家に取られたというところから始まって、ベンチャースピリッツというか事業として見ているので、広告をうってお客さんを集めることに抵抗がないわけですね?

抵抗はないですけど、他の弁護士とか弁護士会からは、かなり色々言われてるっていう時期です。

この時点で広告が品位を害するとか?

2001年に自由化になったんですけど、やってるところがほとんどなかった。

皆、空気を読みながら。

「今まで通りやろうぜ、そんなの無視して」みたいなのが主流派でした。
だから広告うってるだけでも、少しおかしい事務所だったみたいな感じの考え方をする人達が主流派でしたから。

直接嫌がらせとかありましたか?

ありましたね。
派閥のを外されたりとか、あとは色々ネットとかで言われるみたいな。

ネットを書きがち弁護士、陰口的な感じでね。

そうですね。

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