財務省・Zが日本を操っているのか?ザイム真理教の正体は?
今日は「日本を操っているのはZ」か「ザイム真理教は本当なのか」を解説したいと思います。
森永さんがザイム真理教という本を出してから、日本を操っているのはZ・財務省かと、よく質問をいただきます。
私自身は財務省にいたので、ある種インサイダーでもあったので、しかも予算を編成する市計局というところに長くおりました。
その意味ではある程度知っているという意味で、私なりの話をさせていただきたいと思います。
私の説は財務省は「岩説」なんです。
財務省が岩のような存在であるということで、皆さんに解説したいと思うんです。
海の中には岩があります。
海の海底で岩が出ているところがボコボコあったりするんですけど、私は財務省って岩だと思っているんです。
満潮の時には岩は見えないんです。
だって潮が満ちているわけですから見えないんですけど。
ただ潮もこう干満があって、干潮の時になり水位が下がってくると岩は見え始めます。
私はこの水位を政治的水位と呼んでます。
この政治的水位が高い時はどういう時かというと、例えば政権が安定して、最近で言うと安倍政権とか長期にわたって選挙で勝ち続けて民意をしっかり得ていると。
そして明確なビジョンがあって、こういう政策を必ずやりたいんだという時がある時は水位が高くて財務省の影は見えない。
というか、それをある種凌駕するような政治的な力がある時は、財務省の力は相対的に低くなっているということなんです。
ただ一方で、政治的水位が下がってきて、例えば政治と金の問題が出たりして国会で追及されたりそっちばっかりになっちゃいますから。
何か政治的な力を発揮することができなくなる、あるいはそもそもその政権にやりたい政策があまりないと。
岸田政権も若干こういう批判を受けましたけども、そういうことになると政治的な水位が下がってきて、今まで隠れていた岩が見えるようになるということなんです。
何が言いたいかというと、財務省っていうのは基本的には岩説で言うと、設置法というのがあります。
これは財務省だけじゃなくて、各省は設置法という、その役所が何のために、どういう目的で設置されているのかということを定めた法律があります。
財務省の場合は財務省設置法がございまして、その第3条で任務ということを書いてるんですが、その任務の一つに「健全な財政の確保」というのを書いてるんです。
財務省も役人なので行政組織の一つですから、国会つまり国権の最高機関である国会で決めた法律に従って仕事をすることが当然求められます。
もう一つは財務省の岩盤としての仕事の一つは予算編成があって、予算編成は予算をつけたりとか削ったりということ、それ自体非常に大きな力なんですが、それ以上に私が実は財務省が大事な力を持っているのは、予算編成のスケジュールを管理していること。
例えば5月ぐらいに、だいたいどれぐらいの税収が来年度入ってくるかとか、どれぐらいの予算が必要になってくるとかということを推計を始めて、それに基づいて6月に骨太方針があって、だいたい各省から「こんな予算が欲しいな」という欲しいものリストの塊が骨太方針なんです。
それに基づいて各省が予算要求をするために概算要求基準というのが出されて、それに基づいて要求を決めて8月末までに概算要求という各省からの「こういう予算が来年欲しい」ということを財務省の主計局に締め切りまでに要求するわけです。
そこから9月から予算を「これはOKだけど、これはダメだ」という査定作業が始まっていって、それで11月12月ときて12月のクリスマスの前ぐらいまでに政府案というのは決定していくわけです。
ある意味、予算編成というのは年間のスケジュールなので、これがずれてしまうと、来年度つまり4月からの予算がないってことになるし、1月の通常国会に始まる、そこに提出する予算案がないってことになると、これはもう大変なことになるので、その意味ではいろんなもののスケジュール管理を基本的にやっていると。
こういうことをする権限を持っているので強いんですが、たださっきの話で何があろうと彼らはこれやってるんです。
ただ政治的な推移が高い時、例えば健全な財政の確保と書いてあっても、それは別に単年度でやる必要ないだろうと。
多少国債発行してでも、今は経済良くする時だから、単年度では少し財政のバランスが崩れても積極財政でやれとか。
またそれを押し切る政権の安定があれば、財務省はちゃんと言うことは聞きます。
ただ長い期間において健全な財政の確保は当然彼らは引き続き求めますけども、本当に政治が強い明確なビジョンと政権の安定があれば基本的に財務省も一行政機関ですから、ちゃんと政治の言うことは彼らは聞くわけです。
そういった様々な知恵も持ってますし、時々特別なポケットを持っていて、いきなりお金が出てきたりもするんで、その意味であれば柔軟なんです。
ただそれをやるための政治的な推移が高い時しか、ある種、岩を押さえて政治が上に行くことはできないわけです。
だから逆に政治と金の問題が生じて、今みたいな時はやりたい政策が可能性明確じゃない時は、その時は「我々のスケジュール通りやらせてもらいます」、そして基本的には健全財政の確保ということで、いわゆるbalance budgetという収支が整う、単年度で整うような、どちらかというと引き締めた予算をやります。
何でかというと法律に書いてるからです。
いずれにしても財務省は岩で、いつもそこに鎮座していて、やることも基本的には同じなんです。
むしろ私がこの間感じてきたのは、政治的な力が非常に逆に弱くなってきていて、財務省を抑え切る力を政治の方が失ってきている。
あるいはそれを発揮する環境を自ら壊していっているというような状況があると、結果として財務省が相対的に目立つようになると。
今だと最近ザイム真理教と言われるのは、水位がいろんな意味で下がってきているので、ポコンと目立つようになってきていると。
だから私は財務省出身だから、多少財務省のことも少しわかるので、かばっているように見えるかもしれませんけど、そんなに悪気を持ってやってるわけじゃないんです。
むしろ私は政治の方が体たらくになってきていて、財務省だって言っても一行政機関なんで、それをきちんと抑え切る力を政治が失いつつあるんじゃないのかなと。
ある意味、尻拭いを最後に財務省がしていると。
よく予算編成過程の時に私も経験しましたけど、政治家の先生方がよく「財務省が頭が固くて予算がつけられなかったんです」って言って地元の県会議員とか議長さんに説明していることがあるんです。
これも情けない話で、それは自分の政治力がないことを財務省のせいにして、またその要求した側も「財務省がきついんだったら仕方がないですよね」ってなぜか納得してしまうという。
一役所にが「いいからOK」で「ダメならダメ」みたいなことを皆納得している、そういうこと自体どうなのかなと思いますけど、私はそこも含めて政治の力がないというか落ちているというか、そこが一番の問題なんではないのかなというふうに思います。
私の経験した範囲で言うと、例えば国税庁を持っているんで、言うこと聞かない、無茶言ってきた政治家がいたら「脱税しているぞ」とか半分脅して、それで言うこと聞かせるみたいなことがよく言われますけど、それはありません。
そういう時の政権の方針に従った予算編成しなければ、財務大臣が、例えば次官なり主計局長を更迭すればいいんです。
あるいは更迭するような財務大臣を総理が任命すればいいんです。
それはちゃんと言うこと聞きますから。
ただその意味では政治の力が落ちてんだというふうに思います。
財務省が全部悪者というよりも、政治と表裏一体なんで、財務省が悪い時はイコール政治にも大きな責任がある、というのを皆さんにもわかっていただければというふうに思います。
今日はよく聞かれる質問「日本を操っているのはZか財務省か」ということなんですが、私なりの財務省「岩説」について解説させていただきました。