それは甘すぎて、ドクみたいに赤かった
今年ひとつ目のイチジクをもいだ。
裏庭でにょきにょきと幹を伸ばすイチジクの木は、父が大切に育てているものだ。これからふくらむ予定の小さな実が、大きな葉っぱの隙間から、ちらちらと見え隠れする。
雨水をたっぷり吸い込んだしもぶくれの果実は、ずっしり重そうにたわむ。もう少し熟したら、おしりのところにぱっくり裂け目が入るだろう。そしてそこから、赤黒い種がのぞくのだ。白くて甘い汁がつうと滴る。しっかりと甘いけれど、舌の奥には涼しげな酸味が残る。つぶつぶをトロリと包む滑らかなジュレ状の果肉を、喉で味わうようにして飲み下す。わたしはイチジクの木の前に座り、うっとりと、その様子を思い描く。
葉っぱから漂うほのかに甘い香りを胸いっぱい吸い込むと、初夏の清々しい空気が体の隅々まで行き渡る気がした。一体いつからだろう?イチジクの収穫を待ち望むようになったのは。小さい頃は食べられなかった。べとつく甘い汁の匂いを、身をひそめながら遠くで嗅いでいた。
初めてその果実のなかみを目にした時のことを、いまだにおぼえている。と言っても、詳細な出来事をおぼえているのではない。わたしは多分4歳か5歳だった。
映画のワンシーンみたいに。それか、何の気なしにめくっていた画集にいきなり現れた、強烈な絵画みたいに。くっきり、記憶の深いところに焼きついている。目を瞑ると、蘇るその光景は深い赤。
赤。深くてそれでいて鮮明な赤が、大人になったわたしの網膜をパアッ、と染めた。
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祖父母の家に来ていた。季節はおそらく夏で、多分お盆休みか何かで、わたしと両親の他には、叔父や叔母などの親族が集まっていた。絨毯を敷いた居間の床に皆だらりと座り、同じちゃぶ台を囲んでいた。
その家では猫を飼っていた。毛足の長い、ペルシャ系の猫で、名前はちょろと言った。ちょろはプライドが高く高飛車で、子供が嫌いだった。わたしは一度、無邪気にちょろに近寄って撫でようとしたが、ちょろは機嫌を損ねてわたしの手の甲をシャーっと引っ掻いた。わたしは大泣きした。
それがトラウマになったわたしは、なるだけ彼女(ちょろ)とすれ違わないようにいつも部屋を逃げ惑っていた。母や叔父は、いとも簡単にちょろを捕まえて抱き上げることができた。そんな時ちょろは、わたしに見せるツンとした顔など忘れたように、びよーんと間抜けに身を伸ばし、ゴロゴロ無防備な声を出したものだ。わたしは両親の背中に隠れて息を潜めていた。仲間はずれにされたようで、なんだか面白くなかった。
食後のデザートよ、と祖母が朗らかに言った。祖母の声はいつでも快活でよく通り、歌うように愉快にはずんでいた。わたしは嬉しくなってちゃぶ台に身を乗りだした。デザート、の響きほど、子供の目を輝かせるものはそうない。
パタパタとスリッパの音をさせて台所から出てきた祖母は、大きな丸い平皿を持っていた。イチジクよ、と明るい声が言った。それをわたしは知らなかった。目をキラキラさせて、わたしはお皿を覗き込んだ。
そこには、今しがた弾けたばかりの、真っ赤な花火があった。
縦8等分にカットされたたくさんのイチジクが、きれいな放射状に並べられていた。みずみずしいその果実の断面は、赤くて、所々黒くて、ぶちぶちとしている。わたしは息を呑んだ。初めて見る、たべものだった。あまりにも赤くて、奇抜で、嘘みたいにきれいでーーそれはまるでドクみたいに、嘘みたいにきれいだったから、わたしは怖かった。そのドクは、むせかえるほどに甘ったるい匂いを放って弾けていた。
おそるおそる齧らせてもらったその果物は、喉が焼けつくほどに甘かった。独特な匂いが鼻を抜けた。わたしは途端につまらなくなって、ちゃぶ台から離れた。おとなのあじだからねえ、と誰かが言った。またわたしだけ、仲間外れだった。部屋の片隅に戻って、大人たちの背中越しにぼうっと食卓を眺めた。
おとなのあじ、が舌にしつこく残っていた。ちょろが目の前を横切るので、身をすくめてじっと固まる。鼻をかすめる、じっとりと湿った空気には、あの甘い匂いが混じっている。テーブルの上にまだ残っている果実を見る。ドクのような赤がそこにはある。消えてゆく真っ赤な花火を、わたしはぼんやり見ている。
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拝啓 あんこぼーろ様の「あの日の景色。あの日の味。」企画に参加させていただきました。楽しいお題を企画してくださり、ありがとうございます。
趣旨が違ったかもな〜と思いながら、おそるおそる投稿です。
あの日の景色、ばかり描いて、味にはあまり言及できなかったな。当時は好きじゃなかったので。大人の味がわかるようになって良かったです。
では、ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
貴重な時間を使ってここまでお読みいただき、本当にありがとうございます。