大阪府・大阪市西成区【街の中の私、私の中の街】
モータープールを囲んだ文化住宅の長屋で幼少期から過ごした。
道路から少し離れた区画だったので、
鍵をかけない家も少なくなく、一帯に住んでる子供達でなにかしらの遊びも全てこの区域で完結していた。
知らない人も居ないし親同士仲も良いので、夕食後に遊びに出掛けて門限など無く遊び、23時を超えて帰ってくる日も多々あった。
今思うとそんな小学低学年ってどうなんだ?
窓を開けて焼き肉なんかしてたら、火事よ!火事‼︎なんて言って周りが騒ぎ立てる。
お節介が過ぎる。
まぁそこが良いところでもあるが…。
文化住宅の前には通っていた小学校があり、予鈴を聞いてから登校できたもので
あまりの近さからか、あるときパジャマで登校したこともあった。
高学年になった頃、少し離れたあいりん地区で暴動が起きた。
後に調べたところ釜ヶ崎暴動とも呼ばれ、このあたりでの22回目の暴動らしい。
火炎瓶など投げ込まれ、なんでもかんでも興味を持つ私は母に「見に行きたい!」と言った。
もちろん却下である。
そりゃそうか…。
当たり前である。
でもそんな出来事が大好きだった年頃だったため仕方がない。
母が入院した時も、誰にも告げずに自分の小遣いでバスに乗って少し離れた病院まで一人で行き、みんなに驚かれたっけ…。
小さい頃から行動力があり、一度行った場所など記憶力は良かった。
一般的に西成と言えば、やはりあまり良いイメージは持たれないのかも知れない。
公園にはホームレスが当たり前だったし、ヤンキーやちょっと変な人も多かったかも。
それでも何故か好きだったようだ。
ホームレスに何も恐れず話しかけては仲良くなったりした。
バカにしたこともあった。
今思えばそんな自分が一番バカだとは思うが、一生懸命生きててもうまくいかなかった人もいれば、何もかもが嫌になって全てを放棄しながらもそれでも生きて行かなければならないということが理解できなかったんだろう。
それでも優しい人はたくさん居た。
初めから怖い人はいない。
威嚇は優しさかも知れない。
そう思えるのも西成区に住んでいたからか…。
たぶん
今の私は変さはこのあたりに形成された。
高校に入り他学区に行ったため、西成区に対しての差別を目の当たりにすることになる。
でも周りの環境や友好関係が良好だったのもあり、「じゃあ今度みんなで西成来てみてや!」などと、むしろこちら側に巻き込むことに成功。
我ながらあっぱれである。
ネガティブだった私が少しポジティブになれたのはこの時期だ。
育った街とその他の街。
そこを知ることによって私は私であるべきで、もっと自信を持っていいんだ。
バカにされたって生まれ育った街は変わることはない、だったら開き直るしかない。
そんな考えに至った。
なんで差別されるんだろう?
なんで笑われるんだろう?
なんでおっちゃんたちはそこら辺で寝てるんだろう?
なんでみんなに嫌がられるんだろう?
そんな「なんで?なんで?」が今現在の芝居であったり役作りであったりにいきてきている。
【なんで?】
私の中ですごく大切な言葉である。
素直な疑問が追及に繋がる。
未だにちょくちょく帰るが、新しく出来た施設や取り壊されてしまった店。
変わらず人通りのある商店街。
ちゃんと今という時を過ごしてるように思える。
私たちは今を生きている。
自分自身も変わらないもの、変わり続けるものを楽しみながらこれからも過ごしたい。
新開地ニューあそび場の創造
安住の地「ライトシティ」
日時:2024年2月9日(金) ~ 25日(日)
場所:新開地アートひろば
あたらしい街にやってきて思うこと。
見慣れない街灯、住宅の明かり。
どれもまだ自分の街じゃない。
いつしか私は住人を名乗り、自分が「街」の一部に変わる。
気が付けばその街が「自分自身」を作っている。
本企画のテーマは「街に馴染む」
安住の地劇団員が考えた関連企画や、訪れた人の手で変わっていく展示空間、そして新作の演劇作品を発表します。
リニューアルした新開地アートひろばで、
安住の地と一緒に、新しい街「ライトシティー」を考えてみませんか?
演劇公演『あかり。』
脚本:武田暢輝
演出:森脇康貴、武田暢輝
〈あらすじ〉
そこに街があった。私たちは街の中で、街の一部として生きていた。
その街に生まれた新生児・灯(あかり)の身体は光をまとっていた。
灯は身体が発光する以外は、どこにも異常はなかった。ただ、光り続けていた。
いつしか街のシンボルになった灯は、この街の一市民になることを夢見る。
詳細はこちら▶ ライトシティー特設ページ
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