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2030年の世界について語る #GO2030 「個人が支え合う真のシェア社会に」
日本経済新聞の特集 #GO2030 でインタビューを受けました。
短期的な視野になりがちな今の状況下だからこそ、10年後の未来の世界に自分は何を望むのか、そのためにどう行動するか、自らに問うことはとても重要であると感じます。是非特集の様々な方の記事を読んでみてください。
先日こんなnoteを書きました。
感染に対して、適切な手段を講じることと、どんな心持ちでいるかは別のこと。しかし恐怖心が先行して「手段が正義化」し、コロナ感染が心の分断を生んでいると。
シェアリングエコノミーの側面から言えば、目下の経済的ダメージはもちろんですが、それ以上に他者への不信が広がることで、消費者、ユーザーにとってシェア的な世界が遠ざかってしまいかねないことに心が痛みます。
昨日、サピエンス全史やホモデウスの著者、ハラリ氏がFinancial Timesに寄稿したアフターコロナの世界への考察記事を興味深く読みました。
私たちは2つの選択に迫られる。
◯テクノロジーによる独裁監視社会の到来かor 市民の協調で解決できるか
◯国の分断による国際社会の崩壊かorグローバルな協調か
いづれもキーワードは「信頼」であるとハラリ氏は提言しています。
今回のコロナ感染で、この世界がいかにつながっていて、一人ひとりが何を信じるかの連鎖がが世界を左右し、全体に相互し合うことを私たちは思い知らされたのではないでしょうか
信頼の研究をされてきた山岸教授の言葉を借りれば、
地球上には安心社会と信頼社会という二種類の社会が存在する。
●安心社会=メンバー同士の相互監視や制裁といった仕掛けを通じて、人間同士の結びつきの不確実さを解消していこうという社会のあり方。
●信頼社会=社会が提供する「安心」に頼るのではなく、自らの責任でリスクを覚悟で他者と人間関係を積極的に結んでいこうという人々の集まり。このような社会では、他人から裏切られたり、騙されたりするリスクはつきものだが、他者と関係を結ぶことによって得られるメリットのほうが大きい。
山岸俊男著『日本の「安心」はなぜ消えたのか』
今の状況は、社会が提供する「安心」に頼りすぎていて、私たちがどう意識を持つかという意識的責任を取らずして、組織や仕組みに対して必要以上に期待する流れになっているのではないでしょうか。とはいえ政府や組織に完璧であって欲しいと思っても完璧を期待するのが難しいと悟ってしまっている私たちは安心社会と信頼社会の両軸の揺らぎの中で、自分が何を信じるかという軸を持って生きていくしかないという状況にあるのだと思います
国や企業が社会的役割を背負っているように、
私たち個人もまた「意識」の持ち方に社会的役割を背負っていると思います。
いつの時代も、一人ひとりが何を信じて、どうしたいかという思いや社会観の積み重なりが全体を成し、政治も経済もつくられてきたから。
10年後に私が描く世界は、一人ひとりの市民が自らが勇気を持って前向きな社会を描き、他者に対して自分の境界線を開き、手を差し伸べえる社会。そんな社会の到来をいち早く迎えに行く為に引き続き活動していきたいと思います。