死の設定
「明日死ぬと思って生きている。そう思いながらやりたいことやってベストな1日を生きている。」
そう言っている人が理解できなかった。
しかし、最近深田さん(YOYOの社長)の講演をきっかけにわかった気がした。
まずわからなかった理由。
想像してみて欲しいのだが、明日死ぬって思った時に、何をしたいとなるだろうか?
ディズニー行ったり、焼肉食べに行ったり、豪遊することばかりが思い浮かぶはずだ。又は、大切な人にお礼を言いに行くとかかな?
だがそんなことやって、好きに生きてるって言われても、長期的に見たら「本当にやりたいことなの?」となる。
なので、「死について考えながら生きるといい。」というのが理解できなかった。
理解できるようになった理由。
「3年後に死ぬって余命宣告受けたら何がしたい?」
深田さんにそう言われて、なるほどと納得した。
この3年間というのが絶妙な気がした。
5年や10年だとまだ長いなとなる。逆に1年だと出来ることが限られてくる。
考えれて2年3年がちょうどいい。
この考えだと、やりたい事は2種類出てくる。1つは短期的欲求、もう1つは、長期的欲求(目標)である。
短期的欲求は明日死ぬと考えた時に出てきた豪遊や大切な人に会いたいなどである。
これに対して、長期的欲求はピアノ上達したい、学校を作りたい、起業したいなどに当たる長期間時間投資をしないと達成が難しい欲である。
3年スパンで考えると、この両方達成したいとなる。
つまり、3年後と設定した場合、明日死ぬと設定した場合に生まれる、明日死ぬと思いながら生き続けてしまったときに出来るシコリが、出来ない。
言い換えると、3年間の時間のポートフォリオが短期的10から短期3、長期的7に変わる。
これが自分にとって新しかったし、しっくしっくりきた。
これにより、何となくやりたい事の取捨選択ができる。
今この考えで満足しているか自問自答してみた。
半々である。
やりたい事が出来ている部分もあるが、出来てない部分もある。
ただ、やりたくない事は、やっていないのでおーけだと思う。
何より3年後に死んでも後悔はない。
もし、今後人生に悩んだり、違和感があるときはこの考え方で自問自答したいと思う。
いや、常に自問自答しながら、自分の人生のベストを尽くすことを心がけよう。
以上死についての考え方のアップデートでした〜
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