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青柳拓監督『東京自転車節』を観てきました!

さてさて。インドとはあまり関係がないのですが、若きドキュメンタリー作家、青柳拓監督の『東京自転車節』を観てきました。

コロナ禍で仕事がなくなり、山梨から東京に来てUber Eatsで稼ごうという27歳の映画監督のセルフドキュメンタリー。主にカメラをまわすのも、主演も、監督ご本人。

東京でUber Eatsをしながら撮ってみないかと青柳監督に持ちかけたのがプロデューサーの大澤一生さんとパンフレットで知る。昨年、公開初日に観てその後ずっと私の心にある映画『タゴール・ソングス』も大澤さんプロデュース作品で、編集も同じ辻井潔さん。

そうそう、私の父は監督の生まれ育った町とおそらくとても近い六郷町落居の出身です。監督の家族や友だちとの会話は、子どものころ親戚の集まりで耳馴染んだ山梨の言葉でした。

そんなちょっと不思議な既視感がありつつ始まった本作では、監督のすっトボけたようなキャラクターにクスっとしながら、次第になんとも消化しきれないムズムズが沸き起こる。世代も2レベルほど違い、普通に考えたらまったく接点のない青柳監督なのに、全編あちこち刺さりまくる。

おそらく「怒り」という点で。

既視感のある光景

なにを隠そうわたくしも、ちょうど監督がUber Eatsのために東京に来たタイミング、2020年の5月にUber Eatsの配達を2週間ほどやりました。

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監督と同じく、新宿を中心に、渋谷や池袋、高田馬場、早稲田あたりを周っていました。本作で自転車で駆け巡る監督の見た光景はとても既視感があって、チラリと映っただけでも「あ、あそこだ!」と分かってニヤリとしましたよ。

映画の感想を書こうと思いつつ、すこし自分の記憶を辿ってみます。

やさぐれかあちゃん

そもそものきっかけは、監督と同じく、仕事がなくなったから。

2020年に企画していたすべてのツアー、視察、アテンド。私の生業は8割が海外渡航や海外からのお客様をベースに成り立っているので、全世界的に行き来が難しい状況ではどうにも続行しようがありませんでした。

それでも旅行会社の社員ならばまだなにかしらの身の置きどころはあったかもしれませんが、当時の私はインドへのツアー企画と添乗を手探りでなんとか形にし始めていた一個人事業主。滑り込みで行けた3月上旬の添乗を最後に、せっかく取得したビジネスビザも停止、インドどころか東京の自宅からも出られない外出自粛。

明日食うにも困るという状況ではないし、いざとなれば恥をしのんで両親に頼ることもまだできます(ありがたいことです)。

小学生の娘は休校で家から一歩も出ません。娘と毎日凝ったお料理をしたり、ベランダにテントを貼ってキャンプごっこをしたり。家のなかでなんとか楽しもうとあれこれ工夫しました。

これは天がくれた休暇なのだ。そう思って優雅に暮らした2か月あまり。よく食べよく寝た娘は身長がグンと伸びました。そして私は。

やさぐれた。

娘はかわいいけれど、もともと子どもに付き合うのが苦手なのに24時間ふたりきりはきつい。いつ仕事を再開できるのかまったく予想ができないのはきつい。運動不足でどんどん増量していく自分の見てくれザ・オバハン化もきつい。

そして始めた自転車行脚

買い出しに出れば、車通りが激減した街を自転車が何台も駆け抜けていきます。手が回らないときに私自身も利用していたUber Eatsの配達員です。

2004年〜2006年のロンドン時代、交通費節約のために毎日自転車を乗り回していたな。

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誕生日に一緒に過ごす相手もおらず、お金もなく、クサった勢いで「海を見るぞ!」とロンドンからブライトンまで遠征したこともあったっけ。

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人生で一番お金も身分も住む場所もなかった時期だけど、ひとりぼっちで風を切って走り抜けるのは楽しかった。

あれ、やってみようかなあ。

Uber Eats自転車を横目に見ながら数日考えました。

娘と離れる時間ができる。人とあまり接触せず、基本的にずっとオープンエアで稼働できる。ジムにはお金を払って行くが、これなら自転車で運動しながらお金を稼げる。

一般的に考えて、それなりにキャリアを積み仕事人生を送ってきたアラフィフになんなんとする女性がする仕事ではない、と思う。前職の金融業界の同僚が知ったらきっと驚かれたはず。

そして恐る恐る始めた稼働一日目。

新緑の眩しい都内を自転車で走るのは最高に気分がよかった!

大通りの信号待ちともなれば、Uberリュックを背負った自転車乗りがザッと見渡しても10数名。きっとこの人たちも本業は別にあるのだろうな。

見知らぬ配達員同士すれ違いざまに会釈していったり、配達先で「え、女の子がやってるの」と驚かれたり(女の子!(笑))、希薄には違いないがほどよい人との距離は、とても心地ようございました。

キャッシュのありがたさ

本作内でも触れられている通り、Uber Eatsの報酬は週払い。その日どれだけ売り上げたかはアプリでリアルタイムで分かる。

都会は息をしているだけでお金がチャリンチャリンと落ちていく音がします。気分だけは優雅にキメていても、頼れるパートナーもなく、収入も激減し、これから心も身体も伸び盛りの娘を抱えて、現実問題、そのチャリンチャリンは恐怖です。

そんななか、きっぱりはっきりアプリに表示される報酬額は、たとえそれが数千円だろうと、嬉しかったしありがたかった。当時の私の愛車は子乗せシートを取り外した10年選手の電動アシスト付きママチャリで、電池がもつのが6時間程度。残量ギリギリまで稼働して、その日売り上げた分の食料を買って帰ろうと決めました。

帰宅すると、留守番娘がアプリの売上額とスーパーの袋の中身を交互に点検する。

「ママ、今日はいくら稼いだの。あ、お肉だー! アイスだー!」

他愛なくはしゃぐ娘。日々減っていくだけの毎日があまりにも長く続いたからか、日銭が入って差し引きゼロなのは、ずいぶんと気持ちが軽いものでした。どこにも希望はないのに、ちょっとだけマシだからいい。その感覚はすでにすこしおかしいのだけど。

クエストというゲーム

Uber Eatsには「クエスト」という、ゲームのような響きの制度があります。設定された期間内に目標の配達数を達成するとボーナスが加算されるというもの。

自転車の電池残量という制限があり、小学生を家において一日中稼働するわけにもいかない私はエントリーすることはありませんでした。

本作の青柳監督はそのクエストに挑戦します。悪天候で配達員が少なく注文が続くという状況下、ピックアップの素早さ、最短ルートの選択など、ピロローンと配達リクエストが来た瞬間に脊髄反射で動き、ひたすら体力を奪われる過酷なひとりレースです。

一日中、身体を張って配達にあけくれて1万数千円のボーナス。ゲームクリアの達成感。はたしてその報酬は正当な対価なのか。

稼働中、和やかにすれ違う配達員もいれば、こちらには目もくれずすっ飛ばしていく配達員ともすれ違いました。クエスト中だった……のかな、たぶん。

作中、なにかがすり減っていく監督の表情。狂いながら笑う、それがおかしいとも感じない。インターフォンの前ではパッと爽やかな笑顔に切り替え、明るく元気に「Uber Eatsです!」

つらい。

アンジャリEatsな日々

タイヤのパンクで立ち往生、チェーン外れも数回。雨の日の濡れた路面でブレーキをかけて転倒したり、走行中にiPhoneを落としてバキバキに割ったり。本気勢ではなくても、毎日30キロほど走っていれば起こりうることです。

歌舞伎町から300メートルと離れていないマンションへの配達。夜の名残りを昼日中に漂わせる人たち。チップ制度が導入された直後、牛丼ひとつお届けしたらいきなりチップを弾んでくれた人。大久保から信濃町までのロングライドで運んだタピオカ。Google Map通りに行くと実は立体交差で渡れないトラップがあるルート、最後は徒歩で向かった。

1週間すぎて配達にも慣れたころ、ホームの新宿エリアにちょっと飽きて、流されるだけ流されてみようと思い立ちました。それまでは配達が終わると新宿近辺に戻っていたのが、行った先のエリアでリクエストを受け続けてみたのです。

辿り着いた丸の内や品川のオフィス街。渋谷は坂だらけ。港区はかつての同僚が多く住んでいる。タワーマンションは着いてから部屋までが遠く、エレベーターが行ってしまったらなかなか下界に降りられない。お金はあるところにはたくさんある。

六本木、西麻布、学生時代に浮かれていた街。赤坂、外資系証券会社でブイブイいわせていた街。10年通ったからほとんどのお店はよく知っている場所。

どの街に行ってもある、効率がよいと配達員に評判のいいファストフード店の前には待機の配達員がずらり。

……私は、よそ様の漁場を荒らしているのかもしれない。

リクエストに間が空いてちっともお呼びがかからない。配達員の溜まり場にはなんとなく近寄れず、落ち着いて待機する場所がない。ぐるぐると走り続けて。

2週間目、いっこうに出かけない私に娘。

「ママ、今日は稼ぎに行かないの」

よく焼けた手の甲を眺めた。

「今日はUber Eats頼んじゃおうか」

1日分の稼ぎを超える出前をワンクリックで頼んだ。

そういえば、イギリスで32歳の誕生日にロンドンから85キロを走ったブライトンの帰りは、列車に乗ったのだった。

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『タゴール・ソングス』と"Ekla Cholo Re"

さて私が本作を鑑賞した日は、上映後に映画『タゴール・ソングス』の佐々木美佳監督と、本作の青柳拓監督のトークイベントがありました。ともに28歳の若きドキュメンタリー映画の監督です。

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「最初、青柳監督の言動がまったく理解できなかった。100万円貯めるという目標があるなら、1日いくら売り上げて、それを何日続けてという計画を立てればいいのに、青柳監督はときどき訳のわからない無駄遣いをしたり無駄な日を過ごしていたから」という佐々木監督の言葉を聞いて、私はふと、ダイエットを思い出しました。

消費カロリーが摂取カロリーを上回れば痩せる。これとこれとこれを食べ、この栄養を摂り、これだけの運動をすれば、何日後には何キロ減る。でも実際は、優等生的なダイエットが順調に続いたあと、どこかでなにかをきっかけに、夜中にハーゲンダッツとポテトチップスを貪り食べたり、目の前にあるダンベルを手に取る気が一ミリもなくなったりする。

佐々木監督は本作を4回ご覧になり、「青柳フィルター」を通して作品を捉えられるようになったといいます。理論通りに進まない、理屈が通らない。完璧なはずのオペレーションをブレさせるのはいつだって己の心のありようで。

青柳監督が本作を撮影していたのはちょうど『タゴール・ソングス』が2か月遅れで公開されたころだそうです。青柳監督もご覧になり、タゴールの歌"Ekla Cholo Re(ひとりで進め)"をテーマソングに自転車で東京を駆け巡っていたと。

新たな日常はもう始まっている

本作のクライマックスとも言える箇所で、青柳監督の言葉の羅列が刺さる。ふたりの監督の対談にあった「いまは現実のほうが映画のようだ」という言葉が刺さる。

自分はなにに踊らされているのか。踊っている自覚はあるけれど、なにに、なんのために、この珍妙な踊りを踊り続けているのか、さっぱり分からない。いつも心にあるのは、ここで終わってたまるかよ、という気持ち。

青柳監督は現在もまだ、Uber Eatsで東京を走っているそうです。

私はその後、自分の漁場に近いところで相応しい仕事をなんとか捻り出して。

そして会社員時代、娘を妊娠中に独断で購入し、死にものぐるいで働き維持してきた物件が売れて多少の売却益を得て。

大好きだった陽当たりのよい広い窓からの眺望は今度はあの家族のものになった。買主のご夫婦の、連名の署名が眩しかった。

私のテーマソングも”Ekla Cholo Re”。「ぼく歌えますよ」と披露してくださったその歌、私も歌えます。でも蚊にすら優しい監督と違って、私はキッチンで合体してつがいでよろよろもつれながら飛び回るコバエが憎い(笑)

矛先が宙ぶらりんの怒りを抱えながら、私たちは笑顔でペダルを踏み続けている。振り回されるな、飼い慣らされるな、自分で自分をぶん回して踊れ。


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