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原文翻訳・母の思い出_004 いつかよく覚えっていないですが、 知らないうちに、小学生の制服を身につけた。 その時、私は早起き。 いつも、一番早く学校に到達。 その時、お母さんの顔に白癬ができたから、 朝の雫を収集するのは子供達のお仕事。 その時代によくあること。 小学校の私、いつも太陽と時間の勝負している。 仕事終わり、誰もいない教室にたどり、 自分の席で、ボートしていた。 気がついたら、知らないおじさんがいた。 ある日、おじさん教室一列目の席で、 マスターベーショ
60年くらい前の台湾の幼稚園に 入るため、入園試験があったらしい。 白の紙一枚と黒の紙を一枚 目の前に 「黒の紙はどち?」先生から聞かれて、 うちの母は、わざと白の紙に指を差した おかしいシステムに対する反抗精神は 生まれつきかもしれない 入園テストを通れなかった そして、お爺ちゃんは500NTWを 校長先生に贈って、母は皆と一緒に幼稚園に入った
母、70歳になる前に、 家族物語を書くことを決めた。 多くの人たちの人生は、 映画になれるくらいに物語が多い。 うちも。 残したいことが沢山あっても、 どこから、スタートするのは難しい。 というある日、弟は急に救急車に運ばれた! コロナ禍のど真ん中に。 フール防御の医療人員2人は家に辿り着き、 妹と一緒に病院に行った。 腎臓の中に石ができたらしいー シリアスな病気ではなくて、 なんとなく、みんなはほっとした〜
お母さんのお父さん=お爺ちゃん 皆の口の中の「最低なあいつ」 お婆ちゃんと20歳以上年上らしい 奥さんと子供が結構いる 政治家 + ヤクザらしい 唯一残している写真を見たような気がする 目が小さく、背が高くなさそうなイメージ どんな人だろう? 「さいやくのあいつ」 多分