my name is …

物心ついた時からずっと「生きる意味」を問い続けてきた。
最初は「宇宙ができる前は、真っ白でなにもない空間だったのかな?」とかかわいらしい想像だったけれど、少しずつ大きくなるにつれて、「人間が地球に存在する意味って何だろう」とか複雑なものになってきた。
正確には日々を通して生きることに対して徐々に「虚無感」を感じるようになった気がする。
言葉では表せないような、複雑で大きな深い感情。
自分にはどうすることもできないような、壮大で解決法がない永遠の悩み。
乗り越えるにはあまりにも大きすぎる壁。

別に死にたいとか、消えたいとかじゃなくて、単純に生きるってなんだろう?という疑問に近い。
別に一人くらいいなくなってもこの世には何の影響もない気がするし、かといって死んでしまうのは怖い。
最初から人生に深い意味なんてないかもしれないし、その可能性の方が高い。
空から見たら、ただの地球に住むちっぽけな生き物たちが子孫を残すために、一生懸命頑張っているみたいに見えるのだろうか。
はたまたこの世界はすべてシュミレーションで、自分が死んだ瞬間VRゴーグルのようなものを外されて、「お疲れ様です。地球の生活、どうでしたか?」とでも言われるのだろうか。
考えても考えても、絶対に答えなんて分からないのに、ずっと同じところをぐるぐると回っているみたいだった。

正直楽な感情ではなかった。むしろ不快で苦しかった。
けれどどこか儚さや美しさを感じた。
こんなことを誰かに相談したところで、ぽかんとされるだけだろう。
だから考えないようにしたかった。
考えても答えが出ないものを熟考しても、時間が過ぎるだけ。
結局頭が破裂しそうなくらい考えすぎて、スランプに落ちて、疲れてしまうの繰り返し。
だからいつも、自分の手に負えないような面倒なことを考えだしたときは辞めようとしたり、違うことを考えたりして逃げようとしていた。
そう。自分の大きな問題から逃げ続けている。
けれど逃げるのすら、もう疲れてしまった。
今はただ、楽になりたい。
何も難しいことは考えず、幸せになりたい。

けれど、人間は受け入れることも大切だから。
これからもこの虚無感のような、空虚感のような複雑な感情と闘っていくことにはなると思う。
仕方ない、これが自分だから。

これからは自分と向き合っていきたい。
考えすぎてしまう自分すら優しく抱きしめてあげたい。

きっと他人から見れば私は「へんなヤツ」だろうけど、そんなことはどうでも良かった。

私はただ…この地球に自分の本当の名前を探しにきたのだと思う。

大きな感情に追われ、走って逃げるのが疲れたなら…
いっそのこと、ずっと心の深淵を歩いてみよう。
そこで何か見つかるかもしれないし、何もないかもしれない。
もし答えが簡単に見つかったら、こんなにも酷く冷たい恐ろしい世界になんか、生まれていないはずだから。

この困難な旅は受け入れるしか方法はない。
私に出来ることは、この厄介な自分自身の心と向き合い、探究し続けることだから。

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