PK戦と言えば、気迫の守護神・川口能活の神ってるセーブ!
こんばんは。タケさんのnoteにお寄りくださってありがとうございます。
アジアカップは名場面の宝庫
2004年アジアカップ中国大会は完全アウェーで、7月末から8月にかけての酷暑の中、非常に厳しい試合を強いられた。
そしてジーコ監督率いる日本代表の準決勝ヨルダン戦は、サッカー史における名場面中の名場面を残してくれたと、サッカーファンなら誰もが認めるだろう。
試合は、日本に対する中国サポーターのブーイングの嵐で、マナーの悪さは国歌演奏時から始まった。ジーコ監督は厳重に抗議したが、通用する相手ではない。
グループリーグは厳しい試合が続いたが首位通過となった。いよいよ準決勝ヨルダン戦を迎えることに。
ヨルダンに先制されるも、2002年ワールドカップ日韓大会ベルギー戦でのヒーロー、そう、あの鈴木隆行選手が同点ゴールをたたき込んでくれた。
そして膠着状態が続き、1対1のままPK戦へともつれ込んだ。日本は第1キッカー中村俊輔選手に続き、2番手、三都主アレサンドロ選手も連続で失敗してしまったのだ。これはPKスポット周辺の芝が非常に荒れた状態で、いずれも軸足が滑ってしまったからだ。
もはや敗退かと諦め気味だった。しかしキャプテンの宮本恒靖選手が主審にPKのエンド変更を直談判してくれた。テレビを視ながらしばらく沈黙の時間が、そしてようやく主審もPKエンドを変更してくれたのだ。福西崇史選手の成功、ここでようやく1-3に・・、しかし次のヨルダンが決めれば終わってしまう。
いよいよ日本は後がなくなった。しかし守護神が川口能活選手に降臨したのだ。ゴールキーパー・川口能活選手は仁王立ちでヨルダン4人目を迎えた。右へ跳んで左手一本で弾きボールはバーに当たって枠外に。6人目も右手一本でボールをかき出した。
ヨルダンの4人目以降、一人も許してはならない状況だったのだが、ついに3-3に持ち込んだのだ。日本は6人目、中澤佑二選手が残念ながらセーブされてしまった。そしてヨルダンは4人連続で失敗し、日本は逆転勝利を収めたのだった。
この試合での守護神・川口能活選手は、まさしく神がかっていた。これぞ、サッカーの忘れられないシーンのひとつに数えられるだろう。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。