ノルシュテイン『話の話』を記述する(その2~乳児)
画面は次にエッチング調のタッチで描かれた、母親の乳房をむさぼる乳児の姿が現れる。
乳児のむさぼる動きを伝える円い頬だけが別パーツとなって動いている。
この動く頬は独特なニュアンスで動いている。
動く頬のパーツの上に、明らかにぼやけたフィルターがかかっている。
そのため動く口元はやや不透明な感じに見える。
これはわざわざフィルターをかけたのか、それとも乳児の動かないパーツ全体を描いたセルの、口元の部分だけ半透明に透かして、その下に動く口元を別セルとして敷いたのか。
いままさに始まっている、本編で見えるものを出来うるかぎり書き尽くす営為とは、こういう些細な局部を指摘するためでもある。
母の乳房を吸う乳児が物語的に何を意味するか詮索することも決して無駄ではないが、このフィルター状の効果が視覚的表現としていったい何なのか、その疑問を提起することが本論の目的である。
もしその提議に意味を見出されたとき、しかるべき調査能力と分析の力がある者にこの問いを託したいのだ。
(その3へつづく)
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