新しいしがらみの街 信頼と尊敬へ
自分以外のだれとも知覚を共有していない「他人の街」が生む孤独と、知覚を共有することで「しがらみ」が生まれるかもしれない、ということについてまとめて書きました。
しがらみに縛られたくないからこそ都市に移り住んだのに、それが孤独を生んでしまうのならば、一体どうすればこの孤独感を埋めることができるのか……そんなことを考えてしまうかもしれません。
私たちには蓄積がある
しかし、私たちヒトは都市を造り、都市で暮らしてきた長い歴史があります。今からふり返れば想像を絶するほどの混雑した場所に人がひしめいて暮らしていたときだってあります。そんな中では誰かと知覚を共有せずに暮らすことの方が難しかったかもしれません。
プライバシーを守りながら都市で孤独を感じずに暮らして行くには、どのような知恵が必要になるのでしょう。
そう考えるとき、「昔からあったしがらみ」にとらわれて、知覚の共有や絆づくりから逃げ出すのはもったいないことではないかと思えます。
私たちは都市で暮らすための様々な知恵を編み出してきたはずです。その蓄積を信じ、新たな知覚の共有の方法と「しがらみ」……「わたし」と「あなた」と「だれか」の絆を編み出すことだってできるはずです。
SNSは古い
そのためのツールとしてSNSが挙げられるかもしれませんが、現状ではあまりお勧めできないというのがわたしの意見です。それは、「古い価値観で新しいメディアを使っている」のが今の姿で、SNSは「古いしがらみ」で人を縛り付けているだけのメディアになっているからです。
それが新しい性質を持っているにもかかわらず、です。
つながりたいなら、付き合いは気長に。「この人なら少しくらい揺さぶられてもいいか」と思えるくらいの「しがらみ」と引き換えに、「わたしの街があなたの街」という安心感を得る。このような付き合い方で、緩い束縛と十分な自由、そして孤独感の解消ひいては安心感を得るまでになれればいい。
信頼と尊敬
束縛よりも信頼を。忖度よりも尊敬を。
この、「何となく寂しい」「何となく孤独を感じる」という、東洋医学でいえば未病の状態にあるときに、おそらく有効に効く処方箋です。
こじらせると解くのに大きな手間と時間がかかりますから、「何となく寂しいな」というときに、これらを得るための行動を起こすようにするとよいのではないでしょうか。