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バグみたいな幽霊


こんばんは。


最近なんか幽霊を見る気がしています。


いや、それはもう怪談にもならないくらいのインパクトのないやつです。


自分でも見間違いやシミュラクラ現象だろうというくらい一瞬で地味なやつです。

シミュラクラ現象(シミュラクラげんしょう)とは、人間には3つの点が集まった図形を人の顔と見るようにプログラムされている、という脳の働きである[1]。和訳は類像現象[1]、シミュラクラ効果とも呼ばれる。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


地味すぎて怪談として語るのもお恥ずかしいので、今回はその見え方について考えたことを話していけたらと思っています。




違和感


まず最初に感じた違和感として、ここ一年くらいで体調を崩した際に、治りが遅いというか後遺症が残るようになったことから始まります。

というのもこれまた地味で、熱が出て引いた後に喉の痛みが残り続けたり、耳の閉塞感が続いたりするようになりました。

体調を崩すことは昔から多くその点は気にしていなかったのですが、一度体調を崩しても長くて3日ほどで回復していたのですが、最近は1ヶ月くらい何かしらの異常を抱えることがデフォルトになっていました。

と言っても、歳も重ねているわけだしそんなこともあるかもしれないなとか、コロナとかの影響もあるのかもしれない、あるいは何らかの病気かもしれないから人間ドックでも行くかというぐらいに様々な可能性を巡らせています。

そんな病み上がり時に見た光景によって可能性が一つ増えることとなりました。というのも、夜23時頃だったかと思いますが、車での移動中、街の様子をふと横目で見た時、営業後で暗くなったガラス張りのお店の中に人影を見ました。おそらく自動ドアだと思うのですが、営業後なのでもちろん作動していない締まり切った自動ドアに店内側から寄りかかるようにして人が立っていました。

昼間もたまに通る道だったので覚えていますが、たしかアンティークの絨毯を売っているお店だったかと思います。時間的にももしかしたらお店の方がまだ残っていてちょうど戸締りをしていたという可能性もあります。

ただ、自分が見た限りでは作業というよりかは自動ドアに体を押し付けるように直立不動で外を見ているように見えました。


これは今考えても体調不良との全然関連性が見えないし、一瞬だったので正直見間違いであろうと思っています。しかし、あの瞬間に「あっ、こっちの可能性もあるか」とふと思ったのを覚えています。

その日から何度か似たようなことが起こります。
別の日ですが、また車に乗っている時に、車道のど真ん中に男性が立っているのを一瞬だけ見たり、何でもない時に目の隅に人の顔があった気がしてそちらに目をやると何もないということが続きました。

ほらね、そんなこと結構あるじゃないですか。
体調不良になる前からそんなことは結構あったし、怖い映画観た後にそういう風なアンテナが敏感になって何でもかんでも脳が心霊に結び付けてしまうみたいなことだと思います。

だから正直自分でもあまり怖い体験として認識はしていないのですが、仮にこれらの現象を"勘違い"以外で考えたときに、「ゲームのバグみたいだな」と思い立ちました。


幽霊はバグ

幽霊というものが、世界のバグなのだとしたら色々なことに辻褄が合っていくような感覚があって面白くなってきました。(ただ、システム的なことに全然詳しくないためもっと良い表現があったら教えてください。)

幽霊バグ理論で考えるとアンティーク絨毯屋さんで見た人影も、人間の3Dモデルが変なところに配置されているみたいな佇まいだった記憶があります。しかも、外側を向いていたという認識ですが、顔は見えませんでした。自分がある程度の速度で移動していたので見えなかったのだと思いますが、最初から顔のディティールが省略されているモデルだったのではとも考えられます。

車道の真ん中にいる男性も背中しか見えませんでしたが、そこにいたというより"配置されてしまった"と思えばそんな気もします。目の片隅に映る人の顔もそういえば「男性 顔 フリー素材」で画像検索したら1ページ目に出てくるような男性の顔でした。薄っすら提供サイトのロゴも見えていた気もします(それは冗談です)。


もしかしたら、他の怪談話も何かしらのバグなのではと考えると少し怖さが薄らぐ気がします。

子どもの頃、あるいは今でも度々話題になる降霊術(こっくりさん等)なんかもバグ発生のための行動だと思えば辻褄が合う気がします。微かに覚えているのは、昔ゲームボーイのポケモンで「アイテムの十何個目をキズぐすりにしてセレクトボタンを数秒間長押しすると先頭のポケモンのレベルが99になったりミュウになったりする」みたいなのがあった気がします。

よく考えるとゲーム内の世界において、そのような奇行とも言える行動のことを降霊術と呼んでも差し支えないと思います。


心霊とは少し違うかもしれませんが、"異世界に行く方法"なんかもオカルト好きな方は聞いたことがあるかもしれませんが、その方法も例えば「エレベーターを使って〇階に行って、そのまま〇階に移動して、そこで女性が乗ってくるので無視して〇階に行くと異世界に着いている」みたいなものがあります。

こういったものも幽霊と同様何かしらのバグを起こすための方法だとすると、確かに自分目線で考えるとエレベーターに乗り込んでからいくつかボタン操作をする行為ですし、もう少し俯瞰で見ると"人間が重力に逆らって数十メートルの高度間で謎の上下運動を繰り返す行為"であるとしたら降霊術と似た効果を得られるのかもしれません。


バグの発生条件

幽霊というのは、生きていた頃の"念"の強さが影響するとされています。

一般的に"感情"から生まれる強い想いを念と呼び、その念の強さが具現化したものを幽霊と呼ぶのかなと思います。

もし、幽霊が感情から生まれるのだとしたら、感情は膨大なプログラミングのコードとも言えるのかもしれません。

ゲームのバグというのも、"プログラミングコードが多すぎるがために、不備や欠陥に気づかないままバグとしておかしな表現が発生してしまう"ということなので、あまりに大きい感情に対してミスが多発してバグとして世界に姿を現しているのではないでしょうか。

そう考えると幽霊に様々な種類があるのも頷けます。
姿が見えるものもあれば、声だけが聞こえることもあったり、ラップ現象として音だけのものだったり、物を動かすポルターガイスト現象だったりその表現のされ方は多岐に渡り、それらの差異理由はプログラムの不備や欠陥の違いではないかと思います。

そして、そのバグは時として他者に影響を与えます。
この世がインターネットに繋がったオープンワールド空間だとしたら、その世界の隅っこでバグが発生し、プレイヤーを巻き込んでしまうバグが発生していてもおかしくはないと思います。

ライフを奪うケースもあるでしょうし、ステータスに影響を及ぼすケースもあるかもしれません。時には再起不能の強制終了を余儀なくされることもあるかもしれません。

そんなバグを避けたり、自分がバグってしまわないために対処する術もあるかもしれません。


デバッグ

バグが見える人と見えない人がいます。

プログラムのソースコードの見方を知っていて、そこ書かれている言語を理解できる人がいわゆる"視える人"なのかもしれません。

そして、それを修正できる人もいます。
バグが見つかったら腕の良いプログラマーを探して、除霊(デバッグ)を依頼することをオススメします。

他人のバグであれば、それで済むこともあるかもしれません。
しかし、自分がバグにならないようにするためには今の人生について少し止まって考えることも大切かもしれません。

幽霊になるほどの感情の不備というのは、多くの場合、つらくてしんどい事が降りかかった末の結果だと思います。生きてるのはつらくて無理すぎることばっかりなのに、死んでまでもそのつらさが続くと思うとちょっと残酷すぎるなって思います。

ただ少し話は逸れますが、もしかしたら、"念""その人の生きていた時の魂"は別物なのかもしれないという想いもあります。つまり、「幽霊は生きていた頃のその人の念がそこに残っているだけで、その人自体は普通に死んだだけ」という考え方です。

なので、幽霊に記憶とか理性とか感情は無くて、念だけの存在というか、バグがバグとして表現されているだけなので、プログラミングのコードそのものとは別、と言った感じでしょうか。

そう思うことで、残酷さから目を逸らしているだけかもしれませんが。

まぁ話を戻して、どちらにせよ出来るだけつらい想いを少ない人生にしたいなとは思います。そのために、不備の少ないプログラムを組む必要があるのかなと思います。

感情の量が膨張しないように気を付け、不備を見つけたらすぐに対処できるよう"理性"というプログラミング言語を常に意識する必要があるのかもしれません。しかも、時代によって考え方なども変化していくので一つの言語にこだわるだけでなく、新しい言語も少しずつ受け入れられるようにするのが良いと考えます。

「考えすぎ」と言われたり「能天気なバカであることが幸せになることなのかな」と思ったりすることがありますが、今ではこうして沢山考えて、悩んで迷っているということは自分に向き合っているということだと思い直しました。

そうして、理性ってものを育てていけばいくほど、病むことも減っていきました。悩んでしまう時はもっと考えて"悩み切る"というのも一つの手です。でないと、整理できない感情に支配され、押し潰されてしまいます。自分の感情を言語化することで楽になることもあります。

ネガティブに考えまくるとふとポジティブになれることもありますし、ネガティブを経たポジティブは図太く、ちょっとやそっとじゃ揺らがなくなります。


最後に

バグは望まれて出現するものではありません。
多くの場合、意図しない不備から生まれます。

幽霊にしても、本当は幸せに生きて幸せに死ねたら存在せずに済んだのかもしれません。

それでも、この世界には望まないつらい事象が無くなることはありません。

誰しも心に不備を抱えています。
どれだけ修正しようとしても消えることのない不備もあるでしょう。
バグとして表現されてしまうこともあるかもしれません。

でも、バグもそのゲームの要素の一つとして楽しんだこともあるし、幽霊もエンタメとして楽しめることもあります。

本当につらいバグがあるのであれば、デバッグしたほうが良いと思いますが、不備や欠陥は誰にでもあるしそれごと抱きしめてあげることもできるはずです。

オープンワールドでも、プレイヤーは自分自身。自分が首を振った先の世界がその度に瞬時に構築されるんです。自分の世界を豊かな感情と理性で満たして、ちょっとしたバグなら愛せるくらい大きい世界を作ればいいのかなと思います。






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