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生命体の"争う"システム


こんばんは。


皆さんは今日も争っていますか?


多分なにかしらと戦っていると思います。


そんな争いの日々の中で、一瞬その"当たり前"に対して疑問を抱く時間が
あってもいいのではないかと思います。




生命体に組み込まれているシステム


人間や動物、植物等あらゆる生命体には
「他者を犠牲にして、自己を生かす」
というシステムが組み込まれています。

そうしないと生命体は進化してこられなかった。

他者がいるから奪われないように進化を遂げてきました。

戦わなくては絶滅してしまうから。

自らを、そして大切な種族を守るために戦い、進化を繰り返してきました。

その命の繋がりの果てが今の私たちです。

私たちは今、その長い年月を掛けて紡がれてきた命の糸の端っこを持って歩き続けています。

そして、私たちもまた先人から受け継がれたこの命を子々孫々に受け継いでいくのです。

素晴らしいですね。

そんな広大な歴史の担い手として生きている中で、ふと立ち止まって考えてみるのもいいのかもしれません。



なんでそんな風に作られてんの????


と。

今があるのは、先人が戦いの果てに守ってくれた命があるからなのは分かる。

競争の果てに進化し、紡がれた命なのも分かる。

素晴らしくもある。


ただ、そもそもこの生命体の仕組みとして、争わないと進化できないようになっていることに疑問を抱いてもいいんじゃない?


中途半端になら異種族同士でも共存はできる。

であるなら、争わなくても進化して生命体が過ごせる環境にはできなかったのかね。


誰が作ったとかは置いておいても、何かしらが構築したこのシステムに対して、両の手を広げてただただ受け入れる気にもならないんです。


そうでしょう。


その争わなきゃ進化してこれなかった奇跡の軌跡には、数えきれないほどの悲しみと血が塗りたくられてる。


それが、命だ。
それが、この生命だ。

って言えるのは、
本気で戦った者だけであって、

ただただ諦めてしっぽ巻いて信仰することにしただけの人に言われたくない。


本当のところ誰も納得してないんだと思う。


ゴールも目的も無い繁栄を強いられて、"続けること"の美学のためにつらい想いをしなきゃいけないことに。


例えば、この地球が一つの会社だったとして、

この世界を作った神が社長だとした時に、

確かに社長の一存でこの会社が生まれたし、長い年月をかけてルールもできた。

でも、時代が変わり、人が変わるごとにそのルールも変えていかなくてはいけなくなる。

そんな時、社長に何も疑問を抱かない社員だけだったら、その会社は成り立つと思う?


YESマンだけじゃ、社長が苦労することになる。


それと一緒。

ただ、それでもどうしようもないことはどうしようもなくても良いと思う。

創造主が神だか神じゃなくて自然的なものだとしても、最初に作ったこの仕組みは必要だったんだと思う。

それ自体は間違ってなくてどうしようもなくて良い。


でも、もし、今、"争うこと"に疑問を抱いて、争いを避ける方法があるのであれば、その方法を考えても良いと思う。

神への否定じゃない。

神もそろそろ休ませてあげるべきだ。

いつまでもYESマンで、他力本願な生命体でいるのではなく、一人ひとりが向き合うべきことなのかもしれない。


とはいえ


まぁそんなこと言ってても変わらないもんは変わらない。


向き合う対象が膨大で壮大すぎる。


だからまずは自分だけと向き合うことが大事だと思う。

自分という一つの生き方にしか答えはない。


争いが必ず必要ってわけでもない。

そういう生命体の仕組みごと疑って、縛られている鎖を一旦解いて考えてみるのも大事。


あなたはこの生命体として、どんなことがしたいですか?


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