参考にならない我が家のオランダ移住 1 (自己紹介)
いくつか記事を書きながら、どこから自己紹介しようかと考えていた。2024年 現在44歳、日本人の夫(50代) と小学生の娘2人とオランダのユトレヒトに住んでいる。2015年に移住後ちょうど丸9年が経ち、10年目に突入した。
どこにでもいる20代
私は元々芸術の専門学校を卒業し、デザイン事務所や映像制作会社、テレビ局などでデザインや映像制作をしていた。その一方でVJと呼ばれるクラブなどで映像を使って空間演出をする仕事や、アートアニメーションと呼ばれるものを自主制作し、仲間と一緒に上映会を企画運営するという活動もしていた。VJは出産後 夜出かけることが出来なくなったので物理的に不可能となった。アニメーションの活動はオランダ移住後参加できなくなっていたのだけど、コロナをきっかけにオンライン上映会という形で復帰させて貰うことができ、今でも制作を続けている。
こんな風に端折って書くと順風満帆そうに聞こえるかも知れないが、社会人生活を送る中で何度も心折れて人生に悩むどこにでもいる20代女子だったと思う。たぶん。
結婚と出産の30代
32歳頃、当時大阪のテレビ局で仕事をしていたがなんだか疲れ切って退職。貯金でヨーロッパにでも行ってみようと思っていた矢先、当時から付き合っていた現在の夫と結婚することになり、両親への挨拶の前日に妊娠が発覚。という流れで翌年に第一子を出産。
更に翌年、夫が大阪で寿司bar兼フリースペース(ギャラリー的なもの)を始めた。毎月の支払いが結構大変でなかなかスリリングな日々だった。クラブや音楽、アートで繋がった友人が沢山いる大阪での生活はもちろん楽しかった。だけど一方で、子育てするにあたって環境を変えたいとも思っていた。
電光石火のオランダ移住
私たちは大阪市内に住んでいたのだが、少し都会を離れようと考えて淡路島などへ物件を見に行ったりした。しかしピンとくる場所がないまま時間が過ぎていた。2015年の春頃だったと思う。夫があるニュースを持って帰ってきた。そして言った。「はなちゃん、オランダどう?」(私の名前はジュンコだが、旧姓からのあだ名で多くの友人知人にはなちゃんと呼ばれている。なのでここnoteでも Junko Hana Higashi としている。)
..…いきなり海外、というわけでも実はない。夫は30年以上前に6年ほどニューヨークに住み寿司職人をしていたことがあり、もう一度日本を出たいとこぼすことがよくあった。あるニュースとは、2014年12月にオランダでとある裁判に判決がおり、その影響で日本人は労働許可なくオランダで就労可能になったというもの。夫は言う。「このニュースが本当なら宝くじに当たったようなもの!! 」アメリカでのビザ申請に相当難航した経験を持つ彼からするとありえない事だったらしい。私は「よし、行こう」と言った。何故か分からないが、ただワクワクしたのだ。新しい世界に挑戦してみたかったし、とにかくオランダに行ってみたいと思った。
妊娠発覚
前述した通り、夫はその時寿司barをやっていた。一ヶ月以上かけて地道に改装し、年明けにはカウンターを新しく作ったばかりの店を片付け出した。当時住んでいた「豪華高級 Eマンション」とボロボロの看板に書かれた70年代か80年代には確かにコンクリート造りで高級だったのであろう古びたアパートの片付けも始めた。私はこの相当古びたアパートが意外と気に入っていた。お風呂掃除が大変過ぎることと、ゴミ捨て場が近すぎることは嫌だったが。
店を閉める告知を始めた頃だったか…2人目を妊娠していることが分かった。さすがに「 え….今 ?!?!」と思った。夫も「 (移住) やめておく?」と聞いてきた。だが.....私は「いや、行こう」と言ったのだ。
1人目を出産して分かったのだが、産後は恐ろしく寝不足になって寝ることが大好きな私は人生で一番大変だと感じた。赤ちゃんは死ぬほどかわいいが、その反面赤ちゃんを育てる事ほど大変なことはない。24時間年中無休の万年睡眠不足コース。じゃあやめとけよ、という声が聞こえる。いや、聞いて欲しい、違うのだ。もし2人目を日本で出産したら、育児が大変過ぎて私はもう二度と海外移住をしようなどと思わなくなるような気がしたのだ。結果、やはり知らない国での育児は頼る人もなく想像以上に大変で大失敗だったとも言えるが、後悔はしていない。なぜならその苦しい環境の中、私は親友と呼べる友人と出会い、様々な人に助けてもらいエモーショナル過ぎてちょっとこっ恥ずかしいとも言える日々を乗り越えたからだ。
そしてオランダへ
そんなわけで、お店も家も片付け、ほとんど全ての物を処分して 2015年7月 私と夫と当時1歳だった長女は、移住を決めてからたった2か月ほどでオランダへ出発した。(片付け中に悪阻が重なったため、友人が見兼ねて手伝いに来てくれたのを今でも覚えている。本当にありがとう) 持ち物はスーツケース2つのみ。下見なし、家も仕事も決まってない。出たとこ勝負の恐ろしいほどの賭け移住である。どうか誰も真似などしないでいただきたい。誰もしないと思うが。
この続きは、また。