中日ドラゴンズで学ぶ敬語の歴史―なぜ与田監督は「お前」を不適切と批判し、立浪監督は「稀代の名将・タツナミ」と呼ばれたのか?(1)―
1.「お前」という言葉の価値をめぐって
竜に走る激震 不適切なフレーズ
中日ドラゴンズというプロ野球チームがある。
愛知県名古屋市を本拠地とし、NPB(日本野球機構)のセントラルリーグに所属するチームで、その歴史はNPB12球団で3番目に長い。
かつては黄金期を築いた一方で近年は苦戦が続き、一部では「ドラゴンが弱いゲームなど野球くらいのもの」とまで囁かれるが、話題性の高さから野球ファンには抜群の知名度を誇り、今なお愛され続ける人気球団である。
しかし数年前、そんなドラゴンズの声望にも危機が迫ったことがある。
きっかけは2019年7月1日、応援団が次の声明を出したことに始まる。
日本の野球場では観客が選手の応援歌を歌う文化がある。
とりわけこの楽曲は人気が高く、ファンの動揺は大きかった。
さらに歌詞も一般的な内容だったため、どの箇所が問題だったのかをめぐって種々の憶測が飛び交ったことも記憶に新しい。
ドラゴンズクエスト お前の物語
そして続報でこれが当時指揮官(1年目)だった与田監督直々の要望で、問題が「選手を『お前』と呼んでいること」だったと明らかになるに及び、その衝撃は野球界を越えて日本中に拡大した。
親しまれた応援歌を失ったファンは憤慨、インターネット上では連日中日が話題を席巻し、スポーツ新聞はおろか全国ネットのニュースでも取り上げられる事態となり、長い低迷も相まって中日には激しい抗議の声が降り注いだのである。
これら一連の出来事は「お前騒動」、あるいは翌月に公開され賛否両論を巻き起こしたアニメ映画「ドラゴンクエスト ユアストーリー」をもじって「ドラゴンズクエスト お前の物語」などと呼ばれる。
この事件の評価は難しい。
試合中の選手を「お前」と表現するのは広く定着した文化でありファンの盛り上がりに水を差すべきではない――という考え方も一理ある。
一方「お前」呼びへの賛否がどうあれ、未だ残る選手軽視の風潮に変革が求められ、ファンと選手の関係の再構築が模索されているのも事実だろう。
(個人的にはお前呼ばわりされるとキレるという共通点から与田監督深緑の知将グリニデ説が提唱されたことが印象的だった)。
確かなのはこの問題がうやむやなままフェードアウトし、チームも安定飛行(歩行かもしれない)の5位でシーズンを終えたことである。
問題のサウスポーも翌2020年には何事もなかったかのように復活し、短縮シーズンながらファンは3位浮上に歓喜したが、2021年には再度5位に沈み、チーム完全再建には至らず与田監督は退任した。
そして選手時代に絶大な人気を誇った立浪監督が後任(2024年現在現職)となるも2年連続最下位(6位)を記録し、「5位で終わるチームではない」という本人の予告は別の意味で実現、(責任の所在はどうあれ)衝撃的なニュースを連日のように提供し、チームは暗中模索を続けているが、それはまた別の話である。
(24/10/6補足)その後中日は最終戦で「戦う顔をしていない」の言葉と共にDeNAに追放した京田陽太の決勝打によって3年連続最下位(666, 獣の数字)の記録を打ち立てた。この上なく皮肉な結末である。
「お前」は尊敬語だった
しかし考えてみれば不思議な話ではないだろうか。
1. まず現代人にとってはにわかには信じがたいことだが、「お前」は本来尊敬語だった。
折しも2024年放送の大河ドラマ『光る君へ』によって注目される平安時代の日本語を見れば明らかである。
名詞1と2の例は宮廷での清少納言から主君・藤原定子への言葉、代名詞の例は紫式部の実家での侍女から主君・紫式部への言葉に当たる。
語構成的にも「お」は尊敬の接頭辞、「前」は相手を直接指すのを避けて代わりにその前の空間を指したことによる空間的敬意表現で、尊敬語だったことに疑問の余地はない。
(「前」の語源はおそらく*ma-「目」+ *-pe「方向, あたり」→ *ma-pe > mae「前」, cf. ma-na-ko「目の子, 眼」, *yuku-pe > yukue「行方」)。
にもかかわらずなぜ与田監督の怒りを買うほどの二人称になってしまったのだろうか?
似たようなことは「貴様」にもいえる。
高貴の「貴」と敬称の「様」を組み合わせた言葉で、実際に古くは目上の人に使われる尊敬語だったにもかかわらず、今やそのイメージは「お前」にさえ及ばないほど悪い。
2. 次にそもそも現代日本語には英語のyouのような初対面の相手にも使える普通の二人称語彙がない。その理由はあるのだろうか?
3. そして歌詞の是非がどうあれ、「お前」が普段気軽に使えない二人称であることは多くの人の認めるところである。
その上で仮に「お前」が応援では容認されてきたとすれば、そこにはいかなる事情があったのだろうか?
多くの日本語話者にとって敬語は大きな関心事である。
ここまで一般の人々に関心を持たれる言語のテーマも珍しいだろう。
言語学はそうした問いの答えを探す学問でもある。
そしてこの敬語というテーマには奇しくも同じ中日ドラゴンズで指揮を執った2人のエピソードが大きく関係している。
前任の与田監督の「お前」の物語と、その後任となる立浪監督への「稀代の名将・タツナミ」「素晴らしい監督」といった呼び名である。
野球を愛する知人の声に応えて筆を執りたい。
贔屓球団の枠を越えてドラゴンズで満たされた日々を送る野球ファンの諸賢にも興味を持っていただければ幸いである。
2024/4/4 Riku(@anima_solaris)
2. キーポイント
要約
3.「お前」から敬意が消えた日
尊敬語の敬意消滅
最初に、敬語に含まれる敬意は繰り返し使われることですり減っていく傾向がある。この現象は古くから「敬意逓減(-ていげん)の法則」として学者に知られていた(cf. 滝浦2023, etc.)。
元々尊敬語だった「お前」や「貴様」も江戸時代後期頃には今のように敬意を含まないニュアンスになっていたようである。
同様に「あなた」も本来は相手を直接指す代わりに遠くの空間を指す意味合いの敬意表現だった。
この語も「お前」ほどではないにせよ敬意逓減を経てきたのである。
減じた敬意を補うための補強現象も多く見られ、「お前さん」「あなた様」などがその例である。しかしこれらの地位も決して安泰ではない。
一見奇妙な話だが理解は難しくない。
簡単にいえば「最初は尊敬の意味があったフレーズも使用が当たり前になると敬意が薄れていく」「最初は新鮮だった表現も繰り返し使われる中でありふれた響きになっていく」ということである。
究極的には特別さが求められる表現の宿命ともいえるだろう。
強調表現などにも似た現象が多い。
たとえば「オフェンス」の語源であるラテン語のoffendō「攻撃する」は本来「相対して攻撃する」を意味し、単純形*fendō「攻撃する」の強意形でもあった。
しかしやがてoffendō自体が常用の語になり、元の*fendōは文献記録以前に姿を消してしまったのである(cf. 泉井2005: 345-346, 368; *は想定上の形)。
謙譲語の敬意消滅
こうした敬意の消滅は尊敬語のみに起きるわけではない。
謙虚さを表す謙譲語もやがて普通の意味になっていく傾向を示す。
かつて日本語では食べることを普通「はむ」や「くふ > くう」と言ったが、やがて本来は謙譲語(現代でいえば「いただく」の意味)だった「たぶ > たべる」がこれらに代わって通常の語になり、「はむ」は古風な詩語、「くう」は卑俗語と化し、「いただく」がかつての「たぶ」の地位に収まった。
同様に与えることを意味する普通の語だった「やる」も今では卑俗な響きを帯び、謙譲語だった「あぐ > あげる」は敬意を失って常体と化し、「差し上げる」が謙譲表現となっている。
今では「拝見します」の代わりに「拝見させていただきます」を使うことが過剰敬語と指摘されるケースもあるが、こうした表現の誕生も特別さが求められる敬語の世界にあっては一種の必然といえるだろう。
これが進んで「拝見する」が単に「見る」の意味で使われる時代が訪れたとしても不思議ではない。
補足として、日本語を第一言語としない人々(主に外国人)への日本語教育の世界では「書く」のような常体より「書きます」のような敬体を優先的に教えるケースがかなり多い。
日本社会で使う機会の多さや「~ます」の変化を覚えれば様々な語に応用できる汎用性の高さなどが理由だと思われるが、日本語第一言語話者にとっても発見が多い話である。
そして敬意逓減の法則に鑑みればこの「~ます」が常体のようになっていく可能性もないとは言い切れない。
あるいは近現代ドイツの友情崇拝のような現象によって逆に常体の「書く」などが積極的に評価されるようになる未来もあり得るかもしれない(友情崇拝については関連記事を参照)。
4. 英語との対照分析
英語の「単数のyou」は敬語だった
そして実は「敬語の敬意の消滅」は日本語特有の現象ではない。
世界中の言語に例があり、英語にさえ見られる営みなのである。
具体的には二人称単数のyouの例が挙げられる。
このyou(の祖形)は本来二人称複数の代名詞だったが、12世紀頃から敬意表現として単独の相手にも使用されるようになっていった。
しかしyouの使用が当たり前になったことで次第に敬意が漂白され、現代ではフラットな意味に収まっているのである(堀田2009/10/11)。
これはまさに敬意逓減の実例に他ならない。
(本来の単数形はthouで、今でも少数の方言に単数の親称として残る)。
複数と敬意の関係については後述するが、「あなた」の代わりに「あなたがた」を(純粋な複数というより目の前の相手を直接指すのを避けるために)使うようなものと考えれば近似的に理解しやすいかもしれない。
第2話目次
5. ヨーロッパの言語の敬語
6. 日本語の敬称
7. 稀代の名将・タツナミ
8. 結びに代えて
(第2話へ続く)
著者
(ラテン語やその末裔に当たるロマンス諸語、そして英語やドイツ語の敬語の話はいずれアニマもYoutubeのチャンネルでピックアップする予定)。