hyde誕生祭に散りばめられた伏線たち
2025年1月18日、19日に東京ドームで開催された、L'Arc-en-Ciel LIVE 2025 hyde BIRTHDAY CELEBRATION-hyde誕生祭-。
このライブの演出の指揮を執ったのはhydeさん。演出への強いこだわりは過去からあったけれど、このhyde誕生祭には、より繊細な伏線がたくさん隠されていたように思うので、思い出す限り書き残したい。
伏線①:30thラニバツアーとhyde生誕祭に共通した「ガラスを突き破る演出」
hyde生誕祭のオープニング映像の概要はこうだった。
空へ続く階段を上るアルビノの女性(天使)
天使は階段の先に着き、眠りについてしまう
眠りから目が覚めると、風になびいた白い布が天使の顔を覆う
白い布と共に、天使は風に流されていく
天使は苦しみながら顔を覆い、気づけば真っ白な皮膚が少しずつはがれていく
突然ガラスとガラスに手をつく両手が写される
hydeがガラスを頭で突き破る
悪魔のような全身タトゥーのhydeが顔を覗かせる
hydeが叫び声を上げ、ろうそくの火を消す
「Happy Birthday, hyde」と悪魔の声が聞こえる
まさに天使と悪魔の生まれ変わりを表現したような映像だった。
30thラニバツアーのオープニング映像でも、この「ガラスを突き破る演出」はあった。
ラニバでの「ガラスを突き破る演出」は、「コロナの閉塞感からの解放」を意味していたように思う。(※私の解釈です)
この「ガラスを突き破る演出」をhyde生誕祭で再解釈し、「天使と悪魔(hyde)の生まれ変わり」として表現されていたのはユニークさもあって、私のオタク心と厨二心はくすぐられまくった。
伏線②:オープニング映像の「白い布に覆われた天使」と、HONEYのジャケット
オープニング映像の伏線はこれだけじゃなかった。
風になびいた白い布が天使の顔を覆う場面、マジで見覚えしかなさすぎた。
そう、HONEYのジャケットと全く同じだった。
実際にセトリの中にHONEYが組み込まれていたし、おそらくHONEYのジャケットを意識した演出だったんじゃないかと思う。
伏線③:オープニング映像の「空へ続く階段」と、あなたの「空へ続く階段」
まだまだオープニング映像には伏線が隠されていた。
映像の冒頭、「空へ続く階段」を上っていた天使。この伏線はラストの曲「あなた」で回収された。
「あなた」の歌詞には、こんなフレーズがある。
「空へ続く階段をひとつずつ歩いてきたんだね」
あなたの曲中に描かれている「空へ続く階段」は、「天国(空)への道のり(階段)」、つまり「人生そのもの」を表現しているように思う。
そう思うと、オープニングで「空へ続く階段」を上っていた天使の映像は、「天使の人生そのもの」を表現していて、階段の先に着いた瞬間は死を意味してたのかもしれない。
ライブの冒頭とライブの最後がつながる、あまりにも粋すぎる演出だった。
伏線④:fate「春が来れば夜が明ければ」→花葬「春を待てずに」
fate以降のダークパートにも、色んな伏線が隠されていた。まずはfateと花葬について。
fateは、戦争を意識して書かれた曲。
戦争の第一線で戦う兵士が、「何が愛なのか?何が嘘なのか?」戦争の意味も意義も解らぬまま、「今狙いを定めて(敵国の兵士を)手をかける瞬間」に、「切ない程に君(母国で待つ大切な人)を想って」しまって、戦争が終われば「あの空へ あの場所で」……と、君と再会することを切望する歌。
この曲の一節に「春が来れば夜が明ければ」という歌詞がある。
この曲の主人公は、春(=戦争の終焉)が来れば、夜(=悪夢のような戦争の日々)が明ければ…と、争いが全て終わった後に、ただ「君」に会いたいと、「君」への恋しさを募らせて曲が終わる。
そしてfateの次に演奏されたのは「花葬」。この曲にはこんな一節がある。
「瞳あけたまま 腐食してゆく身体 あざやかに失われる この意識だけを残して 春を待てずに」
このフレーズを聞いた瞬間、ああ…fateの兵士、春(戦争の終焉)を待てずに、死んじゃったんだと思った。
fateの物語と、花葬の物語がこの歌詞一つで繋がった。花葬はfateに出てくる「君」、つまり主人公の兵士の"大切な人"目線の曲のようにも聴こえて震えた。
伏線⑤:forbidden lover「重なり合えぬ色彩」→接吻「世界は溶け合う色」
ダークパートのラストに演奏されたのは、「forbidden lover」と「接吻」。
初日、このダークパートのラストに、なんでSEXソングの「接吻」を持ってきたのかが心底謎だった。
でも2日目に改めて聴くと、ここにも伏線が隠されていたことに気づいた。
forbidden loverは、戦争によって引き裂かれる人間模様を描いた物語が綴られている。
分かり合えぬ国同士のことを、「重なり合えぬ色彩」と表現しており、この「色彩」は「国旗」が比喩されている。
その後に演奏されたのは接吻。接吻は歌詞そのままの意味で受け取るとSEXソングだけど、曲中にこんな一節がある。
「世界は溶け合う色…夢の先に導いて 煌めく炎は今その胸へと抱かれていく」
初めて「接吻」が救いの曲のように聴こえた。
forbidden loverの「重なり合えぬ色彩」のせいで引き裂かれた人間関係が、接吻の「世界は溶け合う色」で救済されていく。
forbidden loverの争いで「燃え上がる炎」が、接吻の「胸に抱かれる煌めく炎」へと変わっていく。
全く別の世界観を持った2曲が繋がって、別の顔を持ち、再解釈できるなんて。この流れを考えたhydeさん、さすがほぼ全ての歌詞を描いた男、ガチで天才すぎる。
【追記】伏線⑥:真実と幻想と「私の証」→ALONE EN LA VIDA「私の証」
サブステでは3曲披露された。
「真実と幻想と」「ALONE EN LA VIDA」「叙情詩/雪の足跡」。
この最初の「真実と幻想と」の冒頭の歌詞「肌を刻んで詩人は血で語る」という歌詞には、hydeさん自身が投影されている。
過去にhydeさんはこの曲について「自分が選んだこの世界は身を削る作業だらけ、だけどそれが出来た時の喜びを得るためにやってる」と語ってたらしい。(wiki参照)
この曲には、こんな歌詞がある。
「真実と幻想と この目に映る全てを 血が枯れ果てるまで
この海とこの丘を渡る風に言葉をのせる それは私の証」
hydeさんの人生を、経験を、目に映る全てを、身を削って芸術の血肉へ昇華させていく。それを海や丘を越えていく音楽に乗せて歌うこと、それこそが"私の証"。
まさに、"hyde"としての覚悟や、"hyde"として生きる意味が表現された曲。「hyde誕生祭」にこの曲が選ばれた時点で、感慨深いものがある。
初日、身を削りながら、ボロボロになったボクサーがリングに立ち続けるみたいに歌ってた姿が印象的だった。(アリーナセンターの4列目で見てたから余計そう感じたのかも)
hydeさんのファンになって初めて「1回インターバル挟んだ方がいいんじゃないか」って思うくらい、倒れるんじゃないかと心配になるくらい本当に凄まじくて、hydeさんがhydeさん自身に追い詰められているような、まさにhydeさんの「私の証」をまざまざと見せつけられた…。
この次に演奏されたのは、「ALONE EN LA VIDA」。この曲にも、hydeさんが「私の証」について表現している。
「華やかな時が寂しさ紛らわせるよ 貴方への愛が私の証」
この曲はhydeさんの死生観が表現されている曲として有名な曲。(当日のこの曲前MCでも、死生観について触れてました)
死ぬときは孤独。孤独な死への寂しさを、貴方と過ごした華やかで大切な時間と記憶が紛らわせる。
「華やかな時」が自分の人生の「旅」に存在したこと。貴方への愛こそが、"私の証"なのだ。
これらの「私の証」には決定的な違いがあるように思う。
「真実と幻想と」で表現されている「私の証」は、死に向かっていくまでの「生の意味」、つまり矢印が「生→死」へ向かっているけど、「ALONE EN LA VIDA」で表現されている「私の証」は、死から振り返った時に気づく「生の意味」、つまり矢印が「死→生」へと向かってる。後者の方が、より超越的に聞こえる。
hydeさんはMCで「昔から考え方も生き方も変わって、ずっと歌詞を書き続けてきたので、その時々に考えていたことを思い出します」と仰っていたけど、それぞれリリースの1999年→2007年の考え方の変化とか思い出しながら歌ってたのかな。
意図してか意図せずか分からないけど、この「私の証」の対比にこそ、hydeさんの作詞表現の真髄や美学が詰め込まれているように思います。
この他にも色々とhydeさんが考えた繊細な伏線や演出はたくさん存在すると思うけど、とりあえず私が気づいた、感じたことを書き出してみた。
また思い出したら、追記していきます!