【依存症関連】ワタシがなったわけ
はじめに
こんばんわ あにき です。
プロフに書いた通り私は社会復帰を果たしている、アルコール依存症者です。これカミングアウトするのってすごーーーく勇気が必要です。
だって、日本の世間一般でアルコール依存症者のイメージって未だに
「病人」って意識がないんですもの。
精神科医でさえも匙を投げるこの病気になった理由、なんだろう。と考え続けてもう数年たちます。
この「病気」ですが、古来よりある病ですので自分がなってみて「どうしてもっと医療研究がされていないんだろ。。。」と
不思議じゃないですか?数世紀にもわたって問題視されてるのに病気扱いされていないなんて。
LGBTは最近では認知が広がって「禁忌」から「病気」、今やパーソナリティの一つとして認知されています。それがアディクト(依存症者)には適用されない。
恐らく大多数の方は依存症者を
・だらしがないだけ
・辛抱が効かない人
・人でなし
・呑み過ぎ、使い過ぎ
・低所得者 etc..
といった病ではなく個人のネガティブな人格ととらえているんじゃないでしょうか?
先ず自分の事を書く前に認知してほしい病識は「呑んでしまう」病気ではなく「呑むとコントロールが出来なくなる」病気であるという点です。
精神と肉体の地獄
わたしも一度抗酒剤(お酒の成分を分解できなくする薬=極端に酒に弱くなる薬)を飲んだ状態で飲酒したことがあります。
抗酒剤を飲んでいるとチューハイ1口でも異常な動悸と発汗、死ぬほど凄まじい悪寒、焦燥感...とても正気ではいられない状態になります。試し呑みで実感しています。抗酒剤INでチューハイを一口。
ハイ、↑の症状で近所のマクドナルドで5時間くらい悶絶していました。。
そして、止まりませんでした。お酒が。唯一記憶がハッキリしているのが一口飲むたびにハンマーみたいな鈍器で頭をカチ割られるような頭痛と呑んでは吐き呑んでは吐きを繰り返していたことです。
それこそ糞尿垂れ流しで。
その位止まらなくなるんです。(その時飲酒した理由は.....)
これって狂気ですよね。
前述した「だらしない」とか「辛抱が効かない」とかじゃなくって。
目の前に「人殴ったらしぬだろーなー」と思われるハンマー置いて、リビングに座して最初の1杯でガツンと自分の頭を殴る。
出血と痛みで悪寒と震えとが合併してやってくる。普通ならそこで止める。これでも十分頭おかしいのに、それが止まらなくなる。記憶があいまいになってくる。それでもお酒を飲んでハンマーで頭を殴る作業を止められない。
最後は、文字通りぶっ倒れる。
むくっと起き上がっては↑の作業に戻る。数日は続いただろう。最終的には排泄すらままならなくなり、糞尿垂れ流し続け↑の作業に戻る。
ハッと気が付くと思ったんです。「もう死ぬな」って。でももう止まらない、止められない。書いていて記憶が鮮明に蘇ってきました。
精神と肉体の拷問ですよこれ。
それを自分の力では止められない。
私の場合は世話になった社長が出社していない自分に気が付いてくれて偶然家に助けに来てくれましたが、ほとんどの依存症者はそのまま死んでいたと思います。
皆さんどうですか?私は「だらしない」でしょうか?「我慢が効かない人」でしょうか?境目があいまいですが呑んでいるときの私は「正気」と「狂気」があったら狂気で、「健やか」と「病める」があったら病んでいるのだと思います。
これは、もう病気でしょ。。。私の場合抗酒剤という超強力なハンマーを置いたので、ダメージが大きく早く出て対処も早かったんですが、無かった場合の事を想像してゾッっっとしますね。
依存症って?そして断酒について
上記した状態って例えるとエアコンとか電気とかの生活用品が当たり前になった生活やスマートフォンなどに似ていると思います。
昔の人は夏の暑い時期は風鈴や簾とかで涼を取ってたし、ろうそくの光をぜいたく品として使い、明かりが消えると寝ていた。現代になってエアコンや電気がまんべんなく広まると、「涼しくて便利な場所」が当たり前になってそれを学習してしまう。最近でこそ1人1台のスマートフォンもそう。どんなに生活に困窮しても持とうとする。
とある依存症関連書籍で読んだんですが、依存症は「依存物質が体に入っている状態を正常と勘違いする」病気らしいです。これは体感をもって感じます。前述した抗酒剤×飲酒のパターンもそう。心身共に衰弱しているのに「脳が覚えている(勘違いしている)正常な状態に戻そうとする」力が働いているんだなと。
人間、エアコンが無い強制施設に入れば嫌が応にも無い生活を送っていけますし、スマートフォンが無くても小さい子供は普通に生活しています。これが、一度利用してしまうともうその快適さのあまりソレ無しでは生活できなくなる。
断酒も同じ。元々酒の便利さや快適さそして、意識をバグらせる快感。これを知っちゃってるんですが、それなしでも生きていける。1度呑んだらバグっていくのを思い出しちゃってどうにも止まらなくなる。
お酒(特にストロング系)はどうも意識を適度にバグらせてくれるので流行っていると思うんですが、この快感が普通の状態だと脳が誤認した時点で依存症になっています。
どんな人が依存症者なのか
電車の中でビニールに隠してちびちびやってる人、晩酌が辞められない人、飲酒で脳がバグるのに快感を覚えちゃってる人は十分予備軍(若しくは羅漢した人)です。これは体感上確実に言えます。そして病気か否かの境界線はすごく曖昧。アルコール専門医のスクリーニングテストなどがありますが、そのあいまいな部分が省略されているように思われます。
理系システムエンジニアの私はこのあいまいさを容認するのに凄く時間がかかりました、「何をもって」「どういう状態をもって」依存症なのか。と。
この病気は「否認の病」と言われています。自分がバグっていると認識しない限り依存症の初期段階では気が付かないでしょうし、まして医療に繋がろう、断酒しようとは思わないです。お酒好きなんですもん。
では私の場合どうやってこの「あいまいさ」を容認したか。これは自助グループの存在が大きかったです。
同じグループの人に「依存症で医療に繋がる人が0.1%以下、その中でも更に自助グループに繋がる人が10%位」と言われてハッとしました。
「自分がもうマイノリティ側の人間なんだ」という自覚と同時に酒が止まりました。気が付くの遅いですよ。
もう少し早くに気が付いて対処できたか、自問自答しますが、晩酌してた時ビールの500ml3缶(これでも十分多いですが。。)をストロングに切り替えたら同じ量ですぐに酔え、快感を覚えた時点で依存症だった。と思います。
じゃぁ原因は?
イキナリ結論ですが「無い」です。色々と当時の状況を思い出してみてつらつらと書いてみます。
仕事
部長職、頼りになる部下も増えてきて会社は成長してきていて
やってきたことに手ごたえを感じ始めた時期。太い客を増やそうと
大手ゲーム企業へ施策をもって意気揚々と乗り込む毎日。
相応のストレスはかかっていましたが楽しかった。
家庭
第二子が産まれ、金銭的にも余裕が出来てきた。
時折夫婦間の不和もあったけどどちらかと言えば普通よりも幸せ。
身体
長男が生まれる前に絞っていたカラダが運動不足で崩れ始め、
食生活を見直し、ストイックになっていた以外は、健康。超健康。
金銭
貯金こそ少ないものの運用に回すお金がたまってきた。
借金も返済目途が付いてのものだったので気にはなったけど
どうにかなる試算。無問題。
私生活
好きなゲームやって長男とキャッキャ遊んでた。
ガンプラが欲しかった。
いたって普通の30代後半でしょ?
仕事中心とはいえ公私共々中の上位の立ち位置だった。
それがどう転落していってどう復帰した(復帰中)かは別記事として書くけど
転換期はあったかも?って位これぞといった原因が思いつかない。
初婚~離婚での精神的なダメージや29歳で母が死んだこと等、「何かのせい、誰かのせい」で大酒呑んでだ事もあったけど、仕事の愚痴を吐く、部下から聞くのが増えたせいだ、とも思ったこともあるけど、両方とも転換期ではなく直ぐに帰ってこれた。
3年近く考えて苦悶した答えが「理由が無い」ということと「考えること自体にあまり意味がない」ということ。呑めばコントロールできない事実があるわけだし、どうにもならなかった過去もある。家族とは離散し子供たちへの負い目も相当ある。後悔も懺悔の気持ちもある。でも原因分からない。対処は出来ない。断酒し続けるしかない。何時か美味しく呑めるという希望はとっくに捨てました。捨て鉢ではなく。
この投稿を境に過去自分がどうであって、今がどうなのか。依存症業界についてのお話など書いていくと思いますが、一言
「ストロングはマジでやべぇ」
ではでは。