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【アニ研漫画紹介】#5 終わりゆく世界[少女]─作品紹介『少女終末旅行』【国士舘アニ研ブログ】

漫画紹介をナンバリングしながらやっていたことを思い出したので久しぶりの漫画紹介記事です。【アニ研漫画紹介】最後の更新がなんと去年の5月末……。
本稿は一部抽象的なネタバレを含みますのでご留意ください。具体的なネタバレはないと思います。

さて、日常系という物語のジャンルがあります。文字通り「日常」を軸に物語が進むジャンルで、広義的に捉えるなら『サザエさん』や『ドラえもん』などが有名でしょう。
このような日常系に分類される作品の中には、キャラクターの死や卒業などの日常が終わるイベントや、そうしたイベントの予兆が描かれない作品、すなわち日常が終わらないものとして描かれる作品が数多く存在し、そうした作品に対する指摘として日常がずっと続くものとして描かれているというものがあります。いわゆる「サザエさん時空」と呼ばれるような世界観を持つ、いつまでも歳を取らないキャラクターが描かれた作品、あるいはそもそも時間経過が描かれない作品がその代表でしょう。
こうした「サザエさん時空」のような要素に対して懐疑的な側面を見いだすことができる作品・エピソードとして代表的なものが『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』や、『涼宮ハルヒの憂鬱』においての「エンドレスエイト」です。これらの作品・エピソードは終わらない日常を作中のキャラクターが自覚することで、永遠に続く素敵な日常が、抜け出さなければならないループ世界へと変貌するという点が大きな特徴となっており、終わらない日常をメタ的に描くことによって「サザエさん時空」的日常を見直した物語であると考えます。
他にも、日常が脅かされ続けることで相対的に日常の価値を描く『結城友奈は勇者である』や、主人公の父親が亡くなりひとつの日常が終わったところから物語が始まり、日常の再構築の物語という側面を持つ日常系作品である『スローループ』などが「終わらないとされる日常」に対して懐疑的な作品として挙げられるでしょう。

このように、終わらない日常を避け、ある意味では隠されていた「終わり」の部分について扱う際、多くの場合において避けて通れないこと、あるいは「終わり」の部分について扱うからこそ描けることが生の一回性です。生の一回性、すなわち「人生は一度きり」というやつで、多くの場合「だからやらないよりやった方が良い」とか「だから楽しんだもの勝ち」といった言葉が続きますが、本稿では「終わり」の部分について扱っているのでちょっと風向きを変えてみます。例えば「人生は一度きり」、だから自分自身が死んでしまったらその先はなく、誰もがいつかはすべてが終わる世界で生きている、みたいな方向性も示すことができるでしょう。
本稿ではそんな方向性を持ちながらも、結末ではポジティブで強い祝福が描かれている作品である『少女終末旅行』について紹介します。

つくみず『少女終末旅行』
左:チト/右:ユーリ

終末世界でふたりぼっちになってしまったチトとユーリは、愛車のケッテンクラートに乗って延々と広がる廃墟をあてもなくさまよう。日々の食事さえも事欠く、明日の見えない毎日。だけどそんな「日常」も、ふたり一緒だと、どこか楽しげだったりもして……。

WEBマンガサイト"くらげバンチ" 『少女終末旅行』作品ページ

ケッテンクラート:半装軌車。小型の戦車のような見た目をしている。

・唯識とか諸行無常とか

先程「自分自身が死んでしまったらその先はなく、誰もがいつかはすべてが終わる世界で生きている」として自身の死をすべての終わりと同義にしてしまいましたが、恐らくこのような認識を持っている方はそう多くないでしょう。しかし、本作においてのチトとユーリの存在は『少女終末旅行』の世界においての最後の人類、あるいは最後の生命であるように描かれているため、[自身の死]と[すべての終わり]を並べるような認識を持っていなくても、なんとなく[チトとユーリ]と[世界すべて]を横に並べて読み進めることができます。
そして、この[個人](ふたりだけど)と[世界すべて]を並べる認識は、終末世界という現実とは大きく異なる世界を描いた本作から、読み手の側にも通ずる何かを見いだす場合に必要な認識であると考えています。

つくみず『少女終末旅行』42話「終末」

わたしたちは「見て触って感じられること」しか認識できません。そういった意味では「見て触って感じられることが(自身にとっての)世界のすべて」であると言えるでしょう。これを踏まえれば、[個人]と[(自身にとっての)世界すべて]を並べる認識、転じて自身の死をすべての終わりと同義とするような認識も飲み込みやすくなると思います。そして、本作の舞台が滅びゆく終末世界であるように、「終わり」は誰にでも何にでも等しく訪れるということも加味してみれば、先述した[自身の死]=[すべての終わり]という認識において、死はどうしようもない不条理として立ち現れます。
本作の読みどころのひとつとして、このような不条理に対してのある種の回答が描かれた結末が挙げられます。感動や面白さとはまた別の良さです。また、このような独りよがりになりそうなことを扱っていてもチトとユーリでふたりいることで、あまり独りよがりな感じがしないという点も本作の良さのひとつでしょう。

・目的のない旅、あるいは「生きんとする盲目的な意志」

本作は一貫して目的が設定されていないことが特徴的です。チトとユーリは上を目指して旅をしていますが、そこに目的という目的は感じられません。このことに関しては、わざわざ作中で「目的ですらなくて…」というセリフがあるほどなので、恐らく意図して目的が設定されていないのでしょう。

つくみず『少女終末旅行』38話「図書」

しかし、それは何もやりたいことがない、ということではないとされています(引用画像参照)。「いつかすべてが終わると知っていても何かをせずにはいられない……」というセリフが示しているように、それは目的以前の衝動・欲求のようなものとして描かれていると思います。
このように「いつかすべてが終わると知っていても何かをせずにはいられない」というのは私達も同様でしょう。しかし一般的には、こうした欲求のようなものは際限がないとされていると思いますし、そういったものを断つことを良しとする考え方も一定数存在します。生は有限なのに、欲求のようなものは無限となれば、そうした考えもよく分かります。
それでも本作では「いつかすべてが終わると知っていても何かをせずにはいられない」ということを受け入れたチトとユーリの結末を強く祝福してくれます。

そんな、読み手に寄り添うような作品である『少女終末旅行』ぜひ読んでみてはいかがでしょうか。今なら2024/11/5(火)の12時までWEBマンガサイト"くらげバンチ"にて全話無料配信中。アニメ版も良作です。

執筆者  :鯖主
カバー画像:TVアニメ『少女終末旅行』公式X
本稿ではWEBマンガサイト"くらげバンチ"の話数を参照しています。


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