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生活を趣味とする

それは新学期、新しい出会いに、自己紹介が盛んな時期のこと。趣味を持たないと悩む学生が多いことを、私は目の当たりにした。「答えられないから趣味について聞かれることが嫌」と言う人や、「カフェ巡りや、人と会うことが好き。あ、でもこれ趣味ではないよなあ」と言う人もいた。このことをきっかけに、私は、「趣味」について考え始めた。

趣味を聞かれると、何か答えなければいけない気がする。私は、いつもとりあえず「編み物」、と答えるものの、編み物を趣味と呼ぶことに、違和感を覚えた。趣味とは個人の道楽を意味するが、私の中で、編み物をその枠組みにおさめることに、躊躇があった。

確かに、仕事として編んでいるわけでもなく、何かを得るために編んでいるわけでもない。しかし、私は毎日欠かさず、毛糸と棒に触れている。少しでも時間があれば編み、編むために身の回りのことを早く済ませることもある。編まないという選択肢がない。食事や風呂、掃除のように、もはや編み物は欠かせない、生活の一部となっていた。

編み物は、今こそ娯楽として人気を集めるが、もともとの意味合いは少し違う。作ることだけではなく、実際に使うこと、つまり「用」を目的とした手仕事であった。一方で、何でも簡単に、そして安く手に入るこの時代において、わざわざ手作りをするということは、作品を仕上げる過程を楽しむ傾向が強い。その点で、今の編み物は趣味目的になるのだろうが、もともと暮らしに寄り添っていたことを強調したい。

さらに、現代の「趣味」が持つ意味の影響も大きい。趣味をもつことが重要視され、「休日や空いた時間に何をするか」が、問われるようになった。この趣味至上主義のような流れに、編み物のあり方も、より娯楽の意味合いが増したと考える。しかし、趣味の有無は、一見人生の豊かさを測る、簡単なものさしとも思えるが、趣味を答えられなかったり、他人と比べたりすると、悪い方に向かう可能性も高い。趣味のハードルが上がれば、趣味がないという悩みを抱えた人が増えてくる。

私にとって、たまたま編み物が、突出したジャンルとしてあげやすいだけで、趣味というのは、本来具体的な答えを持つ必要はない。趣味は、'hobby'の他に、好みや嗜好を意味する、'taste'と捉えることもできる。 自分が普段より何に惹かれ、何を選択するかが重要となる。つまり、学生の言うカフェ巡りや、人と会うことも、歴とした趣味と呼べる。趣味とは、暮らしの中の嗜好を意味し、人生の豊かさとは、そこに気づけるかどうかである。

編み物の他にも、私には日々好んでする、ちょっとしたことがたくさんある。毎日紅茶を飲まずにはいられないし、毎日植物を見ては癒されている。四季を感じられるような暮らしが好きで、巡る季節を常に追いかけている。これらの暮らし、全てひっくるめて趣味と呼べるのではないか。

私は、生活することを趣味と呼ぶ。

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