自分が「毒親」にならないために(はじめに吐き出します)
noteに会員登録したのは去年、2022年の初め頃。元々は子育て漫画や地元で見聞きしたことをイラストにして載せようと思っていました。作品を公開して嘲笑されるのが怖くて結局全く記事を公開しないまま1年も経ってしまいました。(アイコンのチンチラは自分で描きました笑)
漫画にもイラストにも自信がなくてやっぱり勇気が出ないので、まず、なんでも良いから書いてみようと思います。
ブログは全くの初心者です、ただ、10年前にアメブロに何度か、長ーーい愚痴日記は書いたことがありました笑。
いかに自分の親が毒親か、恨みつらみを綴っていました。当時長女を保育園に入れてフルタイムで仕事に行っていました。母親は非協力的なばかりか「片手間で育児をするな!」とか「熱を出した子を他人(病児保育)に預けるなんて母親失格だ!」等をチクチクとイヤミっぽい言い方で日常的に口撃されていました。
当時2010年ごろ…私の地元が時代遅れだったのか、職場も「子どもの面倒を親は見てくれないのか?なぜ地元にいるのに保育園の迎えにジジババが行ってくれないのか?協力してもらいなさい」という空気で、元々精神的に強いほうではなかったので針のムシロのように感じていました。結局そんな日々(ノルマの辛さ、自分の時間が取れない辛さもあった)が苦しくなって退職しました。そして、育児しながら正社員に齧り付いていたのは、母のようになりたくなかったからです。
私の両親は仲が悪く「あんたたち子どものために、離婚は我慢している。仕事を辞めずに今も働いてさえいれば離婚してた。」と母はよく言っていました。(結局父の定年後もずっと愚痴を言いつつ最後まで離婚しませんでしたが汗)
昭和生まれの多くがそうだったかもしれませんが、私の育った家庭も核家族で、父は夜遅くまで仕事あるいは接待などで酒を飲んで遅くに帰宅、土日は接待ゴルフ、という、(表面上は)絵に描いたようなバブル時代のサラリーマンでした。母は専業主婦でした。どぎつい肩パットの入ったカラフルなスーツに髪型もばっちり決めて参観日に来ていたのを平野ノラさんのおかげでよく思い出すようになりました笑。
自分が子育てするようになってみて、母が当時1980年代、専業主婦として夫の世話、家事育児をワンオペでこなす中でとてもストレスを感じていたのだと実感をもって想像できるようになりました。冬の雪の日に外に締め出されたこと、成績が悪くて頭をテレビのリモコンで叩かれたこと、テストで85点以下をとる子はうちの子じゃない!と金切り声で叱られたこと、父が買ってくれたファミコンを約束を破って一時間以上したからとハンマーで叩き壊されたこと……あっ…こうして書いてみるとやっぱりあり得ない母親だな笑!…けれど、少なくとも今のような優秀な家電はなく、インターネットもなく、昭和の田舎で世間体に縛られながら、妻・母としての勤めをこなしてきた母。父から「誰の金で食ってるんだ!」と罵られていたのは当時子どもだった私も目の当たりにした記憶があり、夫婦喧嘩はしょっ中でした。その上に「出来がイマイチ」な私を育てることは苛立ったり情けなく思ったのは仕方のないことだったと思えるようになりました。
そんな母も70歳を越え、丸くなるを通り越して気弱になりつつあります。
私が17歳の時、東京や大阪の美術系の大学へ行きたいと母に打ち明けると「誰の金で進学すると思っているんだ、交通費がかかるから四国から出て行くことは許さない!」と言われその通りにしました。(父は傍観していただけ。)子どもは親の老後の世話をするもの、というイメージは今もありますが、当時はもっとそれが当たり前だったし、我が子が都会へ出て戻ってこなくなるのが母は怖かったのかも知れません。今では孫にまで「ばーちゃんの世話よろしくねえ」と会う度くらい言っていて、勘弁してほしい!
ちなみに、当時の私の大学進学ですが、母親への反発から四国内の美術関係の学科には入りませんでした。「教育学部の美術科を出て教師になればいい」という親のいう通りにするのは嫌でした。今思えば、「反発」とは母親に対して「あなたの子育ては間違っていた、ほら失敗作が出来上がりましたよ!」とアピールすることでもあった気がします。本当に捻くれていた…。もちろん当時はそんな自覚はなく、ただただ「親ガチャ外れた!」という苛立ちと親から物理的に離れたい一心でしたが。その後も私自身の人生の大切な岐路において、何かと母親に当てつけるような選択してきた気がします。
その後、十数年間会社員(とてもポンコツ!)を経験し、子育てに四苦八苦し、いつの間にか自分の思い出の中の「毒親」だった当時の母と同じ年齢になってみてようやく、私が人生をどう歩むかということに親は関係ない、と思えるようになりました。もっと早く気づけばよかった笑。覚悟をもって自分で考え、行動すればよかった。
こんな風に書いているうちに、自分の中の自分が、ツッコミを入れてきました、いざ自分が親になった途端に、子どもの人生は自己責任だ、と言って自分が楽をしようとしていてズルい、と(^^;;…いや、決してそうしたいわけではありません。自分が子どもの頃、親にどう振舞って欲しかったかを思い出しながら、できる限りそのように振る舞いたいと思っています。十代の頃の私の知能では、器用に親の協力を得たり、自分で情報収集して自分にとってベストな選択をするというのが困難だったわけです。当時未熟ながらも能力の範囲内で右往左往、足掻いていた自分を否定したくはないので、我が子がそんな状況になった時にはそれを否定せず、寄り添ってあげたい。
「覚悟をもって自分で考え行動する」は大人にとっても結構難しいことですが、しっかり情報収集し、勇気を出して決断すれば出来ること。毒親育ちだと愚痴ってきた私も、今までに自らの判断で人生の大きな決断をしたことは何度かあります。特に現在はインターネットで情報が昔よりずっと得やすいので、主に必要なのは覚悟と勇気かもしれない。(逆にそんな時代ならではの難しさも大いにありそうだけど。)そしてそれを支えるメンタルには、生まれ持った能力の個人差や両親との関係性や、時代、環境が大なり小なり影響してくるものだと思います。我が子が大切な将来に関わる選択をするその時、支えになれるよう、信頼関係を心がけて日々を重ねていきたい。
2023.3.24
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