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言葉という記号化

我々の脳はいつ進化したのだろうか? 

1万年前の人類と今の人類の脳は同じだろうか。
正直よく分からない。
では2000年前はどうだろうか。
服を着てお酒も飲んでたのでさほど変わらないのではないかと思う。
もしかしたら取得している栄養素が違って多少は違うのかもしれない。しかし誤差程度だろう。 

ではなぜ2000年前と今ではこんなにも文明形態が違う?脳細胞の数は同じだと過程して、どうしてこんなにも違うのだろうか? 

身近なことを考えてみる。
この10年で何が変わった?
スマホで毎日SNSでコミュニケーションを行うようになった(ここもそうだ笑)。AIによるサービスが増え、人間が行わなくてよい業務が増えた。 

これらはどうやって発明された?
スマホの前身は携帯電話であり、パソコンである。
その中身は半導体であり、電気の発見であり、2進数演算の発明である。 

そうやって過去の偉人たちが紡いできた技術の上に今の我々の生活や文明がある。 

ではどうやって技術を持って紡いできた?
作り方や考え方をまとめ、理論として本にまとめて来たからこそ今の技術は積み重ねられてきた。 

本には何が書いてある?
公式や説明が書かれている。
そしてそれらは「文字」で書かれている。 

我々が死んでも次の世代が、我々の残した文字を読みながら、更に高度な技術を産んでくれるだろう。 

では文字とはなんだ?
「言葉」を見える化したものだ。
言葉を「記憶」しておくものだ。 

文字がない頃の人類を考えてみる。
皆、話して意思疎通はできる状態だ。
ただ、口伝えなので正確には伝わらない。
人間は忘れやすいので、情報が欠落する。 

つまり、その時代では技術を伝承できる量が少なく、発展スピードが遅い。
それが文字が発明されると、正確に伝わるようになる。また、脳の記憶の役割をするので、文字を書いてじっくり考えることが可能となる。 

それでは更に遡って、言葉が無い時代を考えてみる。 

言葉が無いとはどういう状態だろうか?
例えばお腹が空いた時にどうやって相手に伝えるだろうか。ジェスチャーだろうか。言葉ではない声の音色で示すだろうか。 

今の動物を見てみる。
犬はお腹が空いた時にどうする?
吠えたり、すり寄ってアピールをする。 

ほぼ、同じようなことを人類もしていたのでは無いだろうか。 

では意識の中はどうだっただろうか?
まず我々の意識の中はどうなっている?
頭の中で独り言を言ってはいないだろうか。
あー腹減ったなぁ、とか。
お!あの子可愛いな!とか。
まじムカつくなぁー!とか。 

例えばイチゴを見て、頭の中で喋らずにいて見てほしい。
たぶん苦痛だと思う。あるいは、視線はイチゴに向けているが必死に頭の中で考えないように拒否しているのが精一杯だろう。 

だが深呼吸して心を落ち着かせ、フラットに見た時、イチゴの映像を言葉なしに見れるはずだ。ただそこには感情はない。 

もし言葉の無い時代の人類が、イチゴを見させられたらどうなるだろうか。イチゴという映像が直接脳内に入力され、これは食べて良いものかどうか過去の記憶から判断される。 

これは犬も同じだ。
犬なら匂いの記憶で判断するだろう。 

つまり、我々と太古の昔の人間、我々と犬の差は「言葉」を使えるかどうかではないか。 

言葉が使えるようになると、頭の中でロジックを組み立てやすくなる。例えるならソロバンの暗算に似ているかもしれない。頭の中にソロバンの珠を描き、数を足していく。そして最終的にソロバンの珠の数を口に出して答える。 

つまり、今までぼんやりと感じていただけの頭の中が、言葉によって現象をハッキリと記憶することができるようになった。 

これこそが言葉による記号化である。
「イチゴ」「赤い」「甘い」
このようなタグをイチゴのイメージと一緒に記憶するようになった。そしてタグによって整理整頓された脳の中では簡単に記憶を引き出すことが可能となる。 

つまり、言葉の発明により、見たものは記号化され、記憶の読み出し性能が格段に上がり、頭の回転が速くなり、意識と呼ばれる脳内の喋りが生まれたのではないだろうか。

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