悟りから1ヶ月半

2022年4月初め
風呂に入りながら、
人間が生きる意味って。。
あれ?この世界ってもしかして。。
蟻も人間も同じ。。

それに気づいたとき、
2日くらいは、なんとも言えない、おおらかな、
何を見てもニヤニヤしてしまうような、
大きな安心感に包まれているような感覚でした。

しかし、その感覚は長くは続かず、
今まで頑張って築き上げてきたものが何だか無駄に思えてきてしまう感覚に変わった。その思想に入り込むと、安心感ではなく、世界全てが無機質なものに見えるようになってしまった。

最初の1週間はネットで仏教の悟りについて調べてみたりした。悟りとは良いことではないのか?なんでこんな気持ちになるのかと、答えを探した。

しかし、皆、良いことしか書いていなかった。心が落ち着く、不安が無くなった、悩みが消えた。

確かに、元々、不安や悩みを抱えていたならば、それらがどうでも良いことが分かり、スッキリするだろう。

しかし、私の場合は、そこそこ楽しい人生の時期に入っていたので、プラス部分がゼロに戻された感覚であった。

そんな感覚だったので、誰かに話そうと思ったが、リアル世界では中々話す勇気もなく、色々調べた結果、noteにたどり着いた。

それが
2022年4月10日

そこから
2022年4月14日まで頭の中のことを言語化した。

何人かとコメントのやり取りをさせてもらい、何とかこの嫌な気持ちから抜け出せないかヒントを色々もらった。

ある方は物質と情報の関係、そして脳科学の「クオリア」という存在を教えてくれた。そこから茂木健一郎先生の「クオリアと人工意識」という本を購入した。しかし、内容が難しすぎて、まだ3分の1しか読めていない。

でも自分なりにクオリアについて考察ができた。内面の感覚、意識とは何かをより一層考えるきっかけとなった。

また、ある方は私をスピリチュアルな方面に興味を向かせた。「私はいない」「今ここ」「一瞥体験」、ほとんどが共感できた。こんな世界感がすでにあったんだと気づかせてくれた。

またある方は、意識や魂、霊魂といったものが別次元で存在すると言った。素粒子や量子力学の世界で説明できるかもしれないと私をワクワクさせた。まだ量子力学の本は読んでないが、非常に興味深い。

ここまでが
2022年5月初めくらい

なんとも目まぐるしい1ヶ月間であった。


そして今
どうやら私が悟りとと思ったものは非二元(ノンデュアリティ)という考えに近いことが分かった。

これもまた、すでにある考え方でスピリチュアルが神秘的な表現をするのに対して、非二元は少し論理なアプローチであると感じた。どちらも詳しくないが漠然と引き寄せの法則と言われるよりも、全ては自動的に必然として起きていると言われた方がしっくりする。

非二元の方の話を聞いていると、我々が見ている世界は幻影で、全てはシナリオだという。

確かにそうだと思う。
だが、そうは思いたくないとも思う。
と考えている自分は脳が過去の記憶から判断したものとも思う。

行ったり来たり。

そんなことを考えると脳が疲れるので、頭の中を空っぽにして、ただ目の前の映像情報を脳に浴びさせることを試みている。これは多分、禅とか瞑想とかに近いのかもしれない。

なるべく頭の中で言語化せず、ひたすら周りを観察している。

ここまでが、悟りっぽいものが見えてからの時系列の記録である。なんとも濃厚。見える世界が一変したのは事実。ただ、多分スポーツと一緒で、理論は分かってても体(脳)が追いついていない状態なんだと思う。

それには日々の練習が必要なんだと思う。ただ一体何を練習すれば良いかが分かっていないというのが今の状態。。

まずは美味しいものでも食べて、この世界を満喫してみようと思う。

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