賢いということ

 「賢い」あるいは「頭が良い」というとき、何をもってして「賢さ/頭の良さ」とするのかという問いは、自分の人生におけるひとつの大きなテーマです。答えはほぼ出ているのですが例外なく包括できるかどうかはわからなかったり後述する問題があったりしてあまり自信がありません。これを読んでくださっているみなさんにもそれぞれの「賢さ」があると思います。もしよかったら聞かせてください。

 私にとって「賢さ」とは、選択肢の数です。

 頭が良いといえば勉強(狭義)だと思うので、まずはそこから考えてみます。
 数学、特に高校数学でいえばきっと場合分けとかいうので抜けがあったりなんかして点数を落としたという人も少なくないのではと思います。なにも場合分けに限った話ではなく、大学以降の数学はまともにやっていないのでよくわかりませんが、大学受験までの数学は解法パターンをいくつか持っていて一番上手く行きそうなやつを選ぶというのが基本です。数学は科学の婢()ですからね、理科も同じです。
 社会は苦手だったのでわかりません。国語は、そもそもああいうスタイルが気に食わないのでそこに当てはめたくありません。ド理系の言い訳のように聞こえますが、センター試験は現代文満点でしたし高2までは国語科の教員になろうとしていました。自慢してすみません。話が逸れちゃったな……。

 頭が良いと言う時、頭の回転が早いことを指していることも多いような気がします。
 頭の回転が早いってなんだ……?でもそれってやっぱり脳内にたくさん引き出しがあって適切な引き出しを開けているということなのではないでしょうか。やってることは数学や理科と一緒です。というかそもそも、だから数学や理科を勉強するんです。

 逆を考えてみます。頭が悪いとはどういうことでしょうか。私は、自分には見えている選択肢に相手が気づいてないだろうなって時にこいつバカだな〜って強く感じます。そんなこと言ったらこう思われるかもって思わないのかな?とかね、大ブーメランを投げた気がしますが。沈黙は金とはよく言ったもので、黙っていれば自分が目の前しか見えていないことを相手に悟られることはあまりありません。
 昔は塾講師をしていたんですが、生徒が説明を理解できない時や問題を解けない時、覚えられない時に頭が悪いと思ったことは一度もありません。説明を変えたり、勉強の方法を変えれば必ずできるようになります。必ずできるようになるは嘘ですね、でもあっていないやり方で続けるよりは確実に良くなります。余談ですが、個別指導の講師は勉強が苦手だった人の方が向いているとよく言われます。試行方法が多い傾向にあるからだと思います。だから別に勉強が好きな人も塾講師に向いています。

 もう少し大きく人生で考えてみましょう。受験の話ばっかりして申し訳ないですが、一般に大学を出ていると賢いとされます。偏差値が高ければなおのこと。大学を出ていないとなれない職業がありますし、現代日本社会においては偏差値が高い方が良い会社にも入りやすいです。
 ここで難しい問題がでてきます。東大出身のトラック運転手は賢いのでしょうか。私は賢いと思いますし、バカだと言う人のことを基本的にはバカだと思います。基本的には、どのような物言いでバカにしているかによりますということです。彼がどうしてその職業を選んだのかを知っていてそれを踏まえているのであればバカな批判とはいえないでしょう。
 そろそろ疲れてきたな……。他にもいろんな賢さやバカさがあると思いますがだいたいこんな感じで説明がつくはずです。

 最後に、ふたつ考えておかなくてはならないことがあります。

 ひとつめは「正しい選択肢を選び取ることが賢さではないのか」ということです。個人的な結論から言えば違います。数学には正解が存在しますが、人生には正解が存在しません。「正しい選択肢」そのものが存在しないので命題は成り立ちません、ということです。
 一本道の人生をバカだというつもりはなく、そこがゼロ地点だとしてほしいんですが、「それしか知らなかった」より「そうなるしかなかった」の方が頭良さそうだし「〜だからそれになることにした」の方がもっと頭良さそうじゃないですか?突然の感情論。

 ふたつめは「それが選択した結果なのかどうかをどうやって見分けるのか」ということです。こちらはある程度でも納得のいく答えが出ていないので、もうしばらく考えてみます。

 最初に「例外なく包括できるかどうかはわからない」と書きました。ここまで書いて、というか何日かにわけて書いているので時間経過の効果の方が大きい気がしますが、「例外なく包括する必要はあるのだろうか」という問いが浮かびました。純粋な言い換えになってしまう。言葉にはやっぱりその言葉でしか表せない場面があってほしい。あえて頭悪いことしようぜ!みたいなやつ好きだし。
 だから、本当に「頭が良い」と言うべき場面なのか、考えたり考えなかったりして生きていけたらいいですね。

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