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皆様初めまして!

皆様初めまして!三浦 風太(ミウラ フウタ)と申します。
1995年生まれの25歳。
現在は「Innovation Body株式会社 代表取締役」 
「ANGINパーソナルトレーニング代表」

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パーソナルトレーナーとして19歳から独立運営行い、
2019年からスタッフを1名加わり法人化しました。

パーソナルトレーニングが今ほど流行る前に参入し

どうやってここまでやってきたのか?

19歳から独立して今に至るまで

当時の記憶を蘇らせながら綴っていきたいと思います。

全ての始まり 2010年 高校入学〜2013年高校卒業まで

私の最終学歴は高校まで。それも工業高校。専攻していたのは「電気」だった。

特になんの取り柄もない普通の学生でした。スポーツ歴として、一応サッカー部に属していました。絶望的に下手くそでした。やる気だけは人一倍あるが常に空回りするタイプ。練習だけ人一倍やっていたと思います。しかしある日、チームスポーツならではの仕組み?に16〜17歳ながら気付いてしまった。「自分一人だけ努力をしても報われない」。サッカーの場合11人で戦います。そのうちの1人だけが努力をしても残りの10人が努力を怠れば勝てません。この頃(確か2年生の夏)からサッカーの練習の「ほとんど」意味ないのでは?と思い始めた。

「ほとんど」です。全てでは有りません。

唯一効果的で成果の出る練習がありました。

ウエイトトレーニングです」

やればやるだけ記録として成果が出ていました。使用重量の向上・数値的変化。サッカーの訳の分からない練習と比べて何倍も面白かったです。

ウエイトトレーニングは個人競技として存在しているのを知っていました。私のいた高校にはウエイトリフティング部があったためです。次第に私はサッカーの練習をサボり始めウエイトトレーニングの虜となっていく。

朝7時には学校に向かい、全国レベルのウエイトリフティングの選手とトレーニングを行う。これが日課となっていきました。サッカー部には在籍のみしている形でした。放課後の練習には行きませんでした。「無意味な付き合い」、「無意味な練習に時間」を費やすのであればトレーニングと勉強を優先しました。

その甲斐もあって、自慢じゃないが第2種電気工事士(国家資格)も取得しました。成績もグングン向上していきました。勉強もまた個人競技。他人と比較するのではなく、過去の自分との比較。その思いで取り組んでから成績は向上していきました。

前回のテストよりも良い点数を取る。昨日わからなかったところを理解する。

こんなイメージです。

冬になると朝早く学校に行くのが難しくなります。(雪で自転車が乗れないため)トレーニングにすっかりハマり始めた私は、自宅でもトレーニングを行うため器具を購入することにしました。お金の管理のできなかった私(子育てをしている人は子供にお金の教育をしたほうがいいです)にとって資金面のみネックでした。なんとか貯金していた小銭を寄せ集めて購入した記憶があります。確かダンベルとフラットベンチだったと思います。合わせて1万円しないぐらいだと思います。これでトレーニング漬けの生活ができるようになりました。

高校3年の時だったか?TVを見て衝撃が走った。

「2ヶ月でこのカラダ」「予約待ち中」「筋トレと食事制限だけ」

このフレーズだ。

ここで登場するのは恐らく、皆様が連想する会社とは違います。

「吉川メソッド」

インターネットで調べてみてください。衝撃的なビフォーアフターが見られます。さらに驚いたのがコース価格!

高校3年生で世間知らずの私はこう考えました。

「医者や弁護士にはなれない。だけどこの職業にはなれる!なぜなら俺は筋トレが好きだから!この先生より安価でやれば成功する!」

こんなふうに思いました。そもそも誰かに指示されて動くのが好きでありませんでした。雇われるぐらいなら自分で事業をやりたい!と思っていました。

この日から私は「将来のため」のトレーニングになっていきました。まずは自らが良いカラダでいなければ!その一心でトレーニングに打ち込みました。毎月のおこずかいを使ってトレーニング器具を増やしていきました。

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当時の私の部屋。ここで寝ていました…。写真左上の可変式ダンベルは開業当初使用していました。今でも自宅で大切に保管しています!

ここで造り上げたカラダがこちら

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当時の私はこれでも筋肉のあるほうだと思っていました。

トレーニングと並行してランニングも行なっていました。とにかく体脂肪の少ないカラダに憧れていました。毎日をトレーニングに費やして日々の流れはあっという間でした。

3年生の夏 工業高校ならではの…

就活です!

私の心の中にはも「パーソナルジム開業」する事で決まっていました。ただ周りには言っていませんでした。いや、言えませんでした。当時は社会的認知度がまだ低く理解を得られないと思いました。やりたいことがあるのに、学校や進路指導部に紹介された企業に行くことを決めました。

今思えば教育という現場は残酷だと思います。17〜18歳の社会のことを何も知らない高校生に、短期間で人生最初の重要な選択をさせるのですから。良い企業・悪い企業は全て学校や先生が伝えてきます。当時高校生の私たちには判断ができません。今これを読んでいる中で、就職活動中の人がいれば、まずは自分で調べて下さい!学校や先生、親が言うことも全てを信じてはいけません。疑いの目を持ってください。自分で調べてわからないことは質問してみてください!学校や先生の勢いに負けてはいけません!私のように後悔しますよ!

そんな経緯もあり、私は鉄道系の会社に行くことになりました。試験は学校からの推薦があったため難なく突破しました。

余談ですが、面接で趣味が筋トレの話をしたら、鼻で笑われたのを覚えている。猛烈な怒りがこみ上げてきた。「コッチは真剣にやってるんだよ!」

秋以降は学校生活も落ち着き特にやることがなくなった。進路も‘とりあえず‘決まり勉強も余裕が出てきていた。時間があればとにかくトレーニングをしていました。

冬休みに車の免許は取りに行けました。お父さんお母さんありがとう!

3月に無事に卒業。

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(当時の友達との卒業旅行 私は写真上の右から2番目)

4月からサラリーマン生活の突入。

ここからさらに私の人生は大きく変わっていきます。


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