とある映画から得た視点と課題
もし、自分の未来を的確に予知できるようになったら?
あなたはどうするでしょう。
それが断片的なのか、繋がりの全てなのかによって、その反応は違ってくるでしょう。
例えば、
「××年××月××日 ××時××分××秒
○○駅の○○出口に隣接する宝くじ販売窓口
1等賞金が当たるくじが販売される
自分はそのくじを買うことができない」
という断片的な未来を知ったとする。
きっと先ずはこう考えるのではないだろうか?
「これだけ的確な日時や場所までわかっているのだから、何かの策を講じれば、1等賞金のくじを手に入れられるに違いない!」
しかし当日、あなたは考え得る「これなら確実だろう!」という万全の備えをしてその場に向かうが、予知した通りあなたは1等賞金のくじは買えない。
一方、「1等くじを買うことができない」という結果に至るまでの経緯を全て知っていたらどうだろう?
的確な日時や場所まで把握できおり、あなたは何とかそのくじを手に入れようと策を練り、可能な限りの手段を尽くすのだけれど、いよいよ「その時」を目前にして状況が変わる…
というのはあくまで例としての創作の話しであり、これを読む人それぞれに合ったリアルな詳細設定もできない為、きっとこれ以上は「いや、その場合はこう回避できる」などの意見が発生するでしょうから、止めておきましょう。
結論、何を考えて欲しいのかと言えば、
「それ(未来)がどんな結果であっても、あらゆる状況が複雑に絡み合う環境下で”そうならざるを得ない”」という未来を知った時、あなたはどうするか?
ということです。
それが良い事象であるならば、何の問題もなく身を任せられるでしょう。
しかし、悪い事象であった場合が問題でしょう。
「受け入れられないし、認めない」
「何をしても無駄だとわかっていても、私は自分にできる限りのことをする」
「いや、きっと今からなら変えられるはず」
「全て受け入れるけれど、やっぱり怖いから気を紛らわせて過ごしたい」
色んな気持ち、意見があると思います。
では、この「予見する」という能力を用いて、他者に提供する立場になった場合、あなたはどのように相手にアプローチするでしょう?
これは、私が「占い」を扱う場面で常に迫られる問です。
私の好きな言葉の1つに
「苦い真実は、甘い噓に勝る」
というのがあります。
しかし、これは私個人の感覚・価値観である為、万人には通用しません。
強要することもできませんし、ましてや、いわゆる「洗脳」もしません。笑
なので、対象者にベストorベターなアプローチを常に模索しています。
もちろん、私は万能ではありません。
未来予測は百発百中とはいきませんし、時にはアプローチそのものを間違ってしまう場合もありますが。
個人的な理念のようなものですね。
この様な軸を持ちつつ、場面、相手によってどのように変化を加えるか。
つまり、同じ料理であっても、国や地域の好み、受け入れやすさなどを考慮して、少しずつ味付けや口当たりを変えていくような作業を求められているように思っています。
進行中の課題ですね。