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Hallelujah

 モンマルトルにあるサクレクール大聖堂。『地下鉄のザジ』や『アメリ』で使われた建物で、私の長年の憧れだった。そんな大聖堂の前の階段で座っていたら、一人の男性が私の隣に腰掛けて、背負っていたギターを取り出した。書く必要があるのか迷うけれど、彼はアフリカ系の顔立ちだった。彼が歌いはじめた曲は、レナード・コーヘン「Hallelujah」。わたしはジェフ・バックリィのカバーをよく聴いていたので、その選曲に震えた。(最もこの曲は超がつく有名なので、この場で歌われても全然普通であることは確かなのですが)サクレクール大聖堂の中まで、彼の歌声とギターは響く。お世辞にもそこまでうまいとは言えなかったが、彼の演奏を見つめる人は多く、弾き終わったら歓声が起きていた。わたしも同じように手を叩いた。

”夜の靖国通りを、颯爽と滑るスケボー少年は、白いTシャツを着ていた。
サイゼリヤの前はいつも通り変な匂いがして、居酒屋のキャッチは私のことを無視する。
酔っ払いに歩幅を合わせて、脱げそうなパンプス引きずって、ペタペタと歩く帰り道。
耳元で流れるのは、ジェフバックリーの「ハレルヤ」。
今日運命的な出会いをした、儚げな男のパフォーマンスは、私の脳裏から離れない。離れてたまるか。
31歳で夭折した彼のことを、じっと考える。
そのギターの響きは、どうしたものか… 夜の靖国通りを滑るスケボーのように、どこか清々しいものだった。

 

これはわたしが以前書いたもので、この曲と出会った時の感動を記した。靖国通りの汚さは、そう思い返せばパリの汚さに似ているかもしれない。サクレクール大聖堂は「ハレルヤ」が一番お似合いな場所であるけれど、この曲はどこでも形を変えてその場所に合わすのだと、思う。靖国通りでも、パリの街角でも、サクレクール大聖堂でも、この曲は同じように染み渡る。レナード・コーヘンが歌っても、ジェフ・バックリィが歌っても、名無しのストリートミュージシャンが歌っても、この曲は同じように響き渡る。


 そして今、これを書きながら聴き直す。埼玉県の住宅地に住む、このわたしの部屋に、響き渡るハレルヤは、遠く離れたサクレクール大聖堂の、あの瞬間を結びつける。

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