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映画『LAMB/ラム』を観たので考察の真似事

22年9月23日公開の映画『LAMB/ラム』を観てきました。最初はその感想を極力内容に触れずに書きます。感想に続いて考察を書いてみました。

あっさい感想(ネタバレ回避)

ホラー成分を求めて映画を見ることが多いのですが、本作は公式曰く「ネイチャースリラー」。びっくり表現やグロ表現はほぼなく、代わりに不穏な雰囲気が最初から最後までずーっと続きます。
登場人物や伏線も必要最小限。余計な情報が全然ない。あまりにお話の作りが質実剛健。つーか情報足りないんじゃ(後述)。
僕は近年Undertaleやミッドサマーのように、設定がゴリゴリ散りばめられ、満足行く考察がいくらでもあるような作品ばかり楽しんでいました。しかし本作は公開2日目(本稿執筆時点)ということもあり、先行する考察がほとんどない。純粋に作品に向き合えと言われたような気がします。

そうやって自力考察のために何度も映画のシーンを思い出しているうちに、ふと気づくのです。

あれ、私いま、この映画を「反芻」してる…?

あなたもウシ科の偶蹄目に、なっちゃうかも。

あっさい考察パート入ります

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ネタバレ注意

で、視聴する予定の方は閲覧注意でお願いします。

パンフや他の方の考察は未読。あと映画や小説はほとんど接種しないので激浅ですよろしく。バリケードレベルの予防線、張っとくね?

ペートゥル守護神説

・マリアによる母羊殺害
・ペートゥル来訪

上記がほぼ同時。

・ペートゥル強制退場
・父羊によるイングヴァル殺害

上記もほぼ同時。ペートゥルの滞在が父羊への抑止力になっていたことが窺えます。
流石に人間が多いと父羊が不利なのかなと思っていましたが、一緒に観に行った人が「ペートゥルのタバコで近づけなかったのでは」と言っていて、すごく腑に落ちました。(でもアダちゃんはタバコ平気だったのかな)

アダ

中盤以降でマリアとイングヴァルには子供が居たことが明らかになります。イングヴァルが走りながら「アダ」を探している回想シーンから、不慮の事故で亡くなったことが示唆されます。

娘が急に居なくなり、探し回ったが亡くなっていた。

そんな体験がマリアのトラウマになっていたのでしょうか。母羊から「アダ」を取り戻したのちにマリアが母羊にブチギレるシーンは、そのトラウマに触れたものへの激しい怒りを感じさせます。この件が確実に母羊殺害のトリガーとなっているのでしょう。

観ている最中にはこの時系列がわからないので、マリアに対して「急にキレるじゃん…」「急に殺しちゃうじゃん…」と引いてしまうんですよね。

最初のシーンの「時間旅行が理論上可能になった」「過去に戻りたいと思う?」という会話からは、娘の死を強く悔い、それに囚われていることが伝わります。雑談のつもりで心にダメージ与えちゃうイングヴァル、マジ。
これも時系列がわからなくて、観てるときには謎のやり取りですね。

「アダ」が亡くならなければ、半分ヒトの羊にマリアの強い母性が向くこともなかったでしょうし、すべての歯車はここから狂っているように見えます。

父羊の復讐

イングヴァルが投げたおもちゃを取ってこようとした牧羊犬が怯えているシーン。ここから父羊がアダを家の周辺で定期的に(常に?)見守っていることが察せます。

父羊は母羊が殺されるまで、人間にアダを預けるつもりだったのではないかと思います。アダを奪還するだけなら(ペートゥル登場前ならば)いつでも出来たはずです。母羊にさえそうできたように。

しかし母羊が殺されてしまう。マリアが母羊を殺したのと同じ方法でイングヴァルを殺したのは復讐のため。敢えてマリアを殺さずに、愛するものを全て奪う。生きて地獄を味わせる。それが彼の復讐だったのではないでしょーか。

父羊はなんなのか

これね、圧倒的情報不足で考察不可。上映中の情報だけでこれに答えを出せる人、居るのでしょうか。もしかしたら物販で売ってるパンフ(?)とかには別の情報があるのかも。

妄想するに、おそらくイングヴァルの父親世代(かそれ以前)の誰かが羊と交わって産まれた「タブー」は父羊(またはその祖先)なのかもしれません。獣姦はタブー絶対。

ラスト手前でアダちゃんが見つめる白黒の写真には無数の羊が写っており、ゆっくりとズームされた先には、体が映ってないカメラ目線の羊が居たとか。(ただし僕は未確認で、一緒に観た方から言われました)
とすると、昔からこの種族は存在して、共存する人間との間に何らかのルールがあったのかも知れません。それがマリア達には伝わっていなくて、今回の悲劇に繋がった…なんていうのは洒落怖の読みすぎでしょうか。

洒落怖なら妙に事情に詳しい爺さんとか神主さんとかが「ヒツジサマを産んだ母親を殺したんか! しまい、しまいじゃ…!」と分かりやすく嘆きそう。

アダちゃんは父羊に比べると羊側の血が濃いことがわかります。父羊は人間寄りですね。だから人間に近い知性や感情を持ってるのかも。

ペートゥルとイングヴァル

イングヴァル

母性が強いマリアと対象的に、非常に父性が弱い男性です。「冷たい熱帯魚」の社本くんを思い出しちゃう。この登場人物の少なさで驚きの影の薄さです。
マリアの決定や行動に逆らうことがなく優しい夫であるようですが、寝室のすぐ外で妻が(番号付きで管理されてる)羊を射殺してたら流石に気づくし何か言うべきでしょ。
そして父羊にとってイングヴァルはマリアへの復讐の道具でしかない。従順であり生贄でもある彼こそが「真の羊」なのかもしれません。こいつ名誉羊。しらんけど。

ペートゥル

抑止力としてのペートゥルは前述の通りとして。
ペートゥルはマリアに何度も迫りますが拒否されています。僕は気づきませんでしたが二人は昔「そういう関係」にあったようです。
母性とか父性(あるいは男性性)は言わばこの映画では「戦闘力」みたいなもんなので、その点ではペートゥルはイングヴァルより重要人物ですね。何ならアダはペートゥルの娘という可能性すら匂ってしまう。考え過ぎでしょうか。
最初はアダちゃんを奇妙な目で見ていて、殺害直前まで行った彼も、直後にアダちゃんと仲良く寝ちゃったり。アダちゃんには妙な魅力があるのでしょうか。

その他

・この映画、白夜のせいで昼夜が分かりづらいんじゃ~。
・この牧場で育った羊、食用なのか羊毛を取るのかわかりませんでしたが、おそらく食欲なんじゃないかと予想。や、単に夏のはずなのに毛を刈るシーンがなかったから。
・おそらくアダちゃんはヒトとして育てられて、その辺の雑草を食べることは禁じられていたのかなぁとか、ふと思ったり。

終わりに

まだまだ気づく事はあるかもしれませんが、ここで切り上げます。ラムも日記も新鮮さが大事だからね。

これから他の方の考察を見聞きするにつれ、映画鑑賞後のテンションでこんな浅いnote書いちゃった己を恥じる日はそう遠くない気がします。でもだからこそ、こうやって自分の感想を纏めておきたいなと思いました。

これまで書いてきたように、本作品は一切の蛇足がなく、その解釈の幅は非常に広いように思います。情報が足りなすぎて、エンドロール始まった瞬間、観客の心は一つになったと僕は確信しています。

おいおいここで終わるんかーい!

感覚としては「いい肉」がそこにあるんですよね。でもまだ焼かれてないし、下味も付いてない。これから僕たちで味付けしなきゃならないなと。極上の羊肉といえど、ただ切り落としたのみでは食べられたものではありません。自分の好みの焼き加減、塩加減で調理しなきゃ。

さぁ、他の方々は、このラムを食べて美味しかったのかしら。この拙い記事を書き終わって、ようやくそれを見に行ける気持ちです。


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