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阿修羅の偶像(アイドル)第2章第4節

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「聴きましたよ。めっちゃカッコいいっすね!」
 台場の上ずった声が耳元でキンキンと響く。咲良は思わず眉をしかめた。スマホ越しの至近距離ではあまり聞きたくない声である。
「もうこれならこのまま他のグループに使ってもいいくらいっすね」
「……それしたら殺すよ」
「ハハハ、冗談っすよ。そのくらい完成度高いってことっす」
「そんなつもりはないんだけどねえ……」
 咲良は小さくため息をつくと、
「とにかく今回は、あの曲をどう料理しようと牟佐リンダちゃんの自由ってことよ。作詞だけじゃなくアレンジもね。それをちゃんと書き送っておいてよ」
「あ、その件なんすけど、もうDMじゃ埒開かないんで、本人に直接凸ろうかと思ってます」
「は? 特定できたの?」
「ネット上には特定厨がゴロゴロいるんで。だって、ホームページに画像が載っちゃってるし。それだけあれば十分です。何しろこっちも業界歴長いんで、0を1にするのは難しくても、1を10にするのは得意なんすよ」
「あんまり本人が嫌がるようなことしないでよ……」
 咲良はあれから気になって台場の経営する会社の最近の業績を調べてみたが、やはりコロナ禍のあおりを食って失速気味のようだ。そして追い詰められると強引な手口に訴えて立場の弱い者を苦しめかねないのが、この手の輩の常であった。
「大丈夫ですよ。堪え性には自信があるんで」
 咲良はさすがに小さく鼻を鳴らした。台場が所属アイドルの一人と密かに懇ろになっているという噂も流れてきている。堪え性もクソもあったものではない。
「それに自分、対面の方が自信あるんすよ。タフ・ネゴシーエイターなんで。じゃ、そんなわけで、楽しみに待っていてください」
 台場はそう見栄を切って電話を切った。咲良はふうっと大きく息をついたが、嫌な胸騒ぎが消えることはなかった。

 一週間ほどが過ぎた。昼近くになると、バルナは相変わらず「ガンダルヴァ」に出かけてカレーを食べた後、青海の街をうろついて「虫」を探す毎日を送っていたが、二匹目の「虫」はなかなか見つかる気配がなかった。
 保(たもつ)はといえば、今まで通り寺のおつとめをこなしつつ、少しずつ沙羅からギターの手習いを受けるという毎日が続いた。あの時、沙羅との間には少し気まずい雰囲気が漂ったものの、とりあえずはナラキンさんが歌も歌えるということで、いずれ彼にボーカルをお願いすることでバルナに一度生演奏を聴かせようという話に落ち着いた。そしてバルナが単独行動をとるようになってからは、保は沙羅と行動を共にすることが多くなったこともあり、彼女についても色々と驚くべきことがわかってきた。
 まず保が驚いたのは、沙羅が既に大学で神職の資格をとり、羅睺院(らごういん)のうち水天社の管理を任されているということであった。彼女の父親、先生の義理の兄に当たる人は別寺の住職を勤めていて、彼女は寺の娘ということになるのだが、幼い頃から仏の教えというよりは、仏教や神道の神々に興味があったのだという。
「あたしの名付け親は叔父さんなんだよ」
 「沙羅」という名前は、ヒンドゥー教の女神サラスヴァティーからとったのだという。ゾロアスター教ではこれをアナーヒターともいい、真言宗には水を支配する竜王沙迦羅(さから)の娘が顕現するという言い伝えもある。いずれにせよ、様々な地域、様々な宗教に、音楽を司る女水神の伝承があり、日本ではこれを「弁財天」と呼ぶのだ。その意味では、先生は沙羅が生まれた時からその才能を見抜いていたということになる。聞けば先生自身、ファルークさんやナラキンさんと組んでいるインディーズバンドでベースを演奏するほどの音楽好きで、沙羅に音楽のイロハを教えたのも彼なのだという。
「あたし、子供の頃から弁天様の生まれ変わりだって言われて、ずっとそれを信じて育ったの。おかげでずっと変な子扱いだよ」
 それはそうだろう、と保は苦笑しかけたが、寺の娘が親の言うことを真に受けて育てば、確かに世間の物差しとは違う子に育つだろうな、ということは思った。だが、沙羅はその個性を活かして、まさに「弁天様」として神職と音楽制作業を組み合わせて生きている。そのことには感心するばかりだ。
 同じことは水戸さんについても言える。アイドル業はライブからファンサービスまで実に過酷な仕事だという。その中で大学に行き、いくら興味のあることとは言え大学院にまで進学するほどしっかり勉強しているのだから並大抵のことではない。自分のように見かけばかりがゴツく男くさい人間が何をやっても中途半端で情けない生き方に甘んじているのを思えば、バルナが力説する修羅道の男性優位主義は、やはり時代錯誤な代物としか言いようがあるまい。
 だが、それは修羅道に限らず、現代の人間社会もまだまだ男性優位の幻想は続いているのだろう。だからこそ女性はその幻想と戦うために必要以上に力強く武装する必要があるのかもしれない。ステージ上のShangri=laの力強いダンスを思い出しながら、保はそんなことを考えてしまう。
「ヤクシャってさ、」
 と、ある日の昼下がりに沙羅が口を開いた。
「結構『主夫』向きだよね」
「そ、そうか?」
「そうだよ。だってここ二、三日、ヤクシャが掃除したところ、あたしよりも綺麗だもの。家事とかもどんどん手際よくなってきているし」
「あー」
 そう言われて、保は少し考えてみた。バルナのことを考えると、沙羅になるべく多くの時間を音楽制作に割いてもらいたいということもあり、意識して多めに仕事をこなすようにはしている。
 それに、保のように自分が他人に不快感を与えているのではないか、と常にビクビクしながら生きてきた人間にとっては、必要以上に他人と関わらないで済む寺の仕事というものは気が楽なところもある。また、これは大学の先生に以前言われたことだが、スポーツや格闘技をやっていた人間は物事の「型」を学習するのに必要なメンタルセットが備わっているのだという。実際様々な物事の「型」を身につけ、それを淡々とこなしていくのは、保にとって全く苦ではないのだ。ただ、それはこの寺の人たち(それはバルナも含めてだが)が、保の強面や場違いな大声を一切否定することがない、という前提に支えられてはいるのだが。
 そんな保の話を聞くと、沙羅は得心のいった表情を浮かべて、
「なるほど。じゃあ、やっぱりリズムギター向きだね」
「そうなのかな」
 庭掃除の休憩時間になったので、保は阿修羅琴で沙羅から新しく習ったコードの練習をしている。まだ数少ないコードしか知らない自分にはおこがましいことは何も言えない。ただ、自分が沙羅のように鮮やかなうねりのある音が出せるようになるとはとても思えなかった。
「まあ、特に能もないしな」
 そう言って保は自嘲的に笑うと、
「沙羅はすごいよ。俺と同い年なのに、そんだけ突き抜けたものを持っててさ」
「いやいやいやいやいやいや! あたしなんか、」
 沙羅は急に激しく頭を振ると、小さく首をすくめて、
「恥の多い人生を送ってきてますから」
 その時、参道の方から声がした。
「牟佐リンダさんですよね?」
「はい?」
 沙羅がそちらに顔を向け、瞬時に「しまった」という顔をした。
「やっぱり、リンダさんですよね」
「いや……あの、その……」  
 戸惑ってしどろもどろになる沙羅に向かって、貼り付いたような笑顔を浮かべた派手な服装の男が歩いてきた。年の頃三十代半ばくらいか、メッシュの入った長めの髪で、柄のついた眼鏡をかけている。一見して堅気には見えない身なりの男だ。若作りしているとも言えるし、世間ずれしている割に面差しから幼稚さが抜けていないとも言える。小学校ではいつも保のことをからかってきたが、中学に入って保の背が伸びたら途端に保を避け始めた同級生に少し似ているような気もした。
「どうも、初めまして。自分、こういう者でして」
 男は沙羅に名刺を渡すと、「お寺の方ですか? どうも初めまして」と言って、保にも名刺を手渡した。見れば「株式会社GION 代表取締役 台場達也」と書いてある。
「スタッフが何度かDMを差し上げているんですが、なかなかいいお返事をもらえないので、直接きちゃいましたよ」
「……どうして、」
 沙羅の声が少し震えている。
「ここが、わかったんですか?」
「ホームページに、お寺の風景写真が載ってますからね」
 台場と名乗った男は、愛想笑いを浮かべたままポリポリ掻くと、
「まあ、お話はDMに書いた通りです。弊社では新規事業としてヴァーチャルアイドルの売り出しにも力を入れておりまして、ネット上で人気のあるボカロPの皆さんにお声がけしている最中なんです。ヴァーチャルアイドルのキャラデザは添付の画像ファイルでお送りしたと思いますが……」
「あの……申し訳ありませんが……」
 沙羅は深々と頭を下げると、
「既にお返事した通り……あたしは『水天バルナ』以外のプロデュースには興味はないんです」
「いえいえ、『水天バルナ』のお仕事は、引き続き頑張っていただくのは素晴らしいことだと思います。それとは別に『プロのお仕事』をお手伝い頂ければ、と考えている次第でして」
「いえ、ですから、」
 沙羅の語気が強くなった。
「あたしは、『水天バルナ』以外の『プロのお仕事』には興味がないと言ってるんです」
「なるほど」と言って、台場は目を細めると、「ところで」と続ける。
「牟佐リンダさんって、昔ユートピアエンタープライズの研修生だった、永井沙羅さんですよね?」
 その瞬間、沙羅の表情がこわばるのを見極めて、台場はわざとらしく首を傾げる。
「ちょっと不思議なんですよね。沙羅さんはせっかく知名度がおありなんだから、ボカロPとしてもそれを利用するのが『プロのお仕事』だと思うんですが、それをなさらない。まあ、色々哲学や美学がおありでしょうから、深くは詮索しませんし、もし弊社のお仕事を引き受けていただけるのなら、沙羅さんのその御意志は当然尊重いたします」
 沙羅の頰がひくっと動いた。そして保もまた、台場に漂っていたきな臭さが本物であることを確信した。要はこの男、言うことを聞かなければ沙羅の前歴をバラすと、暗に匂わせているのだ。ただ言葉だけを見れば決して脅迫にはならないし、仮に彼がこのことを暴露したとしても、契約を交わして守秘義務が発生する以前にネット上の流言という形にしてしまえば(そんなことはこの男には容易だろう)、彼が責を問われることは絶対にない。つまりはこの男もあの高坂と同じ、自分は安全圏にいながらにして他人に理不尽を押し付ける技に長けているのである。
「そうだ。そうだ」
 台場はわざとらしく指を鳴らすと、
「もう一つ大事なものを」 
 そう言って、小さなショルダーバックから一枚のCDケースを取り出した。
「実は見城咲良さんも、沙羅さんとのコラボに乗り気なんですよ」
「見城さん?」
 沙羅の目の色が変わった。見城咲良という名前は、今までに沙羅の口から何度か聞いている。沙羅がリスペクトしてやまない、当代きっての天才として名高い女性シンガーソングライターだ。
「このCDは見城さんが書き下ろした新曲のオケです。この曲に沙羅さんの「生き様」を描いた詞を乗せてほしい、それで沙羅さんの才能を確かめたい、というのが見城さんからのミッションです」
 台場はそういうと、CDケースを沙羅の手にぐっと押し付けて、
「どうです? やりませんか?」
 自覚的にえげつない詐欺師のやり口だ、と保は思った。「鞭」を匂わせた後、大きな「飴」をぶら下げて飛びつくのを待っているのだ。こんなやつの話に乗ったらろくなことに——
「……申し訳ありません。やっぱり……」
 沙羅は震える声を必死に振り絞ると、
「……二度と……アイドル業界の方とはお仕事はしない、と決めてますので……」
「……あっそ」
 その瞬間、台場の顔に酷薄な翳が刺した。
「じゃ、これも要らないね」
 台場は沙羅の手から乱暴にCDを奪いとると、素早く踵を返し、
「じゃ、せいぜい頑張ってね。アイドル崩れの野良Pさん。ま、あんた、アイドルにならなくてよかったと思うよ。だって『華』がねえもん。あ、心配しないでね。別にあんたがここにいることは誰にも言わねえよ。そんな金にもならねえこと、わざわざ」
 嘲笑うようにそう言い捨てると、スマホを苛立たしげに叩いて、
「あ、もしもし。これから帰るわ。あ? 完全に無駄足! こんなクソ田舎にリソース割いてとんだ大損だよ!」
 などと喚きながら、参道を引き返していく。
 その様子を、ちょうど台場とすれ違ったバルナがしげしげと見つめていた。
「バルナ?」
 と保が口を開くや否や、バルナは足早に駆け寄ってきて保の手から台場の名刺を奪い、ニヤリと笑って言った。
「見つけた」
 バルナは素早く踵を返し、駆け足で台場を追い越すと、その前に立ちはだかって大音声で叫んだ。
「台場達也!」
「なっ……」
 台場は目の前に突然現れたバルナの姿に、完全に言葉を失っている。
「カカカカカ」
 次の瞬間、バルナの笑い声が保の耳元で大きく響いた。そして保の視界に映るのは参道の脇を流れる沢と、その向こうに広がる竹林だ。どうもこの間とは勝手が違う。懸命に眼球を動かすと、保の視界の左端に台場の姿が映る。つまり今回、保の顔はバルナの後頭部ではなく、右側頭部に付いているようなのだ。
「……ひいっ!」
 台場の悲鳴と同時に、保の視界の左下あたりにニョキニョキと腕が伸び、台場の手をがっちり掴んだ。だが高坂の時とは違い、保の手にその感覚はない。そして視界に入るのは保の腕とは似ても似つかぬ細さの、女性の腕だ。
 その時、保はやけに近くで沙羅の「……え?……何?」という震え声を聞いた。
 ——まさか……
 そう、沙羅の声が聞こえるのは保の頭の後ろ、つまり、バルナの左側頭部のあたりのようだ。
 続いてバルナの腕と沙羅の腕の間あたりに、保の太い腕が伸びてきた。やがて保の両掌に、台場の両足を鷲掴みにする感覚が伝わる。
「カカカカカカ」
 バルナは不気味に笑いながら、完全に身動きがとれなくなった台場の頭をバルナ自身の右腕で抱え込んだため、保の視界にはガタガタと震え続ける台場の姿が大映しになる。続いてバルナはその体勢のまま台場の体を逆さ吊りに担ぎ上げていくので、台場の上着のポケットに突っ込まれたCDが音を立てて地面に落ちた。
 ——ブレーンバスター?
 だが、それはただのブレーンバスターではなかった。沙羅の両腕は台場の両手を封じ、台場の両足は逆さ吊りのまま前方に折り込まれる形で、保の力強い両手によって身動きがとれない状態だ。六本の腕で体を完全に押さえ込まれ、台場は恐怖と苦しさのあまり半狂乱になってぎゃあぎゃあと泣き喚き続けている。
「oṃ devayakṣa bandha bandha ha ha ha ha svāhā oṃ maheśvarāya svāhā」
 バルナが例の呪文を唱え始めた。また胸がムカつくような異臭が漂い始めたが、今回は前回よりも強烈だ。そして保はその理由がすぐわかった。
 目の前にある台場の側頭部が、消し炭のような真っ黒な物質に変わっていく。どうやらこの呪文は、バルナの口に近い部分から生贄の体を異形へと変えていくようなのだ。やがて台場の頭部が真っ黒に成り果てるうちに、台場の喚き声も止んだ。
 そしてしばらく経ち、台場の全身が隈なく消し炭と化したのを見極めると、バルナは海老反りになって台場の体を勢いよく後方へと叩きつけた。
 その衝撃で、まず台場の胴体が灰燼となって空中に霧消する。続いて保の目の前で、かつて台場の頭だったものがふっと消え失せ、保の左手からは足の感覚が失せる。そして右手には、例のヌメッとした物体の感覚が伝わってきた。
 恐る恐る保が手を見ると、赤ん坊の下半身のような形と大きさの、気色悪い「虫」がぶら下がっていたのである。


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