阿修羅の偶像(アイドル)第3章第6節
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「懐かしいねえ」
咲良はそう言って阿修羅琴(あしゅらきん)を愛おしげに見つめる。バルナが修羅道の彼方に去った後、それは既にワンネックの形に戻っていた。
「沙羅が来るまでは、お前さんにお世話になったな」
五部浄(ごぶじょう)もまた、懐かしそうに目を細める。すると、咲良は小さく肩を竦めて、
「何言ってんの。お世話になったのはこっち。この子はね、弾き手の力を引き出してくれるの。この子は、あたしたちを奏でて、メロディや歌をあたしたちから引っ張り出してくれるんだ。あたしが独り立ちできたのは、この子のおかげ……ちょっと、またこの子に歌わせてみようか?」
咲良はそう言ってしばらく池の水面を見つめていたが、やがておもむろに阿修羅琴を爪弾き、そのまま歌い始めた。
「お前さんも、」
歌い終わった咲良に、五部浄は問うてみた。
「自分が何者なのか、気づいたな」
「うん」と咲良は照れ臭そうに答える。
「あの子に殺人バスターかけられてね、今まであたしが見てきた夢が、あたしの中で全部繋がった。あたし、『死神』だったんだよね」
「そのようだな」
「あたしには元々意思とか意識とかはなかった。何故ならあたしは『死』そのものだから。ところがあんたたちのお偉方が、あたしの中から三匹の虫を取り出してあたしに神格を与え、あんたたちの帝に据えた。あたしは外道の死神だから、誰かを殺めても地獄に堕ちることもない。あたしに任せれば、あんたたちに都合の悪い連中も安心して殺めることができる……そういうことだよね?」
「そうだ。そして三匹の虫を人道に押し付けた。阿修羅族を修羅道に封じ込め、奥方様を追いかけて人道へ行ったお前さんのことも厄介払いとばかりにひた隠し、空っぽの玉座の威を借り続けた。それが二千年に及ぶ『天道の平和』の実態だよ」
五部浄は皮肉な笑みを浮かべた。すると咲良がいたずらっぽい顔で聞く。
「あんたは、自分の正体にいつ気づいたの?」
「ある時代、俺の主君だったお前さんを殺めた後だ」
「へえ?」と咲良は目を丸くした。
「あれ、あんただったの? ウケるわ」
「俺はお前さんを主君として尊敬していた。だが、同時に恐ろしくもあった。そして、あのままお前さんが覇道を突き進むのであれば、地獄に堕ちることも覚悟してお前さんを殺めようと心に決めた。その後出家して、徳川に従って天下泰平の世を築くことで罪滅ぼしをしようとしたが、まあ地獄堕ちは覚悟していた。それでも堕ちなかったのは、今思えばお前さんが外道の者だったから、ということだな」
「あの頃ねえ、ほんと荒ぶってたねえ」
咲良はそう言って天を仰ぐ。
「いつもいつも、めっちゃ人殺してきた。なんせ外道だからね。『無敵の者』ってやつよ。いつだって仏法(ダルマ)なんてお構いなしだった。でもね、今生になってようやく思うようになったよ」
咲良はニヤリと笑って言った。
「推しの信じるものは、尊重しなきゃ、ってね」
「かっはっはは。それは実質、奥方様による済度が成功したってことだ」
と、五部浄は愉快げに笑う。
「それを自分で認められるようになった。お前さんも丸くなったもんだ」
「さあ、それはどうかな」と咲良は肩をすくめる。
「さて、あと10分で日付が変わる」
そう言って五部浄は腕時計をちらりと見ると、社の方を振り返った。修羅道の湖の景色は既に消えたが、人道と修羅道を繋ぐ外道の時空はまだ残っている。だが、それも庚申の日が終われば、また時空の狭間へと隠されてしまうのである。
「そうね。急がないと」
そう言って、咲良は社の方を見た。
「後悔はないのか?」
「だって、これ以上人道にいたら」と咲良は意地悪そうな顔になって、
「あんたみたいな奴にまた利用されちゃうもの」
「何のことだ?」
「白々しい。人を殺める覇道の力を持ちながらも、決して殺めず王道を歩むスーパーアイドルを育て上げることが、あんたの目的だったんでしょ? あたしはあの子が独り立ちするための『補助輪』として、あんたにまんまと利用された」
「ご名答」
そう言って、五部浄は苦笑いを浮かべる。仮にバルナが人を殺めても地獄に堕ちないよう、人道のどこかにいる外道の王の意識を「戦闘相」として召喚する呪文をバルナに教えたのは、五部浄だった。
「それに、やっぱりこの三千世界に外道は必要だと思うの」
咲良は社を眺めて言った。
「悪道に転がり落ちた奴は、悪道を生きる中でさらに悪業を積んでしまう。そうやって悪道からなかなか抜け出せずに生きていく。だから、六道をまたに掛けて悪道の連中を励ます奴が必要なの。それが外道者の使命よ。もし住人がいなくなれば外道は消えてしまうというのなら、」
咲良は阿修羅琴を五部浄に手渡すと、社の中に踏み込んでいく。
「元々住人だったあたしが戻ればいい」
「外道に行って、何をするつもりだ?」
「まずは地獄道に行くよ」
そう言って、咲良は力強く笑った。
「さっきだって、地獄道の連中だけは祭に参加できてなかった。あたしたちがこうやっている間にも、あいつらは血の池や剣の山で苦しんでるんだ。だからあたしが行って、奴らのために歌を歌いたい。推しが言ってたことが本当なら、もし、己の実像のままに誰かの実像を尊重することが地獄の連中にもできるなら、あいつらだって地獄にいるままに仏になれるとあたしは信じたい。この際、地獄でアイドルグループをプロデュースとかもいいかもしれないね。可愛い子はいつだって業が深いから、きっと地獄には可愛い子が沢山いるよ」
「楽しそうな計画で何よりだ」
「いずれ推しの娘と対バンすることになりそうだもの。あの娘は六道一のロックスターになるよ。あの娘に対抗するには、地獄に固定客を作るしかないってこと。ま、首を洗って待ってな」
「そうだな。じゃあ、またその時に」
「そうね、じゃあ、」
咲良は不敵な笑みを浮かべ、小さく手を振ると、
「また、音楽で」
そう言って水天像の前に足を踏み入れた瞬間、咲良の体はじゅっと音を立て、黒い粒子になって四散した。その様を見ながら、五部浄はぼそりと独りごちる。
「……天魔の王。今生もまた、夢幻のごとく、か」
——別に「丸く」なっちゃ、いないんだよね……
外道の奈落をゆらゆらと下降しながら、シャクラは五部浄の言葉を思い出していた。
確かにここ最近の生では、殺めることを我慢してきたところはあった。それはそれで正しかったのだろう。殺めるべき者を殺めても、やつらはそのまま鬼道なり地獄道なりに堕ちるだけだ。そしてやつらは、殺められたことを恨みこそすれ、罪を悔いることは絶対にない。その意味では、やつらを生かして改心を待つべき、という推しの考えは正しい。
だが殺めるべき者を生かしておいても、やつらが改心する確率は限りなく低い。その間にもやつらはまた他人を害する。そして害された者たちも、よほど強く心を律することができる者でない限り心を病み、他人を害する者へと変わっていってしまう。かくて悪道に衆生は溢れ、末法の終わりは遠のくばかりだろう。その意味では、たとえ自らが地獄道に堕ちるとしても、殺めるべき者たちをさっさと悪道送りにしてしまえ、という推しの娘の言うことも、決して間違ってはいないのだ。それはトロッコで一人を轢き殺すか複数人を轢き殺すかの選択肢でしかない。そんな中で、人道の者たちに自分が歌を通して伝えるべきことといえば、ただ「自分を殺すな。美しく生きろ」ということしかなかったのだ、とシャクラは改めて思う。
「あんたたちは、どう思う?」
シャクラは左右の顔に問いかけてみる。だが、返事はない。高坂も台場も相変わらず青ざめてガタガタと震えるばかりだ。
推しの娘は寛大にもこいつらを外道から解放した。だが、この連中が大いなる宇宙の法に畏怖を抱き、己の罪を悔いるなどまずありえない。それにこいつらは中途半端に権力も持っている。人の身に戻れば、逆恨みからあの人たちにさらなる害を及ぼすことすら目に見えている。そうやって罪を重ねれば、結局はこいつらだって救われないのだ。そうした悪循環を根源的な形では解決できず、こいつらを鬼道なり地獄道なりに隔離して無害化するしかないのが、「仏法(ダルマ)」というものの限界なのだろう。
だからせめてこいつらだけでも自分が引き取ろう、とシャクラは思った。こいつらは分不相応にも自分のような無敵の者になりたかったはずだ。それに、そもそもこいつらの中に巣食う虫は、かつて自分と一体を成していたのである。ならばこいつらをして無敵の者の一部となし、その虚しさを嫌というほど味あわせてやるのが良いだろう。こいつらの業を収めるにはそれしかあるまい。そして少しは業が収まったのを見極めた上で、もう一度輪廻の輪の中に返してやろう。死の化身たる自分にここまで殺意を抱かれるというのは、彼らは実に憐れむべき、愛おしむべき存在ですらある。これも何かの縁だ。彼らに対する自分の殺意が消えるまでは、この縁なき衆生をいずれ善く生かすためにこそ、今は死に留めおこう。
最も凶悪な親玉の虫が解き放たれてしまった以上、あの三匹は引き続き衆生の心を蝕み続け、人道は行き着くところまで末法の世を突き進むだろう。中尸(ちゅうし)と下尸(かし)を宿す輩はこいつら以外にも星の数ほど存在する。だが、そうした小悪党どもは、所詮は一匹の上尸(じょうし)が統べる有象無象の群れに養われる存在に過ぎない。だからあの瞬間は、あの惨めなヲタクの命を生贄に一匹の女王蜂を捕まえることで無数の働き蜂を根絶やしにする千載一遇の好機だったのである。それが失われてしまった今、推しが何をどこまで出来るのか。そして自分にできることはと言えば、確実に推しとその娘に害をなすであろうこいつらを遠ざけること、今後末法の人道から地獄送りになるであろう大量の者どもの済度(さいど)を、一手に引き受けることくらいしかないはずだ。
何しろ自分の業は、どうしたって治んない。外道者は六道者とは違い、何度輪廻転生を繰り返しても、己の業を消すことはできないのだ。殺意という死神の業は、仏法では救いえない者たちへの愛と同義であることが、今のシャクラにははっきりわかる。死神にだって愛はある。ただ、それは仏法の中に生きる者たちと比べて大すぎるのかもしれないし、単にかつて自分と一体を成していた者どもに対する自己憐憫に過ぎないのかもしれない。そのいずれにせよ、それならそんな自分自身を自分の手で、置くべき場所に置けばよい。アイドルの「実像」が重要であるなら、決して「アイドル」に手を汚させないよう、自分がなすべき仕事というのもあるはずである。それは自分のような外道者にしか出来ない、覇道でも王道でもない衆生済度だ。
ちょうどシャクラも推しの娘を見て、あれは反則だ、と思ったところだ。手があと四本あれば、ギターに加えてベースも奏でることができる。左右に顔があれば一人で重厚なコーラスワークも可能になる。ただし、高坂と台場には猛練習してもらう必要があるだろう。何しろ推しの娘と対バンするには、こちらも万全を期して臨まなければなるまい。そして五部浄の小賢しい面が青ざめるところが見られるのも楽しみだ。シャクラは確信している。己の理想とする「王道」を準備するために、推しを「堕天」へと誘ったのはあいつなのだ。そして、自分はまんまとそれに乗せられてしまった。あいつはこれで己の業を滅却し、今生で六道輪廻から解脱するつもりだったかもしれない。だが、あの金柑頭をやすやすと解脱させてたまるか。奴には推しの理想のため、まだまだ働いてもらわねばならない。そのためには、お前の業などそう簡単に消えはしないことを存分に見せつけてやる必要がある。
「さて、そろそろ着くよ」
奈落の底から響く阿鼻叫喚がいよいよ大きくなってきた。シャクラは六つの掌を同時にパーンと叩き合わせて気合い入れをする。
「あんたたちも見るべきものは山ほどあるだろうよ。こういう時、眼が六つもあるのは実にありがたいね。リンダちゃんも上手いことを言ったもんさ」
シャクラはカハハと呵々大笑すると、
「さあ、地獄、地獄、見晴らしのいい地獄!」
そう叫びながら、奈落の喧騒の只中へと飛び込んでいった。
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