さかしま読了
さかしま読了。
あらすじ
病弱な少年時代を過ごし、両親を早くに失った貴族の末裔デ・ゼッサント。
神学校を卒業後、放蕩の限りを尽くすが神経を病む。ブルジョア生活に嫌気がさして俗世間との関りを拒否し隠遁。郊外の一軒家に引き篭もり趣味に没頭し、理想の人工楽園を創り上げてゆく。
オタクの理想
主人公が田舎の一軒家でこだわりの隠遁生活を創り上げていく様は、オタクの真髄極まれり!という感じでたまらない。
色彩に異様なまでにこだわった部屋を作ったり、好みの言語や文学をとことん追求したり、好きな絵画を日がな眺めて過ごしたり。日常の雑事は召使に任せ、誰にも邪魔されず、世俗から離れて好きなことに没頭する生活。
それを実現可能にする財力。これぞオタクの夢、オタクの理想。
隠遁生活の果てに
嬉々として隠遁生活を送っていた主人公だが、昼夜逆転の隠遁生活によって神経症が悪化。最終的に神経症の治療のためパリへ戻る。
隠遁生活は医師の助言により終わりを告げ、主人公は悲嘆にくれながら忌み嫌っていたはずの凡庸な社会生活へと帰っていくのだ。
ちなみに主人公、放蕩生活も医師の助言でやめたけど神経症は治ってない。
未来への希望を失ったまま人の輪に入っても、健康になるとは思えないよね。そもそも根本的な原因そこじゃないもんね。
なんだよ、帰るのか!そのまま俗世から離れて、自作の人工楽園で死ぬのが美学じゃないのか!と心の中で盛大なツッコミをいれたラスト。
世間から離れて好きなことだけできるって幸せ!と思うのだが、そこを突き詰めすぎても人は病むのか。というか、主人公はちっとも幸せそうじゃない。むしろどんどん病んでいく。好きなことやってるのになぜだ!
主人公の抱える矛盾と葛藤、不幸の元凶
主人公は自分の中の美醜の基準がはっきりしていてこだわりが強い。理想が高い。それにそぐわないものが許せない。とことん放埓な生活を送ったかと思うとすべてを捨てて隠遁生活に入る。極端で頑固、かなり偏屈だ。
彼の本当の望みは、高尚で汚れなき精神世界(カトリック)の住人になること。だが彼は、信仰がもたらす安らぎと汚濁が蔓延る宗教界への嫌悪の間で、信仰心と神秘・頽廃主義の間で葛藤し、素直にその望みを認めようとはしない。
このあたりの主人公の葛藤はスピ業界への自分の気持ちと重なって、あああ、わかるぅ!!!と思ってしまった。善悪とか教えとか、既存のシステムや画一的に押し付けられるものには嵌まれないし、逆らいたくなる。
かといって自分の考えを押し通す根性もないし、影響を受けやすいから、安全な場所に引き籠る。自分の偏屈で頑固で天の邪鬼で傲慢な部分が主人公に凝縮されているようで、うぁぁあ!!!って身悶えしながら読んだ。
主人公は放蕩の限りを尽くすこと、退廃的な趣味生活を送ることで偽りの充足感を得ようとするが、所詮偽り。葛藤と不満・不足感に苛まれ続けて心身を病む。彼が望んだ生活をしていてもちっとも幸せそうじゃないのはそのせいだ。最後の最後に書かれた彼の心の叫びにそれが表れている。
疑いを抱く自分も、信じたくて信じられない自分も許してほしい。
それでも信じていいのだと許してほしい。そんな主人公の叫びが聞こえてくるようだ。
それほどまでに欲しているのだ。「葛藤しながらも欲している自分」を認め、許し、さっさとその世界に飛び込めば、生きることはもっと楽に、楽しくなるだろうに。
とは言え、この面倒臭さや葛藤も人間の面白さ、生きる醍醐味だなどと思う私もかなり面倒臭い人間である。
豊かな言語表現
著者の博識ぶりはもちろん、澁澤龍彦氏訳の豊富な知識と語彙、表現力に恐れ入る。
特に神経症が悪化する過程での描写は、鬱になりかけの状態と通じるものがあって身につまされた。過敏になりすぎた感覚がもたらす苦痛、ギリギリの危うい精神状態、疲労困憊の肉体、どんどん視野が狭くなって、さらに自分を追い詰める完璧主義。当時の感覚を追体験するようで苦しいのに読まずにはいられなかった。
また、こういう蘊蓄だらけの文章は、知識がなくて理解できずに読み飛ばしがちだが(と言いつつ註釈は読み飛ばした)比較的読みやすかった。冷静で客観的、過度に装飾的でない。ことさらに難解でも堅苦しくもないのでイメージが浮かびやすい。
その豊かな表現に触れて思ったのは、何でも「やばい」「かわいい」の一言ですむのは便利だけど、豊かで美しい日本語が消えて言葉が貧しくなるのは悲しいし嫌だ、ということ。己の表現力や語彙についても考えさせられた。ひとつのことをもっと様々な言葉で、わかりやすく表現できるようになりたい。多彩な表現を学ぶという意味でも貴重な作品。
まとめ
「デカダンスの聖書」と呼ばれる1884年の作品だが、退廃主義をことさらに賛美するでも異端を称賛するでもない。ただひたすら、主人公が創る世界を構成する美しいものと、隠遁生活の中、理想郷を作る主人公の心の内と葛藤が淡々と、延々と、流麗な文章で綴られている。その淡々と、延々と、というのが実に美しい。
考え過ぎ・過敏・こだわりが強すぎると生きることは苦しくなる。
この物語が書かれた1884年も今も、人の悩みは変わらないのだなと思う。
たとえ他者と上手に交われなくても、変人扱いされても、気にせず己を貫く鋼の精神力と繊細な感受性をバランスよく持って使いこなせたら楽なのに…と時々、すべてを投げ捨てて消えたくなる私は思う。
今いる場所から逃げても消えても何も解決しないし、どんなに楽しそうにふるまっても、幸せそうに取り繕っても、心の渇きは癒せない。
幸せに他人の目や評価は関係ない。自分にとって美しいもの・譲れないものを、誰にどう思われようと大事にすればよいだけのこと。自分の望みを認めて叶えるって、幸せって、きっとそんなシンプルなことだ。