夢も現も。
物心ついた頃から本の虫で
現実と物語の境界が曖昧な子供だった。
みんなと外で遊ぶよりも
想像の世界で遊ぶのが好きな子供だった。
そして、
リアルな夢をよく見る子供でもあった。
そのせいか、
子供の頃の話をしていると
それが現実にあったことなのか
物語や妄想がごっちゃになったものなのか
分からないことがよくある。
…いや、ここは正直に言っておこう。
大人になった今でも、結構ある。
それ、本当に?と訊かれると
現実に起きたことだ。と
確信を持って答えられないのだ。
自分ははっきり覚えているのに
相手が覚えていなかったり
そもそもそんなことは起きていなかったり
すっぽり記憶が抜け落ちていたり。
そんなことが幾度もあって
いつしか自分の記憶に
確固たる自信を持てなくなった。
(勝手に改竄してたりもするし。)
たまに同じ出来事を
驚くほど詳細に覚えている人がいる。
同じ人間のはずなのに、この差はなに!?
どうすればこうなれるの?
爪の垢でも煎じて飲む?
などと思わぬでもないのだけれど。
ある時期までは
地に足がついてないんだ。
境界線が曖昧なんだ。
とそんな自分を責めて
矯正しようと躍起になっていたけれど。
さほど不自由を感じていないので
今では開き直ってその曖昧さと
己の豊か(すぎる)想像力を楽しむことにした。
そして、こんなことも思う。
夢と現。
記憶と現実。
そこにはっきりとした境界がある
と思うことすら、幻想ではないか。
分けられるなんて、
ただの思い上がりではないのか。
切り離す意味など、果たしてあるのか。と。
結局のところ、わたしは
夢と現が混在する記憶の心許なさ
…不安定で不確実な揺らぎ、のようなもの…
ふいに境界線を超えて点と点がつながり
腑に落ちる瞬間が、面白くてたまらないのだ。
そう開き直って堂々と
夢も現も入り混じる
曖昧で美しい私の世界を
今日も游ぐように生きている。
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