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[No.7]20年、フリーライターやってます~初仕事でやらかした

フリーライターとしての私の初原稿は、署名入りで印刷され、書店に並びました。

印刷された記事の中に自分の署名を見ることは、ライターを志す者すべての憧れだと思います。夢が一つ叶った、と思いました。

4ページの記事の中には、Sさんが発注したのでしょう、イラストも入っていてなかなか素敵な仕上がりでした。

イラストは、スーツを来た母親が「”○○ちゃんのママ”じゃなくて、一人の女性として見てほしいのよ!」と仁王立ちして息巻き、言葉のわからない赤ん坊が困惑して母親を見上げているというコミカルなもので(と記憶していますが微妙に違うかも。なにしろ20年も前のことなので)、肩に力のはいったワーキングマザーを揶揄する気配を感じなくもなかったのですが、働く母の本音と、当時の世間の働く母に対する見方をうまく表したものだったと思います。

ところで、与えられた行数の倍も書いて出した原稿はどうなったのか。

Sさんがバッサリと削ってきっちり予定の行数に収めてくれたのでした。
最初は「どこも削りたくない!」と思っていたはずなのに、完成原稿は、どこが削られたのか自分でも一瞬思い出せないくらい自然な仕上がりでした。つまり、なくてもどうってことない部分がそれだけいっぱいあったということです。

雑誌ができあがったあとに、Sさんは
「いやー、さすがに倍(の原稿を削るの)はきつかったっす」
と怒っているふうでもなく言いました。

雑誌ができて浮かれていた私は、格好をつけてバカな自己主張を試みました。
「でも、どうしても全部言っておきたかったんです!」と。

今の私だったら、そんなことを言うライターがいたら、「あんたが言いたいことなんてどうでもいい。問題は、読者がそれを読みたいかどうかでしょう!」と一喝したでしょう。

プロの書いた原稿と素人の書いた原稿との大きな違いはなにか。
それは、「読者」を意識しているかどうか。

書き手が言いたいことだけを、相手のことなどおかまいなしにだらだら書いた原稿を読まされるのは辛いものです。プロたるもの、そんな原稿を世に出してはいけないのです。

それがわかっていなかった。

そのせいかどうかはわかりませんが、その後Sさんからは一度も仕事の依頼はありません。

昔、20代の初めに勤めていたデザイン事務所で師匠に言われて未だに覚えている言葉があります。
「ダメな仕事をして叱られるのはありがたいと思いなさい。たいていのクライアントは黙って去っていくだけだよ」と。

Sさんは、文字通り、黙って去っていったのです。

(2015年01月16日「いしぷろ日記」より転載)

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