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月は欠損について その3

過去にこのテーマについて書いた記事はこちらです。

これら、考察した結果、自分的にはある程度の俯瞰できる位置を見出せたと思っていますが、そこからさらに突っ込んで考察してみようと思います。

FBコメントで考察したこと

Facebookに書いた同様の投稿に対していただいたコメントに、返信を書いていたときにいくつか気づいたことがありました。まずはそのあたりから始めようと思います。

月は他の天体とアスペクトを取るたびに、心の棚卸しをしています。

月は1ヶ月で、ホロスコープを一周しますから、一周する間に、もの凄い数のアスペクトを形成しつつ通過します。そのたびになんらかの刺激を受け、感情的な問題があるならば、それを整理するチャンスがあるというわけです。

特に太陽とのアスペクトは最も大事なタイミングだろうと思います。そこで何か有効なイベントがあり、ちゃんと月に向き合って、心の棚卸しをして、整理していければ、月は満ちるでしょうし、そのたびにメガネを掛け替えることもできるはずです。

この文章は、マドモアゼル愛さんがある動画の中で言っておられた「月は一度掛けたメガネを死ぬまで掛け替えない」という言葉を受けて書いたものです。

そういう、メガネの掛け替え作業を、意識的に行っていくのが、キネシオロジーでやっていたセッションですが、上の月の心の棚卸し作業と、仕組みは同じだと思います。

ヒプノでも、どのようなスピリチュアル的なヒーリングでも、カウンセリングでも、そのあたりの構造は同じだと思います。

だから、そういう意識を持っている人と、ただ機械的に流されて生きている人では、結果は変ってくるのかも知れません。

機械的に生きてきた人にとっては、欠損論が刺激となって、それが人生を開くきっかけになるということになるのかも知れません。それに関しては、方法論としての可能性を評価する必要があるのかも知れないと僕は思っています。

月の役割

僕は人生は10天体と小惑星、恒星すべて関係していると思っています。全部内在ですし、太陽は自我核ですね、誇りと尊厳を司ります。

月の役割はベクトルが違うという言い方が近いような気がします。

幼年期だけでなく、潜在意識も、無意識も月の領域ですから、いわゆる見えない領域というとこらに、ポテンシャルが秘められています。

月が満たされることで、そちらの扉が開きます。しかし、月が満ちるためには、他の星をしっかりやらないといけないという構図です。月にはまっていたらいけないというのは、その通りだと思います。

なので、むしろ最終的には月が最も大事なのではないかと思うところさえありますね。まだ、このあたり、ちゃんと表現しきれないところはありますが、こういうことがベースにあるので、欠損という表現に対しては、逆に欠損を感じてしまうのかも知れません。

グルジェフの言葉

そんな風に思っていたときに、Facebookで小野満麿さんのこんな投稿を目にしました。

■興味のある人にはプレゼント。興味のない人にはだだのジャンク。(その7) 月というものの有難さ。そして自らがいまだ気づいていない「未自分」に対する感謝。もしくは半神、超胎盤、片割れ、名付けられる前の「それ」。そのような捉え方のいずれかででも、繋がりを意識できることは「運が強い」と言う表現に繋がる気がする。 あと、ツォルキンの改ざんでなく並べ方の新しい捉え方も、新しいものの見方に繋がり得る。

Posted by Mitsumaro Ono on Sunday, August 28, 2022

この中には月のポテンシャルについてのあれやこれやが書かれていて、イマジネーションを膨らませてくれます。まさに月の奥深さと、まだ明らかになっていない領域がそこにあるということが感じられます。

月というものの有難さ。そして自らがいまだ気づいていない「未自分」に対する感謝。もしくは半神、超胎盤、片割れ、名付けられる前の「それ」。そのような捉え方のいずれかででも、繋がりを意識できることは「運が強い」と言う表現に繋がる気がする。
小野満麿 Facebook投稿より

月欠損についてあれやこれやと考察しているのは、月に対しての、畏れ多さというか、有り難さというのもありますし、人間が未だ解明できていない領域への足掛かりが、まさに月だからなんだということの、直観的な反応だったんだと思います。

なので、月に対してどう向き合うかということは、ひとつの試金石とも言えるのかも知れないと思います。

月は欠損であると断定することは、可能性を閉じてしまうことにつながると思ったのです。それを危惧したんだなということに気がつくと、いろいろつながってきた感じです。

人間はまだ月の食料なのか?

そんな中で、この一枚の写真に目がとまりました。

人間はまだ月の食物なのか?と書かれています。

僕がグルジェフを初めて読んだのは22歳くらいの時だったと思いますが、この、「人間は月の食糧である」という言葉がショックで、すごく印象に残ったのを覚えています。

写真の中に、小野さんが書かれているグルジェフの言葉を書き起こしてみます。

人間はまだ月の食物なのか?

現代の人間は月の影響に糸をひかれる操り人形であり、人間は月へ食料を提供する家畜のままで一生を過ごす。

生まれてきて、作用・反作用の法則に縛られた人生を繰り返し、眠ったまま、ただの機械のように感情の揺れるままに反応する。
ゲオルギイ・グルジェフ

思えば、月はトリッキーな存在で、怖い存在でもあったわけですね。それは月がネガティヴィティの権化みたいに言われる所以でもあるのでしょう。たしかにグルジェフが言うように、月に食い尽くされて終わってしまう人生もあり得ます。

月という沼にはまりながら、狂ったまま、そのことに気づくこともなく、仮に気づいたとしても、脱出方法が見出せなかった人類に対しての、グルジェフの警鐘というような意味もあったのだろうと思います。


月欠損理論

そういう意味では、マドモアゼル愛さんの「月欠損理論」は、月に人生を台無しにされないための、視点と方法論を提供したという意味があるのだと思います。

ただ、小野さんのFacebookに投稿された、他の写真を見るとわかりますが、月のポテンシャルは、とてつもなく深いわけです。だからこそ現世的なところだけで見てはいけないと思うのです。

月の食べ物となり、月に食われて生きるのか、他の天体を使うことによって、反対側のサインをがんばることで、月を満たし、その上で月の本質に分け入っていくのか、それが今この宇宙に生きていることの意味なのではないか、ということだと思います。

マドモアゼル愛さんは、月のネガティブな要素をなんとかしたいという思いのあまりに、その奥にある、月の本質にはあまり目を向けておられないのかも知れません。

みな、それぞれの分野でなすべきことをなしているという意味では、それもまたよしということなんだろうと思います。

月の奥行き

実際には月の奥行きはとても深く、見えないところで、この宇宙を支え、生命を支えている存在なのだと思いますし、その方向の扉を開けていくことで、次元を超えるということの意味も見いだせるのではないかと思っています。

外に向かう方向と、内に向かう方向が出会うところに、次元上昇の鍵があると思うのです。だから、月は大事だということになおさらこだわっているのかも知れません。

それゆえに欠損と呼ぶことの弊害もあるのではないかということを危惧しています。ですから、構造について、明確にすることと、用語の見直しができたら、いいかなと思ったのが、一連の「月は欠損について」で提案したかったことなのです。

さてさて、今日はこんな感じでしょうか。なるほどなあ。という感じで、いろいろつながってきました。もしかしたら、まだ続くかも知れませんし、これで終わりかも知れません。

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