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合法紙を初めて食べた時の話

以前、Twitterに載せたものを転載します
違法な行為ではありませんが、真似しないでハームリダクション目的の創作としてお楽しみください


食後9時間、しっかりと睡眠をとってから紙片を舌の下に置いた。
深夜の3時24分、心は静かな期待に包まれている。
20分が過ぎても何も感じられないので、舌下に入れてた紙を飲み込んだ。

1D-LSDは初めてで、どれくらい強いのかはわからない、どうやら少し効くまでに時間がかかって効果も長いらしい。

時間がさらに進むと、内側から何かが湧き上がってくるような気がする。
ソワソワとした感覚がして期待感が強まる。
時刻は明け方で空が少しずつ明るくなり、その美しさが異様に際立ってるように見えた。タバコを口にして、煙がゆっくりと消えるのを見つめながら時間を過ごす。

それから1時間くらいして
その瞬間が来た。
急に、ソワソワとした感覚が強まり肌を撫でられるような快感がわき上がってくる。異性が背中に指を這わせてくすぐるようなその感触が体をなぞる。
気持ちよくて少しの眠気を感じたこのまま眠ってしまいたいなと浸っていると、喉からスーとした冷たい爽快感がして目を覚ます。
どこか旅に出る前のような高揚感で胸がいっぱいになり、ソワソワとした感覚がゾクゾクとした快感に変わって、頭や背筋、心に直接触れられるような快感。

きもちいい。

絵の具セットの筆を洗う容器から急に仕切りを取ってしまったように、いろんな色の水溶液が混ざるように
ベッドに触れる触感や人格、理性、意識、自我、平衡が無くなり自分を構成するあらゆる輪郭が曖昧になって、内と外を分け隔てたものが失われ溶けて混ざりあう。
意識が混濁し、見えている色がどんなものだったのかもはやわからない。

体はベッドに溶け込み、浮遊感が生まれる。高い空、足下に何もない状態で宙ぶらりんで開放されたかのようにすごい勢いで空に引っ張られて、ばんざいしながら自由落下していくような浮遊感。

これは...すごい

流していたお気に入りの曲に耳を傾ける。
音たちが一つ一つ体の芯に触れ、体の中まで愛撫されているような感覚だ。
音が心に直に触れてくる。こちらから触れることができないのにくすぐられるように愛撫される。

触れられた患部から切なさときもちよさが込み上げては、音が何度もさざなみのように触れてくる。押し寄せては引いて、波が引いて恋しいと思うと、また官能的な快感の波が打ち寄せて全身を触れていく、それの繰り返し。

ああああああさいこううううううううう
もう正気じゃない。

聞いている曲のサビが近づくと、ジェットコースターが頂点に登っていくような緊張感と期待感が湧き上がる。
きっと落ちていく、そう考えてからサビを迎えると、急降下。
緊張と期待が一瞬のうちに解放され、腰が浮き背筋が抜けるような快感が全身をめぐる。高所から本当に自由落下しているような興奮と解放感。
絶頂にも似た快感が続いていく、、

すごいすごいほんとにきもちいいいいいいいいいいいいい
これは......w
まずいwwwwww

長い間、快楽に浸っているとその心地よさに少しずつ慣れてくる。音と完全に混ざり合った自分は作曲者や奏者と触れ合うことができる。あった人と握手して人柄を感じれるみたいに音を構成するもの全てが手に取るようにわかる。

そこで、少し一服しようとタバコに火を点け、紫煙を口から放つ。その瞬間、視界が微妙に揺れる。幻覚が見え始めてるのだ。

タバコの煙に釣られるように視界がゆらゆらと揺れる。目をぱちぱちとしてから壁のクロスに目を向けると、幾何学的な模様を浮かべた。
 スマホの画面は抜けてしまいそうな奥行きを持っていて、やがてそれらが錯覚だと気づく。
 目を閉じても万華鏡のような幾何学パタンが見えたし、視覚に聞きにくいタイプの紙だと思っていたが、しっかりと視覚にも変化をもたらすものだった。

iPadの画面にはお気に入りのMVが流れている。
見てみると、目を奪われてしまった。

 美しい………綺麗だ…………まじ天使………やば…………

何度も見たことのある映像なのに、まるで神々しさに触れるかのような美しい映像に見えたのだ。
全部が新鮮で鮮烈に感じる。感情が溢れ出し、この生きてる瞬間がなにか懐かしくも新しい体験であると思った。


この状態は、まるで子供の頃に戻って、何もかもが新鮮で心地よかったあの日々に還るようだ。新鮮な出来事と安心感に包まれたあの日々をこの一瞬の中で再体験している。まさにトリップしている独特の感覚だ。

すると、新たな感情の芽がポツポツと現れる。求められたい、好かれたい、認められたい。普段は理性で止めてる無意識の感情がこんなにあったのかと思うくらい、湧き出てくる。
これは自分の多面性を認識させるもので、水晶に光を当てて透過したプリズムを観察するように思えた
歪で濁ったものかもしれないが、この瞬間に限っては、自身の多面性を受け入れ、それさえも愛おしいと感じた。

しかし、しばらくすると自身の「メンヘラ」的な感情が溢れすぎてうるさく感じる。
感情一つ一つがまるで独立した「自我」を形成し、それぞれが私に対して何かを要求してきた。理性で制御しようと試みるも、新しく芽吹いた感情たちはすでに自己意識を持っているかのようだ。
理性と感情、現実と幻想が交錯する中で生まれた感情が暴走する。

ぐにゃああああ。

芽吹いた各々の感情や人格が独自の意志を持ち始めた。
何が「本当の自分」なのかさえもわからなくなるほど増えてしまい、彼らは理性を敵視して人格攻撃を開始したり、何度も意識の主導権が奪われて切り替わって、さらには、「普段の自分」が実は乖離した人格である、と主張するメモまで現れて混乱する。

このような状況で恐怖を感じて自分自身からの人格攻撃に耐えながらも、ある程度時間がたった後にこれは茶番だったと自分を納得させた。

それから通話に入って意識が安定し、音楽を聴いて一緒に楽しむことで、落ち着きを取り戻す。
これは本当にたのしくて、どうでもいいことで笑えたり、音楽を本当に楽しく感じることができた。
やはりきまってるときに誰かと共感したりすることは良い事だ
その後、なかなか抜けなかったが、約15時間ほどは楽しい時間を過ごすことができた。

抜けた後、トリップのお土産として音の聞こえ方が多層的に感じられるようになった。法則性や感情、共感を引き出す表現に対する理解も深まったように感じる。



紙食べてた時のツイートです
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