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初めての妊娠。喜びと不安の入り交じり。

Angelinの栗原 涼子(くりはら りょうこ)です。

今日は私が第一子の妊娠をした時のことをお伝えしていきます。

いつも通り過ごしていた妊娠初期

入籍後まもなく第1子の妊娠が判明し、職場近くの産婦人科病院に通院することに。

出産予定日は11/16。

12週に出血があったのですが2日程で治まり、その後の妊娠経過は順調そのもの。幸いつわりも軽く、フルタイムの仕事をしていた私は「今後の産休育休では迷惑かけてしまうし...」という気持ちもあり、特に変わらず勤務していた。


23週0日には結婚披露宴を予定しており、ドクターにも確認しながら結婚式の準備を進めていた。披露宴では立位の時間を極力減らし、必要時は腰掛けられるよう椅子を準備する等配慮しつつ。

平日は仕事、毎週末は結婚式の打ち合わせやドレス合わせ等の準備で忙しく、両親学級や出産の準備は後回しにしている状態。

結婚式の翌日はお休みをもらったものの、その後は残業もこなし(同僚は無理しないよう声掛けしてくれていましたが、大丈夫!と過信していました)、少し体調を崩し風邪をひいてしまい、咳が酷くなっていった。

出血、そして緊急入院

結婚式からちょうど1週間後、日曜日の夕方頃に少量の出血に気付く。

その晩は安静にして早めに就寝したが、翌朝出血は続いており、出血量が増えてきている気がして病院を受診することに。

エコー検査では「赤ちゃん元気ですよ~」と言われ、ホッとした後の内診で急展開。

赤ちゃんを包んでいる膜が出てきている(胎胞脱出)とのことで、すぐに車椅子で処置室?へ移動させられ、お尻(というか子宮)を高くするよう指示があり、張り止めの点滴が始まった。

気持ちがついていかず「なんでもっと早く来なかったの」の言葉に一気に後悔と涙に襲われる。(優しい言葉をかけてくれた方もたくさんいましたが、この言葉がこびりついてしまった)

小さな赤ちゃんにも対応可能な病院への転院を告げられ、点滴等の処置の間に家族への連絡や搬送先の病院等の調整が行われ、その後そのまま大学病院へ救急搬送された。初めての救急車には看護師さんが同乗。不安が大きく涙が止まらない状態でしたが、看護師さんが励まし続けてくれました。

大学病院では夫や両親も駆けつけてくれ、一緒に診察結果の説明を受けた。
切迫早産のためそのまま入院。前期破水、胎児機能不全、絨毛膜下血種と診断された。

子宮の張りがあるとのことで子宮収縮抑制剤、すでに破水しており感染予防のため抗生剤の投与が必要とのことで点滴開始。
子宮の張りに関して、最初の病院でも大学病院でも訊ねられたが、自覚は全くなかった。初めての妊娠で「お腹の張り」の感覚が分からなかった。

先の治療方針の説明に加え、今後の緊急出産の可能性や帝王切開の可能性についても説明があり、たくさんの書類にサインする必要があった。

聞くだけで怖くなるような可能性の数々に動揺しながらも、医師の「1分でも1秒でもより長くお腹に留められるように頑張っていきましょう」との言葉に勇気づけられ、できる限り頑張ろうと気持ちを少し前向きにすることができた。

赤ちゃんの肺が成熟するのを助ける注射(副腎皮質ホルモン)が24時間毎に2回投与されることに。

腰の部分を高くして絶対安静の状態。食事もベット上で横になったまま。トイレも禁止。点滴の副作用か熱感や息苦しさ等がある中「赤ちゃんのためにできるだけ長くお腹に留めておけるように頑張るぞ」と思っていたが、結局はその2日後には出産することになっていた...

ここまで読んでくれて、ありがとうございます。
長くなったので、続きは次の記事に綴っていきたいと思います。



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