「東大女子お断りサークル禁止令」について思ったこと
こんにちは、Angel*(@angelic_UOT)です。
さて、今回は、2020年度東京大学教養学部オリエンテーション委員会が発表した、新歓活動における特定の大学を対象にした性別による差別(いわゆる「東大女子お断りサークル」)の禁止の方針に関する告知を読み、思ったことを記しておきたいなと思います。
注意
これは、noteなので一応公開はしていますが、自分用の思ったことメモを一応他人が読めるようにしたというものになります。よって、読みにくいと思います。具体的には、「考えてから書いた」のではなく、「書きながら考えた」ので、長い割には大したことを言っていないです。
また、私の考えは、これまで他のいろいろな人の考えに触れる中で徐々に変化してきたものですので、「これ、どこかで誰かが言ってるぞ」というのもたくさんあると思います。
特に今は試験期間で忙しいということもあり、かなり駄文感がありますが、ご了承ください。また、このnoteの内容に関してツイッター等で意見をいただけるのはとてもありがたいですし、わざわざ自分用のメモを公開しようと思ったのもそういう動機からなのですが、試験後まで動けませんので、それもご了承ください。
その告知の内容とは
まず、その告知の内容について知らない人もいるかもしれませんので、オリエンテーション委員会のこちらのWebサイトより引用します。
昨年度以前のテント列やサークルオリエンテーションにおいて、毎年のように、本学の女子新入生が性別を理由に入会を断られるといった事例が報告されています。正当な基準なく特定の大学を対象に性別のみに基づいて入会を規制することは、純然たる差別行為であり、新入生に不快な思いを与えます。このような新入生の不利益になり得る行為は、新入生に対して選択肢が開かれた自由な団体選びを提供することを目指すオリエンテーション委員会として、看過できるものではありません。
よって、2020年度オリエンテーション諸活動において上記のような差別行為を認めないこととしました。この規則に同意した団体のみがオリエンテーション諸活動に参加できます。これは、2019年度までの新歓方法や団体の性質を問うものではなく、あくまで2020年度オリエンテーション諸活動における差別行為を規制するものです。
オリエンテーション委員会は今後も全ての団体と新入生に対して公平かつ中立な存在として、本学の学生による自主的で活発な活動、ひいては学生文化全体のさらなる発展の一助となるべく尽力していく所存です。皆さまには、団体の活動のあり方を見つめ直す良い機会として、今年度のオリエンテーション諸活動を活用していただきたく存じます。ご理解とご協力のほどよろしくお願いいたします。
従前より、東大の新歓において、「男子は東大生、女子は◯◯大学(東大以外の大学が入る)の学生」を募集するサークルがあり、東大女子に対する不当な差別として問題視されてきました。
2020年度の新歓活動においては、オリエンテーション委員会の下で行われる新歓活動(テント列、サークルオリエンテーションなど)において、このような募集は行うことができなくなるということです。
効果はあるのか
では、この施策に効果はあるのか。結論から言うと、一定程度の効果は見込めるものの、完全に防ぐことはできないと思います(それはそう)。
もう少し丁寧な言い方をすると、このケースにおいて「効果」は2段階、
①メンバーの募集において、そうした差別的な対応を行うサークルがなくなる
②現実問題として、東大女子がそうしたサークルに問題なく入会し、また活動することができる
があるでしょう。
新歓の募集段階において差別的な対応がなくなることは、必ずしも入会またその後の活動において問題がないことを意味しません。先の告知文で
オリエンテーション委員会は今後も全ての団体と新入生に対して公平かつ中立な存在として、本学の学生による自主的で活発な活動、ひいては学生文化全体のさらなる発展の一助となるべく尽力していく所存です。皆さまには、団体の活動のあり方を見つめ直す良い機会として、今年度のオリエンテーション諸活動を活用していただきたく存じます。
(太字強調は筆者)
とある通り、オリエンテーション委員会としては、新歓活動において差別的行為が行われないことのみならず、その後の活動においても不利益を被ることがないようにしたいという意図があることがわかります。
①メンバーの募集における対応
メンバーの募集においては、結構な程度で、差別的行為が抑制されるのではないかと思っています。
まず、オリエンテーション委員会の下で行われる新歓活動に参加できないとはどういうことか。
テント列にもサークルオリエンテーションにも参加できません。それ以外の場での、例えば構内でのビラ配りなどはできるのでしょう。しかし、多くの東大の新入生にとって、やはりテント列でのサークルとの出会いやサークルオリエンテーションでの説明がなければ、そもそも存在を知り得ない、したがってその後の体験練習などに参加することにも繋がらないわけです。
こうした事情を考えれば、オリエンテーション委員会の下での新歓活動に参加しないことによる逸失利益はかなりのものになるのではないかと思います。
では、オリエンテーション委員会に登録しつつも、ビラや新入生への説明などで差別的な募集をするかもしれないではないか、と思われるかもしれませんが、それも困難だと思います。
なぜならば、新歓活動で使用する立て看板やビラの類は全て事前にオリエンテーション委員会に提出し、許可を得る必要があります。許可を得ないで使用するかもしれないではないか、という意見もあるかもしれませんが、わざわざ委員が巡回している中でそのような媒体の配布を行うだろうか、と思います。また、委員会はこのような告知を出した以上、差別的な対応を受けた新入生がその旨連絡・相談することのできる窓口のようなものを設け、もし何かあれば注意に向かうでしょうから、配布物以外でそのような対応をすることも困難だと思います。
もちろん、人数が減っても今の体制を護持したいという団体もあるかもしれませんが、比較的少数に留まるのではないかと思います。
②入会とその後の活動
では、東大女子がそのようなサークルに問題なく入会し、活動できるかというと、こちらはなんとも言えないなあという感じがします。
問題となっているサークルの多くは、「セレクション」という制度を新歓に導入しています。つまり、入会希望者をそれぞれのサークルの基準で選抜するわけです。これは、サークルの人数の問題などもありますから、選抜を行うこと自体は合理的な行為です。
しかし、その表に現れない選抜の過程において結果的に差別的行為が行われることは防ぎ得ません。一応断っておくと、たしかに意図的に東大女子を入会させまいとするサークルもあるのかもしれませんが、私はそのようなサークルはあったとしても少数だと思います(思いますというか、ここはそう信じたいという希望なのですが)。
ここでいう差別とは、セレクションを行う側の無意識のバイアスに基づいて結果として差別が現れるということです。「東大女子」というだけで、例えばそのサークルの雰囲気に合わないという無意識の下方修正が働く可能性があります。また、人は大抵自分に近い属性の人間に親近感を覚えます。そして、それが無意識のうちに評価に影響を及ぼしてしまうことは往々にしてあります。セレクションを行う側には東大女子がいないわけですから、「今年は東大女子を頑張って入れるぞ!」という気持ちを多くのセレクションする側の人間が携えて臨む、いわばアファーマティブ・アクションに近しいことをしないと、意識していなくとも結果として差別が現れることになるかもしれないと思っています。
それは、入会後の活動においても同様のことが言えます。
団体内で明確に「東大女子に入会してもらう」「東大女子に気持ちよく活動してもらう」という意思を共有してないと、厳しいところがあると思います。
他方で、逆に、そういう態度に対して「自分が特別扱いされている。普通に接してほしい。」と思う人もいるでしょう。これもまた、こうした類の問題を解決する難しいところなのです。
余談ですが、このような問題は、新歓だけでなく社会のあらゆるところに現れています。性別以外の属性でも、あなたのサークルにも思い当たるところがあるかもしれません。また、会社や大学の人事に思い当たることがあるかもしれません。人って、「自分は差別をしていない」「差別をしない」と思っていても、意外と無意識のうちにそういうバイアスを抱えているものです。もちろん私も例外ではありません。
では、意味がないのか
では、オリエンテーション委員会のこのような措置に意味はないのか、というと、そんなことはないと思います。
というのは、公の組織ないし機関がこうした発表を行うことは、
①問題を明らかにする
作用をもたらすとともに、
②「このようなことをしてはいけないんだ」という意識が経年とともに徐々に浸透していく
という作用があると思います。
①問題を明らかにする
これまでもこうしたサークルの問題はあちこちで語られてきたので、この問題が発生していることを知っている人は少なくないでしょう。しかし、その問題をあまり気にしていない人もまた少なくないのではないかとも思います。公式にこの問題にスポットを当てることで、注目が集まり、問題が可視化されることの意義は十分にあると思います。
また、その発表の内容自体にも人によって是非が分かれるところでしょう。それも相まって、学生間の議論も活性化し、今後のよりよいキャンパスづくりの礎になるのではないかと思います。これはまさに、先のオリエンテーション委員会の発表の最終段落の考え方とも一致するところです。
ちなみに、これは入学式における社会学者・上野千鶴子氏の祝辞にも言えることだと思います。
②「このようなことをしてはいけないんだ」という意識が経年とともに徐々に浸透していく
人は、良くも悪くも権威に従順なところがあります。特に駒場は2年間で主に新歓に関わるメンバーが入れ替わるという特性を考えると、公式としてこのような発表をされると、徐々にその方針の考え方が学生の思考に内部化され、それに沿った行動を取るようになるのが「当たり前」になっていくのではないかと思います。もちろん、これは言い方からして極端な想定かもしれませんが、部分的にそういう一面はあるでしょう。
オリエンテーション関連で言えば、オリエンテーションにおける飲酒の規制もこの一面を有しているのではないかと思います。
これは、権威に支配されるという意味では、①と反対の作用と言えるかもしれません(良し悪しとはまた異なる次元として)。
東大女子に関する問題全般について
ここでは、新歓の問題にとどまらず、様々な問題、特に低い女子率の問題について、お気持ち表明しておこうと思います。
大学において多様性が本質的に重要であることは、すでに多くの人が述べている通りです。その上で、東大は、女子率が約20%という現状を憂い、これを引き上げるべく、様々な施策を行っています。世間的にも話題になったという意味でも、その筆頭は、「住まい100室」事業ではないでしょうか。
この事業については、様々な意見があります。
反対意見として、このような意見があります。「東大の女子率が低いのは、本質的に大学の問題ではなく日本社会、特に地方の社会の構造の問題である。したがって、大学としてこのような小手先の事業を行ったところで意味はない。」と。「このような意見があります」と紹介はしましたが、何を隠そう、この事業が報道された当初の私の考えでもあります。
確かにこの意見は説得的だと思います。
しかし、こうも思えます。「社会が変わるまで待つの?」と。確かに、東大の女子立の低さの原因は多くは日本社会に起因すると思います。しかし、だからと言って、この社会が変わるまで待っているだけでいいとは思えないのです。
先ほども述べましたが、公式の発表というのは大きな影響力を持ちます。東大が、大学として「女子学生を歓迎します」というメッセージを発信することは、東大進学を考えている、あるいは目指せる実力があるのに考えてさえいなかった全国の女子高校生・受験生を後押しする力になるのではないでしょうか。女子立2割ということは、もしかしたら通っている女子学生はそこまで意識していない、あるいは不満に思っていないかもしれませんが、外部からすれば「女子にとって生きづらそう」と考えるのが普通でしょう。それは女子高校生・受験生も例外ではありません。
もちろん、繰り返すように、これによって直ちに日本の社会構造が変わるわけではありません。年間36万円の家賃補助を行ったところで、「女子が東大なんて…」という価値観を持っていた保護者が「我が子を東大に!」とはならないでしょう。したがって、効果は限定的です。
しかし、社会に対するインパクトが全くないかというと、そんなことはないと思います。現実として、東大の卒業生は、他の大学の卒業生と比べて、相対的にアカデミアの重要人物、官僚や企業幹部になる人が多いわけです。社会を変えるのはそういう人たちだけではありません。しかし、制度や意思決定に直接的に関与するのはそういう人たちです。すると、東大公式のこのような発表、またそれを踏まえたジェンダー論等の講義、あるいは「住まい100室」の支援を受けた学生との交流を通じて東大生の意識が変わることは、数十年後の日本社会が変わることに微力ながらも繋がってくるのではないでしょうか。これは、五神総長が掲げる「社会変革を駆動する大学」という理念に部分的に一致することかもしれません。
今後の課題
さて、ここまでオリエンテーション委員会の措置や東大の取り組みについて、おおむね肯定的な立場で書いてきましたが、課題はないのかと言われると、当然あると思います。
①差別性に関する認識が食い違っている
今回のオリエンテーション委員会の発表に関して、そのサークルの当事者の投稿がツイッター上でいくつか見られました。具体的な投稿は挙げませんが、そもそも現状の募集方法について「差別」であるという認識がないのではないかと思われるものです。もちろん、それらがそのサークルの総意あるいはマジョリティであるというつもりはありません。
これはそういう価値観を有している人を一方的に批判するものではありません。彼らはそのような価値観を有し得ない環境に置かれていたのでしょう。
学生同士の真摯な議論、対話が行われなければならないと思いました。
②様々な次元の多様性へ
多様性というのは、「男/女」というものだけではありません。性という側面においても様々なSOGIがありますし、性以外にも民族、出身地、疾病や障害その他の特性などいろいろな多様性があります。
新歓の問題にしても東大全体の問題にしても、この男女の問題について考えるあまり、他の多様性についての視点が抜けることのないように十分注意する必要があります。
例えば、私は、「住まい100室」やオリ合宿の就寝部屋について、性別違和のある学生の悩みの声について聞いたことがあります。また、本人の特性によって授業の受講に困難を感じている学生の声も聞きます。
様々な多様性を包摂する大学づくりのためには、そのような悩みの声が学生自治団体や学内行政の意思決定過程ににきちんと届くシステム作りが喫緊に求められます。
最後に、「東京大学憲章」は、その前文で以下のように述べています。
東京大学は、構成員の多様性が本質的に重要な意味をもつことを認識し、すべての構成員が国籍、性別、年齢、言語、宗教、政治上その他の意見、出身、財産、門地その他の地位、婚姻上の地位、家庭における地位、障害、疾患、経歴等の事由によって差別されることのないことを保障し、広く大学の活動に参画する機会をもつことができるように努める。
この理念に基づいた取り組みは、日々進められていると実感します。しかし、まだまだ不十分であることは先に指摘した通りです。多くの学生、教職員を中心とする構成員の手により、この理念が具現化されることを願うとともに、私も微力を尽くしていきたいと思います。
このような駄文を最後までお読みいただき、ありがとうございました。