#12 美しさへの執着心が強かったの
# 実は私、摂食障害でした
中学3年生の頃、憧れている人がいました。
容姿端麗で、聡明で、私の知らない世界を沢山知っている魅力的な人。
そんな人から、言われた些細な言葉。
”もう少し痩せれば、もっと魅力的な女性になるね”
一つ前の note でも綴っているように、言葉を発した人からすれば些細な一言だったのでしょう。
私自身、当時は運動量も多く太っているとも思っていませんでしたが、年頃の女の子。
憧れている人から貰った一言、その一言が摂食障害への ”キッカケ” となりました。
# 道が切り開かれる瞬間は
摂食障害、最近ではこの言葉をほとんどの方が聞いた事があるでしょう。
しかし、私が摂食障害になった当時は知識もなく、その障害に気づくまで時間がかかりました。
摂食障害と言っても、拒食症・過食症・過食嘔吐など、種類は様々です。
憧れの人の言葉がキッカケでダイエットを始めた私ですが、元より美容に興味がありました。
それと同時に、容姿に対してのコンプレックスが強く、自己肯定感もとても低かったです。
中学生になったばかりの頃、心許ない言葉の数々を浴びたことも、俗に言うイジメも経験しています。
憧れの人が放った言葉は、引き金に過ぎず、摂食障害という道が切り開かれるのは時間の問題だったのかもしれません。
それでも、当時の私にとっては、摂食障害への入り口はポジティブなダイエットの始まりでしかなかった。
# 手に入れた細さへの代償
綺麗になりたくて、自信をつけたくて始めたのに、どこから歯車が狂ったのか。
過度なトレーニングと過度な食事制限、どんどん数字が落ちていくのが楽しかったです。
数字が落ちていく度に、憧れの人が言う ”魅力的な人" へと近づいている気がした。
人よりも細くなっていく自分を鏡で見る度、優越感と自信が持てました。
容姿に対して批判をしてきた人達を、見返すことができているような気がした。
ただ痩せれば綺麗になれるわけじゃないのに、痩せることが近道だと信じて疑わなかった。
高校生になった後も、過度なダイエットは続き、綺麗になりたいと日々願っていました。
そんな、血の滲む我慢と努力をしたはずなのに、手に入れた "美しさ" という栄光は一瞬だった。
友人も、恋人も、家族も、自分自身も傷つけて、「失敗した」毎日を送っている気がしました。
# 骨張る身体と骨張った心
ただ、美しさに対する執着心が、人より少し、強かっただけ。
どうしても、綺麗な人への憧れを捨てれなかっただけ。
どうしても、イジメられた過去を見返したかっただけ。
どうしても、理想の自分を手に入れてみたかっただけ。
そんな想いを毎日抱えながら、理想の自分に近づけない自分を憎み泣いていました。
「心と体は表裏一体」、どこかで聞いたそんな名言。
どこかで聞いたこの言葉は本当だな、人間の体や脳は不思議だなと振り返り感じます。
些細なことに苛だち、些細なことに傷つき、些細なことが許せない、心に余裕がない。
骨張って削れていく身体と同じように、心も骨張って角が立ち、温かい心を持てなかった。
綺麗になりたいと願い始まったはずなのに、身体も心も理想の美しさからは遠ざかるばかりでした。
そして、大切な人達をも自ら遠ざけ、「自分の身体は自分だけのもの」ではなかったと痛感しました。
# 摂食障害を経て思うこと
摂食障害を一通り経験し、摂食障害の治療に必要だと言われることも一通り経験しました。
今は普通に食事を摂ることができ、誰かと一緒に食事をすることも苦ではありません。
食材・飲料・料理のカロリー、一日の摂取・消費カロリーを必死で計算することもなくなったし、薬の過剰摂取をすることもなくなりました。(非合法の薬は飲んでいません)
それでも、たまにくる "衝動" は治ることなく、今もなお摂食障害の欠片と共に生きています。
幸いなことに、私は骨格が細く、華奢なほうなので今でも細く見ていただけます。
サイズでいえば、SS〜Sを着ることがほとんどですが、それでも昔の細さが恋しいです。
女性らしさや柔らかさからはかけ離れた細さだとしても、今でも恋しいと思ってしまうのです。
でもいい、そんな思いを抱いてしまう自分を否定しないし、恋しくても別の道を探し歩めています。
それができたのは、自分自身が「治らなくてもいい」と思えたからです。
諦めたのではなく、自分自信がこの障害と向き合うことを望み、受け入れることができたから。
そしてそんな私を見て、大切な人達が "摂食障害の欠片と生きる私" を受け入れてくれました。
「失敗した」毎日を送っている気がした過去、今となっては「唯一無二の経験」でした。
長く辛い思いもしましたが、今私が大切な人達にとって綺麗で美しくいられるのは、この経験があったからでしょう。
まだまだ、自分自身のことを "美しい" と心から褒めてあげることができませんが、それでもいいのです。
身体と心、どちらかが傾くことなく、理想の美しさを求める過程を "永遠に" 楽しみたいと思います。