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#9 知らない誰かより、私の御伽話を


# 主人公は変わらない


カフェや食事中、その他何でもいいけれど、誰かと共に過ごすふとした瞬間。
どんな表情で、どんな会話をして、その時間を過ごしていたのでしょう。

何も考えずに過ぎていった時間を、立ち止まって振り返る時がある。
そんな時、”自分”の話よりも”誰かの噂話”や”悪口”ばかりだったと思い返す日はありますか?

悪口ではなくても、自分を卑下したり、後向きな話だけになっている日はあったでしょうか?

弱音を吐くこと、誰かを羨むこと、人間誰しも経験していると思います。
自分自身に向き合いたくない時も、この先の未来でもきっとあるでしょう。

それでも、”自分”ではなく、”誰か”の話を率先してするほどに彩のない人生なのでしょうか?

ううん、きっと、そうじゃない。
いつだって、私の人生の主人公は私で、あなたの人生の主人公はあなたです。
紆余曲折ある中で、それぞれ”私””あなた”だから話せる”御伽話”がある事を知ってほしい。


# 空間を無駄にしない


・人生に無駄な事は一つもない
・神様は耐えられない試練は与えない


誰かが言った、当たり前のように浸透している、”美しく思える”言葉たち。

このような言葉たちは、悲しい、辛い事、マイナスな出来事が起きた時に伝えられる事が多いと思います。
嬉しい、幸せな事、プラスな出来事が起こった時に使うイメージはあまりありませんね。

確かに、悲しい、辛い事があったからこそ自分自身と真摯に向き合うことができたり、一つの経験として成長できたりすることもあるでしょう。
だけれど、私はあまりこのような言葉たちが好きではありません。


・悲しい、辛い事がなければ成長ができないのか?
・本当に耐えられる試練のみやってきているのか?


きっと、そんなことはないでしょう?
わざわざ、誰かに傷つけられるためにこの世に生まれてきた人はいません。
耐えられる耐えられないは、神様や第三者が勝手に決めることではありません。

悲しい、辛い事がなくても人は成長できるし、試練ではなく”課題”を与えられるほうがいい。
過ごしてきた人生で、無駄な経験も、無駄な試練も、きっとありました。
だからこそ、”無駄”な空間を自分から作りたくないと思っています。

時間は誰にでも”平等”に与えられますが、与えられる時間は”有限”です。
有限な時間だからこそ意味のあるもので、私自身を過ごさせてあげたいと思っています。

誰かの話をしていないと会話がもたないのであれば、そんな空間は”無駄”なのでしょうね。
そしてそんな話題じゃないと盛り上がれないような女性には、いや人間にはなりたくないよね。

もし私が、そんなワタシになったときは、こう言いたい、「かわいそうだね、フビンだよ」と。

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