スピリチュアル界で学習しない人の目覚め
道はおのずと開ける 見える風景が酷くても
ですが・・・これはゆっくりでも、歩み続けている者に当てはまる。
止まっている人には何の風景も見えない。
入りやすいぬるま湯は、離れたくなくなるのが『人の性』1日の終わりを癒すぐらいでは、ぬるま湯で充分かも知れない。
ぬるいから入っていられることに、いつ気づくのだろう?
負荷をかけずに居られる所で、気づきましたを繰り返す自称『目覚めた人たち』
ゆる~くいられる所は、楽で楽しいかも知れない。
学びたいのか?遊びたいのか?どっちなの?
『霊的進化したい』と求めながら学習しない・・・スピリチュアルな教えを拗らせるのは、いつも人の本性であり、それはカルマそのもの。
毎月繰り返している月の満ち欠けのように毎月堕ちては、目覚める・・・
おなじことを繰り返している『目覚め』は同じ場所にしかいないことに
気づいていないのか?
その目覚めは朝、起きれるのと大差ない。
変われない人たちは、月日を無為に送っていることにまず、目覚めるべきだと思う・・・
この世の時間は有限であることにいつ気づくのだろう?
地球の次元のエネルギーシステムは、現状維持は衰退のはじまり。潜在意識がそうなっていることに、気づけない人たちは愚行を繰り返す。
どんなにみっともなくても、必死でもがき自分の内側の光に目を向けていけたら魂は輝く。
自分の人生から目を背けない人は、誠の心の奥に気づき、ハートを感じる。その光が広がったとき外側にも変化が顕れる。
・・・魂に導かれた人が手にする恩寵。それが変容であり、癒し程度ではないことへ気づかなくてはならない。
この世の中のルールは、頭がよい人たちがつくったルール。国民が疲労し、腐敗していくようなシステムであっても・・・
その人たちは現実である意味、お勉強を頑張って勝ち組になった人。
現実に目を背けた拗らせたスピリチュアルの解釈は・・・結果、現実世界で使えない人を量産している。
現実でも落第し、スピリチュアル界でも落第していく人はどちらにしろ
学ばない。
だから同じことを繰り返す。
それに目を背けて『目覚めた』つもりを繰り返す・・・カルマ通りに廻っていることにいつ気づくのだろう?
この世の時点から語るとスピリチュアル世界もまだまだ分岐していく。
何を選ぶかはそれぞれの自由。
今の選択が未来を決めていることに気づいているようで、気づいていないから、朝起きれることと大差ない『目覚め』なのかも知れない。
ステージアップの目覚めを知りたい方続けてお読み下さい。
参考記事